藤川は1998年に阪神にドラフト1位で入団しています。この年のドラフトの目玉は松坂大輔。他にも上原浩治、福留孝介、岩瀬仁紀、小林雅英・・・豊作であったことがわかります。阪神であれば藤川の他に3位に福原忍がいます。
それでもって最初の5年間で74試合に登板、先発14回、4勝6敗0S。松坂、上原の華々しい活躍に比べハズレ評価になっていました。というか、このまま消え去ってもおかしくないぐらいでしょうか。
突如ブレークしたのが6年目の2005年、JFKの一角として優勝に貢献します。全盛期の火の玉ストレートは、わかっていても打てないとか、ストレートと言う名の魔球とまで称されています。
2013年にメジャーに。この頃の事も覚えていますが、藤川の球威に衰えがありました。そりゃ、もう33歳になりますし、あれだけ投げまくってましたから、そろそろ限界になってもおかしくありません。最後の花道に夢のメジャー挑戦でエエぐらいの感覚です。
メジャー時代の藤川も良く知られているように、1年目の6月にトミー・ジョン手術を受けることになり、2年目も不振で2015年にカブスからレンジャースに移籍。ここでも目が出ず6月に解雇されています。
2015年にレンジャーズを解雇された後の経緯も複雑です。マスコミには阪神復帰の文字が踊りましたが、四国独立リーグの高知に所属。この辺は35歳の年齢と、トミー・ジョン手術からの回復を阪神も辛めに評価したぐらいしか言いようがありません。
この時の阪神の姿勢を冷たいとするのもありましたが、阪神以外もどこも獲得しなかったのですから、当時の藤川の評価は、このまま終わりだったで良いと思っています。
2016年に阪神に復帰した理由も良くわかりません。金本監督の希望であったとする説が有力のようですが、今から思えば不思議ですが先発要員としての評価てな記録もありますし、そう言われていた記憶もあります。私も白状しておきますが、今さら藤川と感じたのも白状しておきます。
そこからの活躍は皆様の記憶に新しいと思いますから簡略にしますが、あれは奇跡の復活として良いかと思います。さすがに全盛期の火の玉ストレートは無理としても、老獪な投球術で大活躍してくれました。
藤川引退で、もう一つ感じたのは引き際の在り方です。選手としての能力の衰えは不可避です。それを自覚した上で、どこまで現役を続けるかの判断は人様々で良いと思います。そもそもプロですから、現役続行を希望したところで、それだけの評価がないとどこも雇ってくれません。
ただ厄介なのは功労者とされる名選手です。そういう選手の引退には球団も配慮します。わかりやすいので言えば引退試合を設けるとかです。指導者としての評価があればコーチ就任のセットもあります。いわゆる花道です。
花道の前提は選手の引退の決断です。ここで選手が現役続行を希望すれば厄介な問題が生じます。というのも名選手の年俸は実力の評価以外に年功費が含まれています。純現役の実力の評価では不要もしくは、契約しても実力相応でしか応じられない姿勢にせざるを得なくなります。
藤川のあの時点の引退の決断を絶対善とは言いませんが、引き際をどうするかの一つの在り方を示したように感じています。またコーチや監督としてユニフォーム姿を見れる日を楽しみにしています。