氷姫の恋:氷の女帝

 日本に帰り、ウチも桐山名誉教授の家を出た。そうそう桐山教授はウチがアメリカ留学に出た年に定年退官を迎えられ名誉教授になりはった。留学費用は実質的に海外勤務みたいになったから、収支としてはだいぶやないぐらいプラス。アメリカの給料はやっぱりエエわ。それでもお父さんの遺産と合わせて結構な額になったから、マンション借りることにした。港都大の救命救急科医局に挨拶に行くと教授から、

    「市立南病院に行け」
 これまた、えっ、てなところ。あそこはうちのジッツじゃない。というか、新興の港都大救命救急科のジッツは留学に行く前もなかったし、今もないはず。それ以前に送り出すだけの戦力があらへん。でもまあ、行けと言われれば行くのが医局人事。

 南病院の救命救急科の特徴は完結型。北米型ERは急場だけやって、後は通常の診療科に流すシステムだけど、完結型は原則として退院まで見るシステム。だから独立したセンターまであり救命救急科の規模も大きい。でもどうでもイイけど、毎度毎度どっかに変わるたびに仲間がいなくなるのはウチの運命かしらん。

 入ってみると予想通り港都大はウチ一人。あとは京阪大が主導権を握っているのは見たらわかる。京阪大も学閥意識が強いところで、歓迎会でも、

    『なんで港都大の奴がいる』
 これがあからさま。参ったなってところやった。勤務が始まっても同じ。これだけするかってぐらい余所者あつかい。それだけじゃなく、陰湿なイジメつうかシカトみたいなものも行われる。ホンマこの歳でまたイジメやシカトに遭うとは思わんかった。加賀教授もなんでこんなところにウチを押し込んだんやろ。

 ただね、ウチにイジメは通用せんよ。ウチだってイジメされたら辛いけど、半端どころじゃない経験者だし、黙ってイジメに耐える玉やあらへんってところ。それでも最初は大人しくしとった。反撃するにも情報が必要ってところ。

 そうこうするうちに、内部事情もわかってきた。部長は須藤っていうのだけど、コイツがかつての権田原に輪をかけたようなセクハラ・パワハラ野郎で、笑っちゃうけど権田原さえマシって思うほど腕が悪いのはすぐわかった。

 なんでそんなハズレが南病院の部長か理解できへんとこもあったけど、教授へのゴマすりでも得意なんやろぐらいに思とってん。世の中は加賀教授みたいに徹底した能力・実力主義が珍しくて、取り巻きの腰巾着を大事にする人間の方が余程多いからね。そんな時に看護師が耳打ちしてくれた、

    「先生、狙われてます」
 なんのこっちゃと思ったけど、須藤の常套手段らしい。まず京阪大以外からわざわざ女医を一人だけ招き入れる。そうなれば京阪大の気風から自然に孤立無援の立場に置かれてしまう。さらに大学系列が違えば治療手順が微妙に違うから、そこを殊更に言い立てて心理的に追い込み、弱ったところを押し倒す。

 なんで女医がエエかはしらんけど、看護師の中にも被害に遭ったのがいて、ウチに警告してくれたらしい。でも悪いけど、イジメも孤立無援もウチにとっては慣れっこすぎるものなの。この程度では感じもせんわい。ウチも舐められたものや、そっちがその気ならウチは氷姫でなぶり殺しにしたる、

 完結型ERやから受け持ち患者の回診があるんやけど、須藤がウチに絡んで来た。どうも須藤の野郎、ウチが南病院に勤めたものの、予定通り孤立無援になって弱って来たと判断したらしい。その程度の観察眼しかない証拠でもあるけどな。

 南病院の救命救急科は京阪大の牙城みたいなところやけど、京阪大の救命救急自体のレベルは高くないと言うが、はっきり言うて遅れてる。アメリカ帰りのウチに言わせると前時代の化石みたいなやり方。でも遅れてること自体に気が付かないのが須藤。自分のやり方と違うから付けこむチャンスと見たらしい。

 ネチネチと患者の前でやらかしやがった。ウチと知識勝負をするのがアホやとせせら笑いながら、ペシャンコに叩き潰してやった。何も言い返せなくなった須藤は最後は顔を真っ赤にしながら、

    「木村先生の言う通りで良い」
 この身の程しらずがと思ったもの。でね、須藤も受け持ちが要るのよね。あんな腕の悪いのに受け持たれて気の毒なぐらい。でも、患者にしたら部長に受け持ってもらって喜んでるから世話無いわ。たんまりもらってるみたい。これが胡蝶産業の会長さんで特別室。そこでさっきのお返しをやってやった。

 根こそぎ、根底から須藤だけじゃなく京阪大の治療を否定してやったよ。これが患者のためでもあるからね。それこそ一から十まで、箸の上げ下ろしまでって奴。そしたら須藤の野郎、

    「この先の話はカンファレンスで・・・」
こうやって何度も逃げようとしやがるの。それだけでなく強引に話を打ち切って部屋から逃げようともするのよね。どれだけウチをなめとんのかと思ったわ。逃げようとする須藤の前に立ちふさがり睨みで金縛りにしてやった。
    「これはカンファレンス・レベルのお話ではありませんし、研修医レベルでさえありません。当然ですが患者にも聞いてもらう必要があります」
 一時間ぐらい、部長だけでなく京阪大の救命救急治療の問題点を延々と論破しまくり、
    「患者を殺すような時代遅れのカビの生えた医療はこの世に不要」
 ニコリともせずに患者の前で冷やかに宣告し、とにかくムカつく野郎だから怒りを込めて睨みつけてやった。須藤の奴、最後は失禁してたわ。須藤は一週間もしないうちに病院からいなくなった。噂ではノイローゼになったんじゃないかって言われてた。

 この後も京阪大が送り込んでくる部長を悉く粉砕。部長だけやなく京阪大の連中の治療を次々に血祭りにしてやった。ウチもガチガチの氷姫状態で、物凄い気合で睨んで回ってたから、血祭りに挙げた連中も次々に病院から消えて行ってもた。そしたら京阪大の救命救急科医局は最後の手段に訴えやがったんよね。

    「木村をクビにしなければ、京阪大の救命救急科医局は手を引く」
 その話を耳にした時には、ウチもこれで南病院での勤務は終ったと思たわ。別にクビになっても港都大に戻るだけやからどうって事はないけど、大学の安月給だけはウンザリする気分やった。ついに院長に呼ばれた時には覚悟してたんやけど、
    「木村先生が部長になってもらう」
 なに言うとるかわからへんかった。院長の話では、京阪大の救命救急は相当な不評だったらしい。そりゃ、そうなると思うけど、そのためにすげ替えの話が出とったらしいんや。ただ京阪大は救命救急以外にも医師を送り込んでるから、京阪大全体とは喧嘩したくないって感じかな。だから赤恥かいて自ら撤退みたいな形にしたかったみたい。その時に相談されたのが加賀教授で、
    「木村先生を送る」
 やられた。全部加賀教授が仕組んどってんや。ウチなら必ず京阪大の連中と喧嘩するし、喧嘩したらトドメまで刺すって。そう言えば権田原もアメリカから帰ってきたら行方不明になってた。部長になっても一人じゃ困るから加賀教授のところに行ったら、
    「人は出せん」
 なんちゅう無責任というか、港都大の救命救急医局の戦力じゃ南病院の完結型ERなんて背負えるわけないもんね。背負われへんのはウチでもわかるけど、後はどないせえちゅうねんと思ったけど、
    「木村先生には優れた点がある。人を育てる能力だ。自前でなんとかせい」
 教授のムチャ振りはいつもの事やけど、さすがにムチャやと思た。京阪大が撤退して南病院の救命救急が機能マヒになってもたんは新聞沙汰にもなったし、『市民の声』ってのもウルサイ。仕方がないからダメモトで公募かけたら、それなりに応募があった。さすがに南病院はブランド病院やと感心した。

 ただ集まった連中はウチを見て唖然としてた。そりゃ、そうやろ。ウチでも逆の立場やったらそう思う。もう腹括るしかなかったから、ガチガチの氷姫になって鍛え上げたった。その連中が使えるようになったら評判が上がってくれた。評判が上がると二度目の公募の時には審査せなアカンぐらい来よった。

 救命救急センターの評判は良くなったし、センターに来ると実力が付くとの定評も嬉しかったんやけど、ウチへの評価は気に入らへんかった。事もあろうに付いた呼び名が、

    『氷の女帝』
 ウチの忘れそうな遠い遠い目標は可愛い女になることやったけど、どうにも氷姫路線がお似合いなのかもしれへん。いや、どっか間違ってる。なんでウチは氷姫やらなあかんのよ。これやったらアメリカにおったら良かった。でも日本で働くのは見えてたしなぁ。ウチの先が見える能力も落ちて来たんやろか。