氷姫の恋:権田原講師

 実力至上主義の加賀教授の下でウチが頭角を現した煽りを食ってるのが講師の権田原。はっきり言わんでもウチも好かん。桐山教授が言っていた、男尊女卑のセクハラ・パワハラ野郎のステレオタイプ。

 権田原が救命救急科に来たのはヘルプで出入りして云々となってるけど、真相はそんなもんじゃなくて元の消化器外科医局に居づらくなったからで良さそう。それでも研修医ばかりの救命救急医局では教授、准教授について三番目の技量ってのが教授の評価やったで良いみたい。教授はそこしか見ない人だし。

 しかし権田原は実力至上主義であらへん。パワハラ野郎だから年功序列至上主義。これはそっちの主義の方が多いから権田原が特別悪い訳じゃないけど、教授や准教授も年功序列を尊重してると思い込んでいる頭の悪さ。権田原の目は節穴やろ。

 去年の指導医の割り当ては一悶着あったみたい。二年目から四年目が五人いるし、新入局が二人。まず指導をやりたがる教授はウチに振ることで丸め込んだみたい。さらに二年目以降も潰したくないから准教授が受け持つことにしたみたい。でも屋根瓦方式を取っても准教授もこの上に一年目の指導はちょっとしんどいってところ。

 准教授も下手に『シンドイ』って教授に言えば『じゃあ』と教授に言われたら困るから、切羽詰まって講師の権田原に潰したくない今年のホープの佐野君を割り当てることにしたみたい。もともと三人しか一年目の研修医を指導できる医者がいないし、そのうえ教授がとにかく使いにくい人なのよね。

 准教授は権田原にも不安はあったみたいだけど、教授が指導するよりマシって判断だったみたい。教授に割り振られたウチの扱いもアレやけど、ウチは潰れても惜しくないってのが優先ってところかな。去年の歓迎会でウチが早々と脱落すると噂されたのは、華奢な女医の上に教授が指導医であるのもあったのが、今となったら良くわかる。

 ところが佐野君は伸びなかった。伸びていないとは言わないが、伸び方が期待外れも良いとこぐらいの評価。佐野君が伸びなかった原因は必ずしも本人の能力とは言えないとウチでも思う。

 権田原の指導は教授と対極、とにかくやらせない。教授のやらせ過ぎもどうかと思うけど、権田原のやらせないも極端な気がするぐらい。そのうえ、失敗には極度の叱責が下る。何をやらせられても失敗が皆無のウチが異常なところもあるけど、傍目で見ていて、あれだけ怒鳴られたら萎縮する気がする。

 もっともウチは知らないけど、怒る度合いは噂に聞く教授よりマシの気はする、ただ権田原の怒り方はパワハラ風味満点のところが佐野君には応えた気がしてる。というか佐野君はもともとそういうキャラだったと見た方が良いのかもしれない。

 佐野君は学生時代から知ってはいるけど、快活なスポーツマンだった。それがひたすら権田原の顔色をヒヨヒヨと窺うようになるまで一ヶ月かからなかったと思う。そういう心理状態に追い込まれると、余計にミスが重なるし、思考や判断の幅も狭くなる。とにかく余裕がなくなってるのがウチでもわかった。

 体力だってあるはずだけど、あれだけ怒鳴られないように緊張の糸を張りつめすぎてると、シンドイと思う。緊張と無縁のウチと較べるのもこれもなんだけど、いっつも青白い顔しとった。笑顔どころか表情すら無くなってたからね。

 教授は無能を嫌うけど、一方で能力を見る目も持ってそうな気がする。医局員も少ないから、とにもかくにも一年保った点を評価したのかもしんない。あの教授の考えてる事なんかわかるはずもないけど、指導医を変えてみることにしたのだけはわかった。変えると言っても教授がやればトドメを刺すだけだから、准教授になればイイなと思っていたら、医局中が仰天した。

    「木村先生、佐野君を見てやってくれ」
    「教授、わたしはまだ二年目の研修医ですが」
    「だから?」
 権田原は顔を真っ赤にしてやがった。ウチも指導は初めてやったけど、家庭教師の時と似たようなものやった。とにかくバンバンやらせた。失敗したらウチがフォローするだけの話だからひたすらやらせ、出来たら褒めたった。単純やけど褒めたら伸びるタイプぐらいの見方。一ヶ月もすれば権田原の呪縛が解けたみたいでグイグイ伸びて行ってくれた。


 これでまたウチの評価が上がったんやんけど、面白くないのは権田原。ウチを完全に目の仇にしやがった。根が暗いわ。しょうもないことを仕掛けやがったんだ。研修医には抄読会があるんだけど、権田原は講師だから抄読資料を選んで研修医に渡す担当になっていた。

 そしたら見計らったようにやらかしやがった。その日は九時上がり、ウチが帰ったのを見計って抄読資料をウチの医局の机の上に配りやがったんだ。それも結構なぐらいのボリューム。抄読会は七時からだから立ち往生させようって姑息な作戦。

 ウチもカチンと来たけど、舐めてもうたら困る。大部と言ってもたかが二十ページぐらいのものやから、十秒もあれば余裕で覚えられる。でもそれだけじゃ、ウチの腹は収まらんかった。

 抄読会は教授の方針で英語でも、ドイツ語でも、フランス語でもOKとなってた。日本語の事が多いんだけど、時に英語で頑張る研修医もいた。この辺はまだ出たものがいないけど、いずれ海外留学にも派遣したいの思惑もあると聞いてる。

 だからフランス語でやらかしたった。どうしてフランス語かって。これは権田原のトラウマやねん。権田原はフランス留学に行ってるんやが、ついにフランス語が喋れずにノイローゼになり、三ヶ月で日本に舞い戻って来てるねん。その時の留学の評価が消化器外科でも足を引っ張り救命救急科に流れ込んだって面は確実にあるねんよ。

 それと抄読会って普通は研修医が抄読して指導医が質問がするものなんよ。この時も教授から質問はあった。教授からの質問はさすがにフランス語やったけど、権田原にはウチからフランス語で質問したってん。権田原の奴、必死になってなにかモグモグやってたけど、畳みかけるように質問したってんよ。権田原の奴、蒼くなったり、赤くなったり大変やってん。最後に追い打ちも掛けといた、

    「あれ、権田原先生ってフランス留学に行かれたはずですが、フランス語は苦手みたいですね。それなら次は権田原先生に合わせるために日本語でやらせてもらうことにします」
 権田原は何か言いかけたが、ウチは久しぶりに睨みかけたってん。なんも言いよらんかった。権田原の腕なんだけど、ハッキリ言わなくてもイマイチ以下の二流。何かあれば消化器外科の正式のトレーニングを受けてるんだと救命救急医を見下すんだけど、型にはまった手術ならともなく、少しでも応用範囲が広がると悪戦苦闘するんよね。

 ここは消化器外科やなくて救命救急科やから、手術だって消化器分野に収まるはずもないから、他の部位のオペも手がけないといけないんだけどヘタクソ。そのうえパワハラ野郎だから、失敗を助手だとか、コ・メディカルになすりつけて怒鳴りまくるんだ。権田原の得意のセリフは、

    「○○のせいで死んだ」
 テメエが殺してるんだとみんな思ってる。


 セクハラも嫌がられた。ウチにも仕掛けて来たことがあるんだ。まあお尻触る程度やけど、権田原が触ろうとした瞬間に十八G針を突き刺したった。掌突き抜けて、ウチの尻まで刺ささりそうになったのは愛嬌だったけど、

    「権田原先生、術者に無暗に近づかれると危ないですわよ」
 三遍ぐらい突き刺したらセクハラはせんようになってくれた。いや、もう一回仕掛ける気配があったからメス握って待ってたんやけど、さすがの権田原も殺気を感じたみたいやった。


 でも教授はもっと酷かったかもしれない。教授の実力主義の徹底ぶりに逆に驚かされたぐらいやった。救命救急学会があって、教授と准教授が行ったんだけど、留守番の責任者指名に、

    「木村先生、留守は任せた」
 権田原は真っ青なんて顔じゃなく、
    「木村先生はまだ二年目の研修医ですが・・・」
    「だから? ボクと赤城君が不在なら木村先生以外にはいない」
 学会の留守中は権田原はブーたれてサポタージュを決め込んでたけど、そんなもんウチが許すかいな。現場では教授の方針で、
    「使えるものは猫の手でも使え」
 サポタージュを決め込む権田原をメガホン使って呼び出して使いまくったった。そりゃ凄い顔で睨んで来たけど、ウチに睨みで勝負してどうする気ってところ。思いっきり睨み返したらヘコミやがったから、、有無を言わさずに顎で使いまくったった。ただオペやらすと殺しかねんから、
    「権田原先生、オペは結構。あの患者の前処置よろしく。それぐらいはできるでしょ」
 ものすごい睨みを利かせてすべて言うこと聞かせた。次の日は休みやがったら電話で呼び出し、
    「教授と准教授の留守中に講師が休むとは許されません。手足が動くならすぐ出てくるように。わたしは教授の代行、わたしの指示に従わないのは教授の指示に逆らうのと同じ」
 この『手足が動くなら』も教授の口癖。ウチと権田原のバトルは救命救急科の名物みたいになったけど、そのうち権田原も近づきもしないようになった。やっぱりメシ食うときに睨みながらやったのが効いたのかな。ウチが睨むとメシ食えへんみたいで、四日目には便所こもって食べとった。