今年でウチも二十九歳になってもたけど、医者にしたらまだまだ若手で中堅すらなってへん。それが病院の部長やで、それも市立南病院いうたら神戸どころか全国でも有数の大病院やんか。異例の出世とも言われるけど、正直なところエライ事になってもてるって感じ。
見た目は華奢やし、女やし、若いから、どうしたって舐めてかかるのはおる。医局員にだっておる。部長やから他の診療科とも渡り合わなあかんし、経営会議みたいな物にも顔出さなアカン。こういう世界で生き抜くには甘い顔してられへんのよね。もう年がら年中の氷姫状態。ウチを舐めてかかって血祭りに挙げられた者は数知れず。
お蔭で氷の女帝と呼ばれてまうし、ウチが歩くだけでみんな怖がってるのはイヤでもわかる、院長だろうが、診療部長だろうが、看護部長だろうが遠慮会釈しないから、今では、
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『病院で一番怖い人』
南病院に赴任以来ドタバタやってんけど、それでもそれなりに落ち着いてくれた。そうしてたら、なんか妙なものが夢で見えてくるの。どうも桐山教授とエレギオンを研究していた頃の記憶が甦って来たらしい。いや、これは記憶じゃないイメージ。なんかローマ風というか、ギリシャ風の格好して立ってる姿。
これもなんか神殿みたいなところに居て、一人が石で出来た椅子に座り、その周囲をウチを含めて四人が立ってるのよ。最初はそれだけだったんだけど、だんだんとハッキリしてくる感じがある。やがて音というか、声まで聞こえる気がする。どうもウチことを呼ぶのに、
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『首座の女神様』
夢は必ずしも順序立てて出てくるわけじゃなく、ランダムにあちこちのシーンが出てくるみたい。なんかヒイヒイ言いながら機織りしてる夢もあった。とにかく辛いのが夢でも分かった。織ってるのはウチだけやない、もう一人おるんやけど、そいつは結構平気な顔してる。なんかニコッと笑って、
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「残り五十枚よ、ファイト」
そうやウチは大聖歓喜天院家の能力者の血筋を引く女。大聖歓喜天院家の能力者のルーツはエレギオンの女神。ウチはその女神の中でも実質を取り仕切っていた首座の女神に違いないとわかった気がする。
これは桐山教授の仮説だけど、エレギオンは神政政治で、女神が本当に実在し、女神が政治を取り仕切っていたとしてた。女神の実在はウチの実在で裏付けられるとも。そしてウチはわかってもた気がする。
桐山教授は大聖歓喜天院家の能力継承の形態から、エレギオンにはそういう女神を生み出す系統が五つあったんじゃないかとしてたけど、それは違う。女神は五人なんやと。そう、裏も表もない五人が、乗り移っていってるだけだって。女神の能力を持つ人が生まれるんやなくて、女神が人に乗り移ることによって人が女神の能力を持つようになるのだと。
久しぶりに休日が取れたので桐山教授の家を訪問したの。本当は桐山名誉教授だけど、ウチにとっては永遠に桐山教授よ。美知子さんも大歓迎してくれた。というか忙しくてあんまり顔出してなかったから憤慨してたぐらい。そこで久しぶりにエレギオンの話をさせてもらった。
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「すると由紀恵君は、エレギオンの女神は能力だけでなく記憶も受け継いでいたというのかね」
「そのはずです。そうでなければ・・・」
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「う~ん、それだけではと言いたいが、否定材料もないな」
「傍証ならあります。神政政治は独裁政治と言い換えても良いかと思います。独裁政治でも良質の為政者がいれば政治は潤滑に機能します。民主主義よりよほど意思決定の速度は早いですから」
「まあそうだが、その代り暴君とか暗君が登場すればマイナス要素ばかりになる」
「古代エレギオンの始まりは不明ですが、カエサルに滅ばされてからでも千六百年ぐらいあります」
「女神の火炙りまでだな」
「それ以前の王国時代は千年以上は軽くあると考えられています。教授は二千年以上じゃないかともされていますが、安定しすぎてる気がします。安定かどうかは不明ですが、続きすぎてると考えます」
「言いたいことはわかった。それだけ神政政治が続く理由として、同じ女神、継続される記憶を持つ、同じ人格の女神が統治していたと言いたいんだろう」
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「由紀恵君が首座の女神であるとして、由紀恵君には記憶が継承されていないのはどう考える」
「いえ継承されている可能性があります。証拠は最近断片的に見る夢です」
「でも夢だし」
「そうなんですが、これはどこかで継承されてきた記憶を封印されたのではないかと考えてます」
「記憶の封印、なんのために?」
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「・・・もうウンザリよ。主女神起して終りにしようや。もうエレギオンなんて縁切れてもたし」
「ダメよ主女神は。あの苦労を忘れたの」
「あん時にはあんだけ反対したくせに。じゃあ、このウンザリするような記憶を封印してまおうや。そうすりゃ、一回こっきりの記憶だけで楽しいやんか」
「それはイイかもね。わたしもシンドクないって言えばウソになるから」
火炙りにされる少し前らしい。そうなると場所はシチリアになるけど、なんか隠れ家みたいなとこで良さそう。ここでも口論してる。相手はやはり次座の女神。
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「こうなったら主女神起して対抗するしかあらへんやん」
「わたしは反対。主女神の力はどう動くかはわからないし、たとえここを凌いでも流れが悪すぎる」
「見えるの? でも今だけでも凌がんと、火炙り熱いやんか」
「そうねぇ、熱いでしょうね」
「他人事みたいに言うてる場合やないやんか。エレギオン人だってもう守ってくれへんよ。ここだっていつ見つかるかわからへんし」
思い出した。ウチは逃げることを決断したんだ。次座の女神はあくまでも戦うことを主張したけど、どうしても無駄って見えちゃった気がする。そうして日本人の娘の故郷である兵庫津を目指して長い旅に出た。
兵庫津に着いたウチは、三年間にわたって日本人の娘の中で言い争っていた次座の女神を手近にいた娘に移したんだった。そうして前に見た記憶の封印につながるんだ。だから私の中には主女神も、残りの三座・四座の女神もいるんだ。それが今ははっきりとわかる。
記憶の封印の理由も思い出した。記憶を引き継いでいくのは財産とも言えるけど、ある種の不老不死。四千六百年も記憶を受け継ぎ続けて、生きることに倦んでしまっていた。次座の女神もそうだった。エレギオンの国民を守るって目的も失って、首座の女神であるウチですら生き続けるのが嫌になってた。
どうして記憶の封印が剥がれてしまったか理由はわからないけど、確実に封印は剥がれかけ、記憶が甦りつつある。これは次座の女神も同じなんだろうか。それとウチが主女神や二人の女神を抱え続ける理由はなんだろう。
ウチは試してみることにした。ウチが抱えてる女神を他人に移すことなど出来るのかって。相手は誰でも良かったんだけど、女神だから女の方が良いだろうとは思った。そんな時に中学生の子が救命救急に担ぎ込まれてきた。ヒステリーからくる過換気ぐらいだったけど実はお馴染みさん。何故かこの子に移したくなった。選んだのは三座の女神。
やり方なんてわかんなかったけど、念じてみれば女神が移るのがわかった。移った途端に過換気症状はピタッとやみ、二度と受診する事はなくなった。移してみてわかったんだけど、ウチの体がラクになった気がした。なにか重荷を下したみたいな感じ。どうも抱えている女神がわかった瞬間から、重い感じがしてたのよね。これで良かったかどうかはわからないけど、抱えてる女神は移せることはわかった。移した子の名前は香坂岬となっていた。