氷姫の恋:アメリカ留学

 二年目は権田原とバチバチやってるだけじゃなかったの。教授から、

    「USMLEを取れ」
 こんな指示が出たのよね。アメリカの医師免許試験だけど、教授に逆らう気もなく受けたけど、ステップ1、ステップ2、ステップ3ってあって、そのたびにアメリカに行くのは面倒やった。クリアしたら、
    「ECFMGサーテフィケイトも取っとけ」
 アメリカの医師制度はUSMLEだけじゃ医療行為はできなくて、ECFMGサーテフィケイトも取得した上で、さらに州ごとの資格審査のFVCSの書類審査が必要なんだけど猛烈に厄介。何回国際電話で怒鳴りまくったかわからないぐらい。なんだかんだと三年目の夏までかかってもた。

 まさかウチをアメリカで開業でもさせる気かと思ったぐらい。だってそうでしょ、普通海外留学って言っても研究じゃない。救命救急科に顕微鏡除いたりガスクロマトグラフィーの研究が必要かどうかは疑問だし。でも教授が取れって言うから取ったけど

    「木村先生、紹介状だ。費用は悪いが出せない」
 ちょっと待ってよ。いきなり海外留学ってなによ。それも自費だって。あんだけ安月給でコキ使っといて、そんなカネあらへんやんか。アメリカの医師免許を取る費用だって一銭も出してくれてへんからウチの財布はスッカラカン。桐山教授のところに帰って悩んでたら、
    「由紀恵君、おめでとう。アメリカ留学に選ばれたそうだね」
    「え、ええ」
    「加賀教授から聞いた」
    「でも・・・」
 おカネのことを切り出したいけど美知子さんが怖い。
    「ボクもビックリしたよ。あの加賀教授がボクに頭を下げて頼むんだよ。なんとか行かせてやってくれって」
    「あの、その」
    「もちろんOKしたよ」
 そしたら美知子さんが、
    「はい」
 そう言って通帳渡してくれたんだけど、
    「木村さんの遺産だよ。木村さんも、奥さんもしっかり生命保険に入っていたし、ずっと由紀恵さんのために積み立ててくれてたんだ。由紀恵さんのものよ」
 ウチは金額を見て茫然としてしもた。
    「木村も見たかったろうな。由紀恵君の晴れ姿を」
    「ほんとに」
    「木村が生きていたら、嬉しくて朝まで飲み明かしていただろうな」
    「ホントに、木村さんも強かったですから。大ウワバミなのは由紀恵さんそっくり」
 えっ、えっ、えっ、お父さんは、
    「父はお酒が弱かったですから」
 そしたら教授夫妻は顔を見合わせて、
    「あははは、由紀恵君は桁外れだけど、木村も世間じゃ酒は強いって言うんだよ」
 知らなかった、お父さんは好きなお酒も控えてまで、ウチのためにおカネを貯めてたんだ。ウチはもうどうしようもなかった。涙を流すなんてものじゃなかった大号泣だった。そしてアメリカにウチは旅立った。


 ただ不安はテンコモリ。英会話には不安はないけど、女の身で単身アメリカに渡るのも不安といえば不安。アメリカって治安は良くないって言うし。アメリカ野郎にもウチの睨みは通じるんやろか。それより不安なのは教授から渡された紹介状。これが簡潔というか、短いというか、なんにも書いてないと同然いうかで、

    『アイ・アプルーブド』
 たったこれだけやで。『私が認めました』って意味ぐらいやけど、英語にすればたった単語二つしかないのよ。普通は文頭に『ディア』なんとかぐらいつけて、時候の挨拶みたいなものがあるはずやし、文末に『どうかよろしく』ぐらいでまとめるもんやろ。本文かってウソでも、もうちょっと美辞麗句を並べるやんか。だいたい何を認めたかさえ、これじゃわからへんやんか。というか紹介先にも失礼過ぎると思うのよね。

 正直なところ、こんなものでどうにかなるかって心配やってん。宛先の大学病院行ったんだけど、これがまあゴッツイ病院で港都大学病院が小病院に見えるほど。案内されて教室に行って出てきたのは、ちょっとどころやない、かなりいかつそうなオッサン。教授は紹介状を読んだんだけど、あんな短い紹介状をウンウン言いながら読むのよね。読むったって単語二つやのに穴が空くほどにらみ続けた末に、

    「君が加賀の認めた弟子か」
 こういうのよね。教授の質問の意図がイマイチわからんかったけど、紹介状の『認めた』の意味はたぶんそういうことだろうと思って、
    「そうだ」
 そうでないって言うのも変やんか。そしたら、いきなり腕を見せろって言うの。えっと思ってるうちにERに案内されて『どうぞ』って見てやがんの。ほいでもって、あてがわれたのはクソややこしい重症患者。ここで放り出されたら行き場がないから必死でやったわよ。そしたらね、感極まったように、
    「あの加賀が認めた弟子に間違いない。そんな医師がいるなんて・・・」
 夜は教授宅に招かれ、やっと事情を聞かされた。加賀教授はアメリカでは伝説を越えて神格化されてるみたいだった。ただ指導法は例の調子だから、アメリカでも付いて行くのは大変で教授すらも、
    「私も教えてはもらったが弟子じゃない落第生だ。アメリカでも加賀の弟子として耐え抜いた者はいるが、加賀が認めた弟子がいたとは聞いたことが無い。だから私に臨床技術を学ぶ意味はない」
 そんなぁ、アメリカまで来たのに、これじゃあっと思ってたら、
    「君は救命救急のシステムを学べ、それと救命救急の技術体系を学べ。あの加賀がわざわざ私のような落第生を選んで、ここに送り込んだのはそのために違いない」
 うん、それなら良いかも。
    「それとこれは私からの頼みだが、ウチの連中に少し教えてやってくれ。それ相応の給料は払う。本物の加賀の技術がどれほどのものか知ることは、ウチの連中の将来にきっと役立つ」
 指導医待遇って扱いで採用されたんだ。『待遇』の意味はウチに指導資格がないこと。そりゃ、日本でだってたかだか三年目の研修医だから資格なんて取りようがないし、アメリカならなおさらってところ。ウチは研究の合間に働き、その働きぶりを見せれば良いぐらいってところ。

 でもこれは助かった。研究だけなら学費を支払うだけになるけど、働けば給料が入って来る。だから加賀教授はアメリカでの臨床医資格をわざわざ取らせたんだって、やっとわかった。

 ウチはとにかく加賀教授をお手本に実戦臨床技術を覚え込んだだけで『本物の加賀の技術』も価値とか凄さはさっぱりわからへんかってんけど、アメリカ人は驚嘆してた。どうも加賀教授は神格化され伝説化され過ぎてアメリカ人でも、

    『ホンマにそんなこと出来たのか』
 疑問視され取ったみたいで、そのうえ本物の加賀教授じゃなくて認められたとはいえ弟子やったからバカにしとったみたい。それがウチの臨床を見て、
    『オー、ジーザス』
 二年間のアメリカ留学の収穫はあったと思う。帰る時にはあれこれ引き留められたけど帰った。だってウチも二十八歳になってまうやんか。口説く奴もいたけどアメリカ男は趣味じゃない。それと久しぶりに先が少し見えたんだ。日本で働くウチの姿が、ただなにかイヤな雰囲気もあったがとにかく日本に帰った。