ボクは港都大大学院考古学部エレギオン学科修士二年の柴川裕太です。このエレギオン学科ですが、もちろんエレギオンの歴史を研究する学科なのですが、
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『エレギオン学そのものが謎である』
この相本分類なのですが、発掘調査が終わってまもなくに発表されているのですが、その時点ではエレギオンの歴史・文化については全くといって良いほど不明状態でした。それを分類整理したと発表しても冷笑しか出て来なかったそうです。ところが研究が進めば進むほど、相本分類の呆れるほどの正確さが次々に証明され、今や絶対基準と見なされています。
この相本分類がいつ行われたかですが、発掘直後にほぼ終了しているのです。つまり相本准教授は出土した瞬間にすべての出土品の分類を行った事になります。こんなことがあり得るはずがないので当初は冷笑どころか嘲笑もされたのですが、いくら研究しても相本分類を覆すどころか、裏付ける結果しか出て来ないのです。
ではでは、相本准教授がエレギオンのすべてを知っていたかといえば、そんなことはありません。たしかに相本准教授は天城教授と並んでエレギオン学の最高権威なのですが、それでもわからないことが多数あります。相本准教授にも聞いたことがあるのですが、
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「とにかくこの分類は疑ってはならないの。これ以上の分類は絶対できないから」
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「なにが書いてあるかは私も知らない。それはあなた方がこれから調べること」
ボクが研究テーマに選んだのは音楽です。ボクもピアノをやっていましたし、アマチュア・バンドを組んでいたぐらい好きです。それとこれまで手付かずの分野になっています。音楽を研究分野に選びたいと天城教授、相本准教授に相談したら、
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「それは素晴らしい。期待しているよ」
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『エレギオン学の女神』
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「ここにいないと研究できないじゃないの」
もう一つ不思議な点は未だに独身の点です。別に独身であっても構わないようなものですが、誰に聞いても彼氏の一人もおられた話すらないのです。そうなると天城教授との仲を勘繰るのは下衆の常ですが、これさえも助教クラスに聞いても、
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「ないない、絶対ない。准教授は開かずの金庫処女だから」
何が言いたいかですが、男を寄せ付けない雰囲気などどこにもなくて、むしろあれで言い寄る男がいない方が不思議です。そんな相本准教授を事もあろうに『開かずの金庫処女』と呼ぶのがどうしても理解できません。これもエレギオン学の謎の部分です。
さてボクの研究テーマの音楽ですが、相本分類をこの目で見せつけられることになりました。音楽分野に関しては本当に手つかずで、発掘当時に分類されたままになっていました。だってまだビニール袋に入ったままだったからです。
ただですが、ビニール袋に入っている断片は一つの石板なり粘土板ごとに既に分類されているだけでなく、すでに歌詞別、楽譜別、記録別、さらに年代別の分類が終り、歌の題名まで書かれています。普通はここまで終わっていれば分析は終了したも同然なのですが、エレギオン学の摩訶不思議な点は、そこに何が書かれているかは完全に未知なのです。エレギオン学で難しい点はとにかく解読になります。エレギオン文字と呼ばれていますが、源流はシュメール文字と一般的には見なされています。ただシュメール文字と同じかといえばそうでもなく、相本准教授は、
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「おそらくエラム語がシュメール語の源流で、当時のウルクを中心としたシュメールの共通語になり、これが逆流してエレギオンの故地であるアラッタに影響している部分があると考えてるわ。さらにアラッタからエレギオンに移った後に独自の発達をした部分があって、そこの変遷を追いかけないと読めないの」
ボクの音楽分野の研究も手強いものになっています。書いてある文字を読むのも難解であるのに、そこから楽譜の記載法を見つけ出さなければならないからです。なんとか音階の記載法らしきものの手がかりを見つけ出しましたが、これだって書かれているものが楽譜と最初からわかっていたからわかったようなものだからです。音階のヒントを見つけた事を天城教授に報告すると、
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「君は優秀だ。これだけでも十分すぎる大発見だから発表したまえ」
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「教授、特別講演として『女神賛歌について』とありますが、ボク以外に音楽分野を研究していた人がいるのですか」
「いや、君の見たとおりだ。まだ手つかずの分野で、研究センターでも君が初めて手に触れたものだ」
「それとこの立花小鳥って何者なのですが、どうみても一般人なのですが」
「そうだよ。大学ではイタリア文学専攻で、卒業されてからは社会人になられている。エレギオン学会には最近になって参加されている」
「でもエレギオン学会の入会資格は・・・」
「それ? ボクと相本君が連名で推薦したら審査は問題なかったよ」
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「立花小鳥って在野の長年の研究者なんですか」
「いや、まだ二十五歳ぐらいだったと思うけど」
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「まともな発表なんか出来るのですか」
「うん? 今回の目玉講演だ。あの立花さんが講演してくれるのがどれだけ有難いことか。君の研究にも大いに役立つと思うよ」
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「ボクも興奮している。あの立花さんが講演してくれるなんて夢みたいだ」
「そんなに凄い方なんですか」
「凄いなんてレベルじゃないよ。そうだな、天城教授が富士山だったら、立花さんはエベレストでも足りない、宇宙ステーションでも足りないぐらいかな」
「そんなぁ・・・何者なのですか」
「懇親会も出て下さるそうだから、君も話を聞いてみると良い」
長さもどうやら長短様々にあるらしいのと、複数の女神賛歌をつないで歌うこともあるらしいぐらいまでつかんでいますが、とにかく解読が大変すぎて、どういう時にどれがどういう風に歌われたのかは全く不明です。漠然と祭祀の時に歌われたぐらいしかボクも発表では言えませんでした。
特別講演が始まり立花氏が姿を現した時にはまさにビックリしました。二十五歳ぐらいと聞いていましたが、もっともっと若く見えます。それに文字通り『素敵』を絵に描いたような方だったのです。白状しますが、立花氏を見て一目惚れしない男がこの世にいるかどうかレベルです。立花氏の講演は圧巻というか、ボクですら理解をはるかに超えるものでした。というか余りにも断言されるのです。特別講演で採り上げられた女神賛歌はボクの調べた範囲では目にしていないものでしたが、
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「この女神賛歌は重要な儀式の始まりに使われています」
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「センターにある女神賛歌には御発表された歌詞は現在のところ見つかっていませんが」
「女神賛歌はコーラス部分と女神合唱、女神ソロの部分があり、女神が歌う部分は記録するのは禁じられています。国民が覚えるのは合唱部分のみで、図書館の記録にもそれしか残されていません」
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「どうして誰も立花氏の主張の根拠を掘り下げないのですか」
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「そんな必要がどこにあるんだ。あの講演の内容がエレギオンの音楽分野のすべての根拠であることを疑う余地などどこにもない。これを聞かせてもらえる幸せがどれほどのもか」
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「柴川君も音楽分野の研究をしているのだから、話を聞きたいだろう」
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「音楽分野の研究は価値ある物です。ぜひ、その謎を解き明かされるように期待しています」
「柴川君、そういうことだ。この謎を解き明かすのが君の仕事だ」
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「立花専務が知っておられるのは当然のことだが、我々はまだ解明の端緒に付いたばかりだ。エレギオン音楽については何もわかっていないのに等しいのだ。君が今日発表した音階も誤りが多かっただろう」
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「柴川さんの御研究の参考に女神賛歌の一節をお聞かせしますわ」
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「立花専務、本当に良いのですか」
「こんな夢のような起るなんて」
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「まさに女神だ・・・」
「柴川君、わかったかね。これがエレギオン学なんだ」
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「柴川君、是非次回の発掘プロジェクトに参加してくれ。そうすれば、君が疑問に思っていることがすべてわかるよ」
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「かなり進歩したわ。ここまで来るのが大変だからね」
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『エレギオン学そのものが謎である』