シオリの冒険:ユウタ教授

 港都大学院の教授の定年は六十五歳。それでもってボクは六十歳。五十三歳の時に妻の雪乃から教授職を受け継いでます。天城名誉教授、妻の雪乃に次いでエレギオン学科の三代目教授です。

 ボクの教授になった時の目標はエレギオン第三次発掘調査を行うこと。雪乃時代も企画だけはあったのですが、所在国のクーデター騒ぎがあったりして出来ていません。もっとも雪乃は、

    「エレギオン発掘調査成功のカギはエレギオンの女神の協力が得られるかどうかなのよ。ユウタが私を選んだ時点で、私の時代にしょせんは無理だった」

 それでも発掘調査はエレギオン学を志す者に取って夢なのです。でも取りかかってみると、それ以外にも難題はテンコモリで雪乃に言わすと、

    「エレギオンに行くのは大変よ」

 雪乃は第一次調査の前の予備調査まで参加経験があり、その時は野宿そのものだったと話してくれます。第一次調査の成功は女神の協力だけでなくクレイエールの全面支援があったからだとも口癖のように話します。ボクは第二次調査しか参加経験はありませんが、

    「あの時も大がかりだったけど、第一次調査はそれ以上だったの」
 遠征調査ですから費用の概算から入るのですが、三十五年前の第二次調査の会計報告書を見ただけでゲッソリ気分です。三十五年前でこの費用ですから、発掘機材の調達、その輸送費用、現地作業員への賃金、もちろん食費・・・今ならいくらになるかです。

 大学からの研究費ではお話にもなりません。そうなると企業からの協賛を募らないといけないのですが、第二次調査の時とは様相が異なっています。あの時はエレギオン・ブームがあって、どこもホイホイと協力してくれたと雪乃は言ってますが、今じゃどこも渋い顔。もちろん自前でも資金集めをしていますが、これも雪乃曰く、

    「あの時は講演会やテレビ出演の依頼が目白押しだったけど・・・」

 今だってありますが、較べるのもアホらしいぐらいです。教授に就任してから七年になりますがエレギオンの遠さにため息が出ます。それでもギリギリぐらいで行けそうな段階まで漕ぎ着けていますが雪乃は、

    「これだけの資金を集めて空振りだったら大変よ」

 そう最初の問題であるエレギオンの女神の協力問題です。これだってボクも思い切ってコトリへの連絡を試みようとしました。しかしその矢先にニュースとして飛び込んできたのが、

    『エレギオンHD副社長、立花小鳥氏が亡くなる』
 目の前が真っ暗になる気分でした。エレギオンHDではコトリ以外にも小山社長も存じているとはいうものの、やはりコトリとの一件以来疎遠になっています。会議では来春予定の発掘調査を決行するか否かで小田原評定状態です。

 少し話が変わりますが、気になる学生がいます。ちょうど雪乃の退官の年に入学した月夜野うさぎ君です。とにかく派手というか、突拍子がないというか、軽いというかで、ウサギ耳のカチューシャがトレードマークで、

    「は~い、ウサギだよ」

 このノリだものですから学内一の人気者として良いかと思います。ウサギのカチューシャも最初の頃は問題になりかけたのですが、とにかくあの笑顔で、

    「えっ、ダメなの。これはウサギのアイデンティなのに・・・」
 いつしか黙認されてます。噂では学長にバニーガール・スタイルで許可を迫ったなんて話もありますが、とにかく今は講義であれ、なんであれ、月夜野君のウサギ耳は公認みたいなものです。

 この月夜野君のバニーガール・スタイルも有名で、さすがに講義には着て来ない、いや来たこともあるそうですが、飲み会とかになると必ずと言って良いぐらいです。それでもって、これが実によく似合う。だから飲み会系には呼ばれまくりですし、参加しただけで大盛り上がりです。

 そうそう月夜野君のバニーガール姿で有名なのは学祭でのたこ焼き屋。そりゃ月夜野君がバニーガール姿で焼いてるだけで人気が出るのは当然そうですが、このたこ焼きがまさに絶品。

 焼いてるのも玉子焼きとか明石焼きと呼ばれるもので、普通のたこ焼きと違います。ボクもそれほど詳しくないのですが、生地に小麦粉だけでなく浮き粉も使うので非常に柔らかく、ソースじゃなく出汁に浸して食べます。もちろんソースも用意されていて、どちらでもOKです。

 焼鍋も普通のたこ焼き鍋より浅いだけでなく銅製で、千枚通しではなく菜箸でひっくり返して焼き、焼きあがれば上板にひっくり返して出されます。それだけの道具を用意するのも大変だと思いますが、手際も実に鮮やかです。

 学祭の目玉の一つとされてて、必ず長蛇の列が出来るものですから、月夜野君はバニースタイル姿で朝から夜遅くまで焼きまくります。ボクも好きですが雪乃も好きで、月夜野君が大学院に進学してくれて喜んだ連中は少なくなかったと思います。


 エレギオン学とは古代エレギオンの文化や歴史を調べる学問ですが、その資料は発掘調査で見つかった膨大な出土品になります。とくに粘土板に記された文字の解読・研究は重要なのですが、そのエレギオン文字の修得が厄介です。

 エレギオン語はエラム語・シュメール語の流れを汲みますが、独自に発達している部分が多く、未だに解読できない部分も数多くあります。教える方がそのレベルなもので、学生にとっても高いハードルになり、ここで挫折してしまう学生も少なからずいます。

 月夜野君は修士二年、博士四年コースなのですが、まず修士論文が必要です。エレギオン学科では語学力をテストもかねて、アブストラクトの部分をエレギオン語に訳してもらっています。これは学生には地獄と呼ばれるぐらい苦痛になっています。

 修士論文もいきなり教授会にかける訳じゃなく、まず教授のボクが予備審査を行います。順番に学生を呼び出して、論文の足りないところ、書き直した方が良いところの指摘をします。例のエレギオン語への翻訳はこの時に持って来させています。

    「月夜野君、こ、これは」

 目が点になりそうでした。月夜野君はなにを勘違いしたのか全文を翻訳して持って来ているのです。

    「今日は講義じゃないです」

 仰天したのはもう一つあって、それは月夜野君の格好、なんとバニーガール姿のです。講義の時は控えるとなってますが、今日は講義じゃなく論文の予備審査だから問題ないはずとしているのが、月夜野君の返答です。

    「いや、そうだけど、そうじゃなくて、君は何者なんだ」

 ボクが聞きたいのは、どうしてここまでエレギオン語が出来るのかでしたが、

    「は~い、ウサギだよ」

 月夜野君は自分がウサギだからバニーガール姿をしているとの返答になってしまいました。噛みあわない会話に続いて、バニーガール姿を咎めようか、エレギオン語の修得能力を褒めようか悩んでるうちに、

    「ウサギは合格ですか」
    「うむ、そうだが・・」
    「やったぁ」

 大喜びで小躍りして教授室から出られてしまいました。そんな月夜野君ですが第三次調査には強い関心があるようです。もっとも、

    「大旅行じゃん、秘境の旅じゃん、温泉はあるのかな。そうそうエレギオン調査用のウサギ耳も考えなくっちゃ。もちろんバニースーツも新調しなくっちゃ」
 こんなノリでしたが、ある日折り入って個人的な相談があると持ちかけられたのです。教授は学生の相談役も仕事のうちと考えています。学業に関わる部分はもちろんですが、卒業後の進路相談もありますし、時にはもっと個人的な用件もあったりします。

 ただ月夜野君に関しては、月夜野君が入学して初めてのことです。月夜野君は人気者の上に社交家で、准教授や講師、助手連中とは親しくしていますが、なぜか教授のボクとは一線を引いてる感じで、これまで個人的な会話とか、相談とかされたことがなかったのです。珍しいこともあるとは思いましたが、

    「一杯、飲みながら聞こうか」
    「ありがとうございます。でも、宜しければ教授のお宅で相談に乗って頂ければ嬉しいのですが」

 まさかボクに襲われるのを警戒してだと思えませんが、家でなら安くなるので雪乃に連絡して準備させました。ボクの家は大学の官舎。天城名誉教授も使われていましたが、相当どころか年季の入った建物です。

    『ピンポン』

 ひょっとしてバニーガール姿で来るのではないかと心配していましたが、なんとトレードマークのウサギ耳がありません。それだけでなく、いつもの派手でチャラチャラした格好ではなく、華やかではありますがグッと落ち着いた装いです。玄関を開けた瞬間は誰だか一瞬わからなかったぐらい、実に美しくて魅力的な女性がそこにいます。雪乃も挨拶に出たのですが、

    「相本教授、お久しぶりです」
    「もう十年ぶりぐらいかしら」

 えっ、どういうこと。月夜野君が大学に入った時の教授は雪乃ですから、顔ぐらい覚えていても不思議ないのですが、十年前とはどういうこと。十年前なら月夜野君はまだ高校生のはず。そこからは食事になったのですが、

    「柴川教授、来春に予定されているエレギオン発掘調査ですが」
    「うむ、月夜野君も行きたいそうだね」

 やはり、その相談か。ボクも院生の時にエレギオンに行くことで研究者の道に目覚めたようなものですから、学生も希望者は連れて行ってやりたいのですが、行くとなれば相当な費用が必要です。現状では学生だからと言って、ほとんど補助も出せない状態です。

    「来春には是非行って頂きます」
    「予定はそうだが、調査隊派遣までまだ解決していない相談が残ってて・・・」
    「問題はすぐに解消させます」

 何を言ってるのだ。費用だってまだ十分とは言えないのに、

    「費用についての御心配はありません」
    「なにを言っているのだ」

 そしたら月夜野君は雪乃の方に向き、

    「いろいろ思われるところがあるかもしれませんが、是非ご承諾ください」
    「かまいませんよ。私がこだわっちゃってる部分ですもの。月夜野さんがそれで宜しければ異存はありません。あの地はエレギオン学にとって聖地です。もちろんあなたは私たちなんかより遥かにそうでしょうが」

 なんの話をしてるんだ。雪乃は何を知ってるんだ、

    「柴川教授、話は決まりました」
    「君に何が出来ると言うのかね」
    「エレギオンHDの全面支援の取り付けです」
    「そんな事が出来ると言うのか」
    「もちろんです」

 一介の学生があのエレギオンHDを動かせるはずがないと思いながら、月夜野君の自信に満ちた口ぶりに気圧されています。

    「もう一つの問題ですが・・・」

 まさか、あの問題を月夜野君が知っていると言うのか、

    「・・・小山社長の参加は無理です」
    「どうしてそれを・・・」
    「その代りに私が行きます」

 えっ、えっ、えっ、月夜野君の修士論文が突然思い出されました。そしたら雪乃が、

    「あなた、鈍すぎるわよ。それじゃ、エレギオン学の教授として失格よ」
    「それじゃあ、月夜野君は・・・」
    「昔の恋人ぐらい覚えておきなさい。大叙事詩解明の大恩人でもあるのに」

 月夜野君はニッコリ笑って、

    「ゴメンね、ユウタ。出来れば伏せときたかったの。やっぱりイヤでしょ。でも、どうしてもエレギオンに行く用事が出来ちゃったのよ。今の調子じゃ来春だって危ないじゃない。だからシャシャリ出ざるを得なくなったのよ」

 間違いないコトリだ。

    「雪乃、いつから気づいてたんだ」
    「学祭でたこ焼き食べた時。女の勘は鋭いのよ」

 そこから第一次、第二次発掘調査時代の思い出話に花が咲きました。

    「・・・ユウタはね、究極の選択をしたのよ。首座と次座の女神を両天秤にかけた男はユウタ以外にはセカぐらいしかいないよ」
    「いや、あの、その・・・」
    「その上だよ、次座の女神を捨て去ったんだ。どれだけ泣き暮らしたことか」
    「それは逆じゃ・・・」

 そしたら雪乃が、

    「あら、嬉しい。私はエレギオンの女神より魅力的だったのかしら」
    「ユウタの趣味的にはそうなる」

 二人から突っ込まれっぱなしで、もう大変。

    「それだけじゃないよ。ユッキーもプリプリ怒ってた。
    『コトリを捨てたのは許すけど、わたしに見向きもしないってどういうこと』
    あの時はた~いへん。しばらくエレギオンHDに顔を出さなかったのは正解よ。ユッキーは怒ると怖いのよ」

 あれこれ話があった後、

    「ミサキちゃんに会いに行ってね。話は通ってるから」
    「まだ退職されていないのですか」
    「元気だよ。まだ覚えてるでしょ、今は常務さんだよ」

 数日後にアポを取って訪ねると、香坂常務が現れたのですが、

    「お久しぶりです柴川教授」
    「こ、香坂さんですよね」
    「話は伺っております。当社は出来る限りの支援を行わせて頂きます」

 もうビックリしたなんてものじゃありません。香坂さんに最後に会ったのは、まだコトリと付き合っていた頃。それなのに全然変わっていません。コトリのお蔭で話はスムーズに進んだのですが、突然ドアが開き、

    「ユウタ、見つけたぞ。コトリに聞いたと思うけど、今回は悪いけど行けないよ。だからと言って、コトリと浮気なんかしたら、相本教授は家に入れてくれないだろうから気を付けてね」
    「こ、小山社長」

 雪乃の言う通りです。ボクのエレギオン学はまだまだ未熟でした。女神は不死でこそないものの、不老なのは知識として知っていましたが、それを改めて思い知らされた気分です。小山社長も最後にバーで会った時からまったく変わっていません。

    「ミサキちゃん、バッチリ頼むよ。手抜きすると後でコトリがウルサイから」
    「ホテルでも建てますか」
    「後の処分が厄介だからホテルはやめといて」
    「かしこまりました」

 エレギオン学教室が立てていた計画が、子どもの砂遊びに見えるほど壮大かつ充実した計画が出来上がっていきます。

    「そういえば月夜野君、いや立花副社長の時差ボケは」
    「相変わらずじゃないかな。でもね、エレギオンに行けるのなら、それぐらいは苦にもしないよ。わたしも行きたいんだけど、こっちの仕事が手を抜けなくて」