女神伝説第4部:クール・ド・キュヴェ

 さて魔王が滅びる二年ぐらい前の話に遡ります。ある日の重役会議でコトリ専務が議題を提出されました。コトリ専務が問題視したのはクール・ド・キュヴェ事業です。この事業はクレイエール・ブランドから高級品部分を分離発展させたもので、もともとコトリ専務が手がけられ、小島知江として亡くなられてからは高野副社長が引き継がれています。

    「クール・ド・キュヴェはもっと大きく発展させるべきかと考えております」
    「立花君、そうは言うが超高級品分野のマーケット自体は限られているし、競合する海外ブランドも多い。これ以上の飛躍は容易でないと考えるが」
    「国内市場に限ればそうでしょうが、世界を見据えれば変わります」
 ここで社長が、
    「海外事業部長の意見はどうかね」
    「はい、超高級品分野はブランドが重いところがあります。クール・ド・キュヴェは国内でこそ、一定の評価を得ていますが、欧米ではまだまだ知名度が低いところがあり、急速な発展は難しいところです」
 コトリ専務は、
    「だからと言って、あきらめて良いものではないでしょう」
    「誰もあきらめるとは言ってません。ブランド価値を高め認めてもらうには、どうしても時間がかかるところでして・・・」
    「では御質問します。海外事業部では後何年でブランド価値が確立するとお考えですか」
    「それは・・・」
    「ここは経営方針を考えるところです。そのうちとか、いつの日かとかではなく具体的なタイムテーブルをお願いします。二年後ですか、三年後ですか」
 ぐっと詰まる海外事業部長したが、
    「一朝一夕では認められないところがあり、特効薬的な手法はないかと存じます」
    「一朝一夕と仰いますが、クール・ド・キュヴェが始まって何年でしょうか。高野副社長に引き継いでもらってからでも六年になります。六年経っても海外事業部長は未だに一朝一夕状態で見通しすら立たないと仰るのですか」
 ここで社長がとりなすように、
    「立花君が言いたいこともわかるが、欧米相手となると日本とは桁が違うセレブが相手となる。我が社も日本でこそ名の通ったメーカーだが、海外となると無名のアジアのメーカーに過ぎない」
    「では社長もクール・ド・キュヴェは国内限定ブランドとして満足されておられるのですか」
 クレイエールで重役待遇になるのは執行役員以上で、ステップとしてヒラの執行役員、上級執行役員、秘書付上級執行役員、常務執行役員、専務取締役、副社長、社長って序列です。もう少し複雑なんですが、おおよそはそんな感じの理解で良いかと思います。会社の錚々たる重鎮が並んでおられるってところです。

 このうち女性役員は三人。もうちょっと増えて欲しいのですが、とりあえず三人であり三女神です。現在のミサキは秘書付上級執行役員、これも重職なんですがシノブ常務はナンバー・フォー、コトリ専務はナンバ・スリーを占めておられます。ミサキもそれなりに発言権が重くなっていますが、コトリ専務、シノブ常務の発言や意見は会議でも相当重いものになります。

 ここでいつも内心笑いそうになってしまうのですが、専務や常務の発言が重いのは当たり前なんですが、クレイエールの重役会議はちょっと変わった面があり、最終的には三女神、とくにコトリ専務の発言が重いのです。そりゃ、いくら社長や副社長の意見でも平気で異を唱えますし、コトリ専務が異を唱え出すと、シノブ常務やミサキも大抵は同意します。三女神が反対に回ると社長でさえ押し切れないからです。

 勢い、三女神の意見に注目が集まるのですが、ボスと言うべきコトリ専務は実年齢も含めてキャピキャピですし、シノブ常務は制服が良く似合った可愛いお姿なわけです。ミサキだって若い女性社員にしか見えないのに、並んでいるオッサン連中は三女神の意向がどこにあるか必死で探っている様相になってしまうのです。おっと会議は進んでいます。それにしても今日のコトリ専務は気合が入っています。さて社長ですが、

    「誰も未来永劫、クレイエールが国内企業に留まるとは言っておらん。現に早くから海外事業部を設け、海外展開への布石は打ってある」
 今日の社長は苦しそうです。社長の発言はコトリ専務の餌食になりそう、
    「社長、布石と仰いましたが、布石だけでは意味がありません。布石とは後の展開に役立ってこその布石です。クール・ド・キュヴェは超高級路線を目指した時点で海外展開は必須の事業です。布石であるはずの海外事業部が、今でも一朝一夕などという発言をされている時点で、石は活用されていないと見るべきかと」
 ふと海外事業部長の顔をみると真っ青です。そうなるよなぁ、コトリ専務が叱責すると言うことは三女神に叱責されていることになり、三女神を敵に回してクレイエールで生きて行くのは難しくなるからです。ただ、ここまでほぼ名指しで叱責するのも珍しいことです。社長が憮然としていますが、これもコトリ専務の意見に対するものなら、いつもの事です。コトリ専務は重役連中を見回した後に、
    「皆さまがおわかりになったように、現時点でクール・ド・キュヴェを海外に本格展開させる計画も、見込みも立っていないことがおわかり頂けかと存じます。無いのであれば作れば良いだけです」
 そこで提案された戦略ですが、
    「たしかに短期で効果が望める可能性はありそうだね」
    「はい社長。海外展開といっても、目指すマーケット自体は大きなものではありません。社長が仰られたように限られたセレブ相手のものです。その層を魅了すれば切り込み戦略としては十分かと存じます」
    「そのために君はこれだけの時間と費用が必要だと」
    「私がやらなくては意味がありません。ただ小島知江ならともかく立花小鳥では準備がどうしても必要になります」
    「そのとおりだが・・・」
 社長はじっと考えた末に、
    「立花君、一人で行くのかね」
    「いえ、二人で行かせてもらいます」
    「誰かね?」
    「秘書を同行します」
    「ひょっとして・・・」
    「そういうことです」
 会議が終わった後に、
    「コトリ専務、行かれることにしたのですね」
    「そうよ、ユッキーと一緒にね。楽しい旅行になりそう」
 ついに決心されたんだ。でも前にユッキーさんと話をした時には何か避けた方が良さそうなお話だった気が、
    「行かれて、だいじょうぶなんですか」
    「そやなぁ、立花小鳥でまだ海外旅行したことがないから、時差ボケの程度はわからへん」
    「あれって宿主依存性なんですか」
    「どやろ? 小島知江の前には飛行機で海外旅行したことないからなぁ」
 そうやって笑いながら去って行かれましたが、ミサキの質問はうまく交わされちゃいました。