今日は土曜日。ユッキーさんが遊びに来てくれました。魔王の襲撃に備えてボディ・ガードとして住んでもらっていたのですが、子どもたちが懐いちゃって大変です。ミサキはどうしても首座の女神として気後れしてしまう部分があるのですが、子どもは関係なく優しいお姉さんみたいに来られるのを楽しみにされています。ユッキーさんもコトリ専務と同様にいかにも楽しそうに遊ばれます。今日はこのままお泊りをお願いしています。子どもたちが、
-
「明日もユッキーと遊ぶんだ」
-
「だったらUSJに連れてったげる」
-
「ところでエレギオンはアラッタから来たのですよね」
「そうよ」
「アラッタではユッキーさんは大神官家の娘だったのですよね」
「そうよ」
-
「いわゆる王なんですが、エジプトではファラオと神はイコールです。でもシュメールでは神の言葉を授ける神官王の形態ではなかったのですか」
「必ずしもそうじゃないよ。ナラム・シンは神イコール王だったわよ」
「でも例外的じゃないでしょうか。アラッタの神と王の関係はどうだったのですか」
-
「ミサキちゃんも良く勉強してるね。じゃあ、聞いても良いかな。そもそもアラッタってどこにあった?」
-
「エンメルカル王がシュメール文字の発明者と伝説ではなってるのを知ってるよね」
「アラッタへの使者が王の長い口上を覚えきれなかったので文字を発明したってお話ですよね」
「ま、古代中国、商の二十二代目の王である高宗武丁が甲骨文字を発明した話みたいなものだけど、実はちょっと違うのよね」
-
「アラッタがシュメール文字の源流なんですか」
「そういうこと。交易では約束事が多いけど、文字がなければ口約束になるじゃない。ウルクの商人もアラッタの商人に何度も騙されたみたいで、これを防ぐためにアラッタの文字を覚えたのよ。当時も交易はかなり広範囲で行われていたから、文字で契約するのがウルクだけでなくシュメール全体に広まったぐらいかな」
-
「アラッタは『エンメルカルとアラッタの領主』ではウルクから七つの山を越えたエラムにあったってなってますが、エラム王国ってスーサが中心の国で、そこから南東部に広がっています。ウルクからなら川こそ越えますが山は越えない気がします」
「そうよ、ウルクは自衛隊が行って有名になったサマーワあたりになるけど、あそこはユーフラテス川の沿岸都市みたいなものじゃない。そこからスーサに向かうとチグリス川は越えるけど七つの山なんて大層なものはないわ。スーサはザグロス山脈の麓、デズ川の沿岸だからね」
「でもアラッタはエラムにあったのですよね」
「そうだよ」
-
「現代考古学ではそうなってるみたいだけどエラムが先よ。エラムの中のハタミの勢力が強くなった時にそう呼ばれた時期があっただけ。シュメール語にエラムが残ってて、元に戻ったぐらい」
-
「単純にはね、シュメールよりエラムの方が早かったの。大雑把にいうとイラン高原から文明が先に起って、これがエラム文明となってザグロス山脈を越えて、ミサキちゃんの言うエラム王国を形成したぐらいでイイと思うよ」
「ではチグリス・ユーフラテス流域は?」
「文明は大河に沿って起るというけど、大河は氾濫しやすいの。ある程度の治水技術が確立しないと定着して農耕を続けるのは無理なのよ。そりゃ、何年かに一遍ずつ洪水で跡形もなく流されたら大変じゃない」
「だからエラム王国はわざとチグリス・ユーフラテス流域を避けてるのですね」
「そうと見て良いわ。ある程度の治水技術が出来上がってから成立したのが、ウルクを中心にしたシュメール文明ぐらいよ。当時としては後進文明なのと、農耕地帯ではあったけど鉱物資源がなくて、エルムから買ってた関係ぐらいになるわ」
-
「シュメール側は後進ではあったけど農耕地帯だったから人口が多かったのよね。それと戦争になれば当時の事だから後進国の方が強いのよ。エンメルカルは四百二十年間在位したってシュメール王名表にはあるけど、そんなに長生きする訳ないじゃない」
「つまり記憶を受け継ぐ神が魔王型組織として続いていた」
「たぶんそうだと見てる」
-
「アラッタはどこだったのですか」
「今の地名で言えばジロフトよ。ここはイラン高原の文明地帯とエラムを結ぶ要衝で、今ならアフガニスタン北東のヒンヅークシ山脈奥にあるサルイサンク鉱山からラピスラズリを運び込んだりしていたの。当時のダイモンドみたいなみたいなもの」
「そこを狙ってエンメルカル王が」
「そういうこと」
-
「ユッキーさん。話を戻しますが、アラッタでの王と女神の関係はどうだったのですか」
-
「神って普通は形而上の物じゃない。それが本当の神が現われたもので、それまでの神官王は権威を失なって追放されちゃったのよ。そのまま主女神が王になりそうなものなのだけど、主女神は神の地位に留まり王は別に指名したの」
「それって・・・」
「そう、エレギオンと同じスタイル。ミサキちゃん、残念でした。わたしは大神官家の娘だけど、神官王の王女じゃないの。あくまでも女神が君臨してから取り立てられた大神官の娘よ」
-
「神殿って大きかったのですか」
「どっちのほう」
「アラッタの方からお願いします」
「えっと、えっと、メートル法でいうと四百メートル四方」
「お、おっきいですねぇ」
「二段目が二百五十メートル四方」
「えっ、二段目があったってことは・・・」
「五段構造で高さは七十メートルを越えてた。そして、最上段に続く長い階段が作られてて、最上段には女神の至誠所があったよ」
「それってジグラット」
「それはアッカド語だけど、シュメール語ならウ・ニルね。当時はエ・ドゥル・アン・キと呼ばれてた」
-
「それって二プルのジグラッドの名前じゃ」
「はははは、名前盗られちゃった」
-
「ではエレギオンの大神殿は」
「こっちは正面が五十メートル、奥行きが八十メートルで、高さが二十メートルぐらいだった」
「アラッタの神殿に較べると随分小ぶりですね」
「まあね。その代りに四方は二重の円柱で取り囲まれていて、さらに奥に壁で二重に囲まれる構造だったの。それでもって全部石造」
「それって・・・」
「そうねぇ、パルテノン神殿を思い浮かべれば似てるかもしれない」
-
「ユッキーさんにとって故郷はアラッタですか、エレギオンですか」
-
「やっぱりアラッタかもしれない。そりゃ、エレギオンの方が圧倒的に長いし、エレギオンも故郷だけど、わたしもコトリも記憶の構造がちょっと特殊なの」
-
「エレギオンには子ども時代の思い出が無いのよねぇ。わたしもコトリも席を空ける訳にはいかないから、移り変わるにしてもせいぜい十代の半ばぐらいだし、見た目は若いけど、中身は前の続きなのよ」
-
「ミサキちゃんも気が付いたと思うけど、子ども時代の記憶はアラッタの次は日本なんだけど、本当の意味の子ども時代はアラッタになっちゃうのよね。本当の意味の両親とか親戚とかもね」
-
「アラッタに行ってみたくないですか」
「そりゃね。でも行かない方が良い気がしてる。前にエレギオン行ったじゃない。コトリに聞いたかもしれないけど、帰りたくなかったよ。あのままあそこで野垂れ死にたいって真剣に思ったもの。なんとか振り切って日本に帰って来たけど、次は自信ないもの。エレギオンでもそうだから、アラッタはなおさらになるかもしれない」
「コトリ専務もですか」
-
「コトリはアラッタよりエレギオンの方が思い入れが深い気がする。そりゃ、コトリは女官になるまで奴隷だったからね。たぶんコトリにとってのエレギオンは青春そのものの気がしてるわ。青春なのはわたしも同じだけど、コトリにはアラッタはあんまり良い思い出がなさそうだもの」
「だからあの時に」
「そうよ、コトリも次に行けば自信がないだろうし、わたしだってそうなの。でも、行くわ」
「それって」
「何度もコトリと話し合ったの。でもね、理屈では行かない方が良いのはわかってても、二人とも最後はこらえきれなかったのよ。前に行っちゃったものね」
-
「お願いです。帰って来てください。ミサキは、ミサキは・・・」
-
「恵みの主女神が祝福す
この地に栄えあれ、
この地に幸せあれ、
この地に実りあれ、
主女神の恵み疑うべからず、
その心あらば必ず叶うべし・・・」
-
「ミサキちゃん、生に倦みつかれたわたしもコトリも生き続けているのは、過ごしている瞬間、瞬間に意味を見出し続けているからなの。今だってそうよ、まさか癒しの女神や輝く女神と、再びこうして話せる日が来るなんて夢にも思わなかった」
-
「わたしは自殺を好まない。もし最後が来るのなら主女神の下に戻る時。だからコトリは連れて帰ってくるって約束するわ。コトリを待っている人がこれだけいれば、生き続ける理由としては十分だからね」