第3部後日談編:天使のアタック

 カズ君と会うんだけど、今日はなにか違うことが起こりそうな気がする。どこかいつもと違うんだぁ。今日がもしその日なら与えられたチャンスの夜かもしれない。

    「カランカラン」
 このカウベルの音を何回聞いたかしら、今日こそこれをウェディング・ベルにしたいよ。
    「ゴメン、待った」
 あれこれと当り障りのない話がいつも通り続くんだけど、今日が特別の夜かどうかのテストをしてみるよ、
    「シオリちゃんのこと、どう思ってるの」
    「うん、シオか」
 あっ、言えた。それもなんの抵抗もなく、やっぱり今日は違う。
    「好きなの」
    「そりゃ、嫌いじゃない。小学校からの幼馴染やからね」
 ここも気を付けないと、いつもスルスル逃げられてしまうもん。
    「知ってるよ。シオリちゃんがカズ君の事を好きなのを」
    「そやなぁ、あんな昔の事を引きずっているのが可哀想やな」
 ちょっと引っかかりができた。うれしい。
    「じゃあ、カズ君には恋愛感情はないの」
    「今日は際どい質問が多いな。はっきり言うとある。あれだけイイ女だよ、男なら誰でもあるよ」
 やばい今日も逃げられそう。ここで頑張らないと、でも言えるかな
    「コトリとシオリちゃんならどっちがイイ」
 ちょっと芸がないけど、今日はちゃんと言えた。
    「コトリはね、あの日のプロポーズはまだ続いていると思ってるの。たとえユッキーとのことがあってもね。だからまた再開して欲しいの」
 やった、やったよ、これがついに言えた。もう間違いない、今夜こそコトリのための夜よ。また言えなくなったら困るから言っちゃえ。
    「お願い。コトリを選んで」
 もうちょっと飾りたかったけど、それでも言えた。
    「天使様からのお願いは断り切れへんなぁ。きっと世の中の男で断れる奴はいないんじゃないかなぁ」
    「じゃ、コトリを選んでくれる」
 『うん』と言って、お願いだから『うん』と言って、それですべてが決まるのよ。お願いだから、コトリのお願いならなんでもかなえてくれたやん。お願い、シオリちゃんに負けたくないの。いやカズ君がどうしても欲しいの。
    「コトリちゃんの事は好きだった。本当に好きだった。こんな冴えない男に天使のコトリちゃんだよ。そんな夢のようなことがあるなんて信じられなかったんだ」
 だったら『うん』よね、他に返事は無いじゃない。また続きを二人でしようよ。それが正解よ。あそこまで進んでたんだから、コトリのところに戻って続きをやるのがカズ君が取るべき道なのよ。だからお願い『うん』って言って、コトリを選んで。
    「ここで告白されたことも、あのプロポーズを受けてくれた日も忘れないと思うよ。そりゃ、あれこそ天にも昇る気持ちだったもん」
 うん? どうも『うん』にもっていく流れじゃない気がする。どうして、どうしてなの。それが運命とか。嫌だ、嫌だ、絶対に退き下がるもんか、なにがあっても退き下がってたまるもんか。もしここで取り逃がしたら、永遠にチャンスが回って来ないんだ。頑張れコトリ。
    「コトリは絶対にカズ君の事を幸せにしてみせる。必ず約束するから」
 カズ君が次の言葉をどうするか悩んでる。どうして悩むの、どうしてコトリじゃダメなの、
    「ボクはもてなかったから、女性に迫られた経験がないんや。あるのは不器用に追っかけることだけ」
 それはね、それはね、世間の並の女にカズ君を見ることができなかたから。コトリには見えてるの、見えてるからお願いしてるの。カズ君が見えるのは飛び切りのイイ女だけなのよ。菩薩か女神か天使クラスでないと見えないの。どうかコトリにして、カズ君、お願い。
    「カズ君こそが世界一イイ男よ」
    「ははは、シオの奴ばらしたな。あれはシオの誤解だよ。つうか妙な環境で生じてしまった思い込みだけ」
 違うの、違うの、コトリだって今は本当にそう思ってるの、心の底から思ってるのよ。コトリは世界一イイ男のカズ君がどうしても欲しいの。
    「カズ君の強いところも好きなの。コトリを助けてくれたやん」
    「ああ、あれか。ありゃ、相手が弱すぎただけのお話だよ。それに今はトレーニングやってないから弱くなってるよ。あの時みたいなのを期待されたら困るわ」
    「そんなことないもん」
 もうちょっと、もうひと押しのところなのに、どうしても押し切れない。なんか押し返されてる気がする。なんとかしなくちゃ、出来るものなら、いっそこのまま体ごと押し倒してでもコトリのものにしたい。いや絶対そうするんだ、負けるなコトリ、
    「どうして、どうしてコトリじゃダメなの」
    「ボクの恋愛遍歴なんて笑うほどのものしかないけど、数少ない経験であっても女を見る目は少しは出来た気がするんだ」
    「コトリじゃカズ君には不足なの」
    「そんなはずがあるわけないやん」
 どうやっても押し切れないのよ。何かがつっかえてる。やっぱりシオリちゃん。それともユッキーへのこだわり、それとも両方。でもここであきらめたら一生後悔する。ここがコトリの人生の正念場よ、ここを乗り越えないとカズ君は永遠に手に入らないの。行くんだコトリ、
    「コトリちゃんはボクには余りにも贅沢すぎる女性だよ」
    「そんなことはないよ。お願いコトリを幸せにして、もちろんコトリもそうする。あのプロポーズを受けた気持ちは変わってないのよ。今だって婚約者でしょ」
 どうしたら、なにを言ったら、なにをしたら、このもうちょっとを押し切れるの。コトリと結婚したいぐらい好きだったやん。婚約指輪も大事に大事にしてるよ。コトリにあげられものなら、なんでもあげる。だからコトリを選んで。絶対に幸せにするから。
    「悪いと思ったけど、ずっとシオとコトリちゃんを較べていたんだ。あれだけ真っ直ぐに想われたら、考えざるを得ないやん。でも女神も天使も、もったいなさ過ぎてしょうがないんだ。どちらかを選ぶこと自体が罪の気がするんや」
    「そんなことないわ。シオリちゃんと較べられているのも知ってるけど、そんなの全然気にならないの。どうかコトリを選んで欲しいの。お願い。コトリの一生のお願い。あの婚約の続きを二人でやろうよ、歴史の話をまたやろうよ、一緒にお出かけしようよ、二人の夜を過ごそうよ。あの時間をコトリと過ごさせて、またコトリって呼んで、呼んで欲しいのよ」
 じっと何かを考えている様子。後は何を言ったら良いのか頭が回らなくなってる自分が情けない。ここまで来たら開き直るんだ。もう次はないんだよ、お上品なんて捨てちゃうんだ。恥しいなんて思うなコトリ、どんな手を使っても喰らいつくんだ。
    「コトリはね、カズ君とのあの旅行で変わっちゃたの。もうカズ君じゃないとダメなの。もうカズ君以外に可愛がってもらえない女になっちゃってるのよ。あの時のようにお願いだから可愛がって、もっとコトリに教えて、もっともっと知りたいの。そしてコトリも、もっと知って欲しいの。だからお願い」
 まだ照れてるぞコトリ、本当に欲しいんなら体ごとぶつかるんだ。もうそれしか残ってないんだ、行くんだコトリ、それ行けコトリ、本心をさらけだすんだ、もっとストレートに、もっと大胆に、自分の心のすべてをさらけだすんだ。
    「カズ君のして欲しいことならなんでもするし、カズ君の欲しいものなら何でもあげる」
 まだまだ上品ぶってるぞコトリ、もうキレちゃえ、キレろコトリ。ここでキレなきゃ女じゃないぞ。ここでためらったら一生後悔するだけ。コトリの欲しいものはなんだ。手に入れるためになんでもするんだろ。コトリのすべてを投げ出して素っ裸になってでも突撃するんだ。
    『プチン』
 コトリの中で何かが切れた気がする。もう失うものなんてないわ、コトリのすべてをぶつける。天使のもてる力のすべてをぶつける。なにがあっても、どんなことをしてでも絶対に捕まえる、逃がしたりなんかするもんか。
    「口先だけって笑ってるんでしょう」
    「そんな事ないって」
    「ここで裸になれっていうなら喜んでなるわ。ウソだと思うなら試しに言ってみて」
    「ちょっと、コトリちゃん、なに言うてるんや」
    「お願い、言ってみて、裸になれって」
    「ちょっと落ち着いて。コトリちゃんを疑ったりするはずないやんか」
 天使だろうコトリ。天使の最後の切り札を出すんだ。今出さなきゃ意味がないんだ。最終兵器で勝負するんだ。すべてを投げ打って最後の勝負を挑むんだ。なんでもするんだろうコトリ、そうじゃなかったのかコトリ、言葉だけじゃ無理なんだ、体で心を示せ、それしかないんだ、突っ込めコトリ、これで決めるんだ。
    「じゃ、コトリがウソついてない証拠に裸になる」
 脱ぐんだ、早く脱ぐんだ。素っ裸になってコトリの心を見せるんだ。脱ぎさえすればカズ君はコトリのものになるんだ。コトリの頭の中は完全に逆上状態。
    「なんでそんな話になるんや。アカンて、コトリちゃん、そんなんしたらアカンて、待ちいな、アカンて、落ち着いて・・・」
 カズ君は必死になって止めてる。なんで止めるの、コトリの裸はそんなに見たくないの。ここで脱がなきゃ最終兵器にならないやん。もうコトリの頭の中はムチャクチャ。
    「コトリちゃん、よくわかったから。落ち着いて返事を聞いてくれる」
    「うん?」
 『返事』の一言に頭からバケツ一杯の冷水を浴びたようになり、ようやく我に返りました。急にさっきまでの狂乱状態が恥しくなっちゃた。あんな姿を見せちゃったらNOしかないやん。ああダメだったかと心の中には絶望しかありません。

 なんでやっちゃったんだろうって。でもせずにいられないぐらいカズ君が欲しくて、欲しくて仕方がない気持ちだけはわかって。それだけでも感じてくれたら、もうコトリは満足だわ。まるで死刑宣告を聞く前のように次の言葉を待ちました。すべては終わったんだのあきらめとともに。

    「ボクはコトリちゃんを選びたい」
    『ドッカーン』
 コトリの頭の中は大花火大会、打ち上げ花火の乱れ打ち。狂喜乱舞の大有頂天状態。舞い上がって、舞い上がって、宙に浮いて銀河系まで飛んでいく。
    「わぁ〜い、やったぁ、やったぁ、やったぁ、やったぁ」
 えっと、えっと、私は誰だったっけ、そうだ、そうだ私はコトリだ。なに喜んでんだっけ、えぇ、もうわかんない。わかんないじゃないよね、えっと、えっと、えっと、なんだっけ、なんだっけ、そうだコトリがついに選ばれたんだ。
    『ドッカーン』
 花火が上がる上がる、数えきれない花火が次々と。コトリが選ばれたら、なにかするつもりだったような、なんだっけ、なんだっけ・・・逆上状態よりさらにムチャクチャになって、訳の分からない方向にひたすら大暴走。
    『ドッカーン』
 冷静に、冷静に、冷静になって思い出すんだ。えっと、えっと、そうだ、そうだ思い出した! コトリは裸になるんだった。そうだった、そうだった、早く脱がなきゃ、早く素っ裸にならなきゃ。なんで忘れてたんだ。そうしなきゃ、そうしなきゃ、
    「コトリちゃん、ダメだって、そんなことしたらアカンて・・・」
 なんかカズ君が止めてる。なんで止めるの、どうして止めるの。選ばれたら脱ぐって約束したやん。コトリはカズ君の願いはなんでもかなえるんだ。裸になるぐらい喜んでどこでも出来るって証明しないとまた捨てられちゃう。早く脱いでしまわないと。
    「落ち着いてお願い、だからやめてって、お願いだから・・・」
 カズ君なに言ってるの。コトリはカズ君のために『なんでもする』って約束したから選ばれたのよ。それが口先だけじゃないのを証明しなきゃいけないのよ。そこからすべてが始まるの。だから脱ぐの、脱いで裸を見てもらわないと行けないのよ。なにがあってもコトリは必ず脱いでみせる。
    『ドッカーン』
 全部脱いで、素っ裸になって、カズ君の胸に飛びこんで、お姫様抱っこでベッドに運んでもらって、可愛がってもらうだけなのに、どうしてカズ君は止めようとするのよ。脱がなきゃ、素っ裸にならなきゃ、コトリはウソつきにされて捨てられちゃう、もう捨てられちゃうの嫌だ・・・

 そこにマスターが来て

    「ちょっと暑いですか? とりあえず、おヒヤお持ちしました。冷たいオシボリもどうぞ」
 マスターの声を聞いてようやく我に返りました。そうだここはバーだった。もう耳まで真っ赤っ赤。大急ぎで化粧室に駆けこんで乱れた服を整えました。どんだけ恥しかったか。息を整えて、化粧室から出てカズ君の隣に戻りましたが、今度は顔も上げられません。それでもなんとか落ち着いて、ようやくさっきの話のつづき、
    「それでやけど、ちょっとだけ待って欲しい」
    「えっ、待つの。いつまで?」
    「大事な日があるんだ」
    「じゃ、その日には」
    「うん・・・」
 まだ大有頂天状態は収まってなくて、カズ君の『うん』を聞いてまたもや花火大会。さすがに裸になるの狂乱状態は、それこそ死に物狂いで頑張って自制したけど、後は何を聞いても頭の中は花火大会。この後も話はしたはずですが、とにかく何を聞いてもすぐに花火大会。こんな頭じゃなにも覚えてません。とにかく大変な状態で思い出すのも恥しい。


 ルンルンの帰り道。やったぁ、ついに押し切ったんだ。ついに女神のシオリちゃんに勝ったんだ。カウベルがウェディング・ベルに聞こえたもん。長かった、でもこれでやっとカズ君とあの日の続きが出来るんだ。シオリちゃんは結婚式を撮ってくれるかなぁ。さすがに無理かもね。そこはちょっと残念だけど、やっとカズ君は戻って来てくれたから他は目を瞑れるよ。

 そうだ、イイこと思いついた。カズ君の家に飛び込んじゃおうっと。婚約者だもん、遠慮すことなんて何もないやん。そうよ、あの時もそうしておけばこんな回り道なんかしなくて良かったんだ。もう誰にも渡さないよ。ガッチリつかまえちゃうんだ。

 あの日々が帰ってくるんだ。お出かけして、歴史の話をいっぱいして、美味しいものを食べて、そうそう三杯目のチェリー・ブロッサムも乾杯しなくちゃ。前と違うのは、それから別れ別れじゃなくて一緒に家に帰るの。家に帰ったら思いっきり可愛がってもらって二人の朝を迎えるの。

 そしてね、そしてね、カズ君を世界一の幸せ者にしてあげるの。ユッキーの時よりも百倍も、千倍も幸せにしてあげるんだ。必ずそうさせてみせる。それがシオリちゃんにも、亡くなったユッキーのためにも最大の恩返しよ。もちろん私を選んでくれたカズ君のためにも。そのためにも早く親にも紹介して、式の準備も進めなきゃ。