ブラフッタはウィーン市内に支店が五つぐらいあるけど、招待されたのは本店。なかなかシックなでイイじゃん。既にお三人は来られていて、挨拶になったんだけど、考えてみれば社長や副社長から改まって挨拶されるのは初めての気がする。社長は、
-
「今日は世界一のフォトグラファーと同席だから、二人とも失礼のないように」
「ユッキーもね」
「コトリこそ」
あれ、小山社長はユッキーって呼ばれてるんだ。立花副社長がコトリなのは名前が『小鳥』だからわかるとしても、小山社長は『恵』だよ。どこからユッキーが出て来たんだろう。そういえば船の中でもそうだったものね。そんなことを思っていたら香坂さんが、
-
「社長と副社長が一番お気を付けください」
「は~い」
ノリが軽いな。この方がラクでいいけど。この手の接待は妙に雰囲気が重くて肩凝るから好きじゃないのもあるからね。料理のオーダーは立花副社長が、
-
「悪いけど先にしてある。加納さんが嫌いなものは避けといたから。もっともウィーンで紅ショウガは出ないと思うけど」
はて、誰から聞いたんだろう。そんなこと良く知ってるな。好き嫌いは少ない方なんだけど、紅ショウガだけは苦手。ショウガはまだイイんだけど、紅ショウガだけは生理的に受け付けないんだよな。うちのスタッフにでも聞いたのかな。それはともかく、
-
「カンパ~イ」
私も良く飲んで、良く食べる方だと思ってたけど、私と変わらないぐらいお三人も食べるわ、飲むわ。小山社長なんてあんな華奢な体のどこに入るのかと思うほど食べて、飲んでるもの。そりゃ、もう盛大に食べて、飲んで、
-
「加納さん、お時間があればバーに行かれませんか」
連れられていったのがオニキス・バー。シュテファン大聖堂の前の絶好のロケーション。さすがにイイ店知ってるじゃない。バーへの道すがら香坂さんに、
-
「社長も副社長も良く飲まれますね」
「ええ。でも、あれぐらいは食前酒程度かも」
バーではテーブル席でまったり。ここまで一緒にいて、妙というか不思議な感じを抱いてしまってる。顔見知りといえば、顔見知りだけど、香坂さんですらプライベートも含めて何回会ったかぐらいのレベルなのよ。それなのに、社長や副社長が赤の他人に思えない感じがする。
-
「ユッキー」
「コトリ」
こう呼び合うお二人なんだけど、時間が経てばたつほど、小山社長があのユッキーに、立花副社長がコトリちゃんと二重写しになって仕方がないのよこれが。まるであの二人が甦ってきて、私に会いに来てくれた感じさえしちゃう。そう感じちゃうのも歳のせいかな。話さない方がイイとも思ったけど、酔いも手伝って口が滑って、
-
「なんか変な感覚になっちゃって」
「あら、どうされました。飲み過ぎましたか」
飲み過ぎてるのは飲み過ぎてる。ここまで私と張り合って飲んで、ビクともしない人に初めて会った気がする。男じゃなくて良かった。この調子じゃ、酔い潰されて襲われても不思議ないもの。でも、まだまだ飲めるよ。
-
「なんていうか、社長が昔の知り合いになんとなく似てまして」
「あら、そうなの。もしかして、こんな感じかな」
-
「ユッキーと呼んで良いのはカズ坊だけ、カズ坊と呼んで良いのはユッキー様だけよ」
えっ、えっ、まさか、これはあのユッキー様、
-
「シオリが感じてる通りで正解よ」
私の頭の中はひたすら混乱。ユッキーは間違いなく亡くなってるし、ユッキーの葬儀にも参列してるし、院長の男泣きの弔辞も覚えているもの。そしたら立花副社長が、
-
「そうだよ、社長はユッキーだよ」
「そんなぁ、それなら立花副社長は」
「シオリちゃんが感じてる通りよ。私は天使のコトリ」
コトリちゃんの葬儀にも参列してるのよ。あれは十二月、土砂降りの雨の中の出棺になり、カズ君が傘もささずに茫然と立ち尽くしていたのを忘れるものですか。絶対にお二人がユッキーとコトリちゃんでない。まさかまさか、
-
「も、もしかして私はもう死んでるとか」
「生きてるよ。わたしもコトリも足だってあるし」
「そやで、ミサキちゃんなんて旦那も子どももいるのに殺してもたら可哀想や」
だったら、
-
「ユッキーとコトリちゃんが、天国から会いに来てくれたとか」
「会いに来たのは間違いないけど、生きてるよ」
じゃあ、あの二人は本当にユッキーとコトリちゃん。ありえるわけがない。そうだ、私はかつがれて騙さてるんだ。きっとそのはず。ユッキーの決め台詞だって、あの頃の明文館にいれば誰だって知ってるはずだし、あれだけの大会社だから、その組織を使えば、これぐらいの情報は集められるはず。悪ふざけもイイ加減にしてもらうわ。
私の大切な大切な思い出を座興に使うなんて許せない。ユッキーもコトリちゃんも大事なお友だちなのよ。いくら大会社の社長や副社長でもやってイイことと、悪いことがある。化けの皮を剥いでやる。
しかし無駄すぎる努力になってしまった。小山社長は二人しか知らないはずの最後の病室のことをちゃんと覚えてるし、二人がただ一度だけ一緒に飲んだ時の会話もすべて覚えてる。立花副社長だって、話せる日の直前に会った時のバーでの会話を昨日のことのように覚えてる。
-
「そんなぁ、そんなことがあるわけが・・・」
「いつかは話さないといけないと思ってたんだ。シオリも若く見えるけど六十五歳だからね」
「そうやねん。ユッキーとも話とってんけど、この管理だけはちゃんとやっとかなアカンやろって」
管理ってなに、なんの話なの。
-
「シオリも不思議に思ってるやろ。いつまでも歳を取らない自分を」
そうだけど、
-
「もちろん秘密があるんよ。シオリの中には女神が宿ってるんや。だから歳を取らないの。それはコトリも、ユッキーも、ミサキちゃんも、シノブちゃんも同じ」
私の中に女神が宿ってるってどういうことよ。
-
「女神が宿ってるから私はいつまでも若いってこと」
「正確にはちょっと違って、女神の力の一つが、容貌を自分の好きな時期に固定できることやねん」
「女神の力って、他に何が出来るの」
「シオリちゃんはなにが見たい」
何がっていわれても困るけど、
-
「じゃあ、テーブルを持ちあげるとか」
「エエよ」
目を疑いましたが、キッチリ十センチぐらいテーブルが浮かんでいます。
-
「これ以上やると、大騒ぎになるからな」
「あなたは本当にコトリちゃんなの。社長もそうよ、私は二人の葬儀に参列したのよ」
「知ってるよ、だから小島知江ではなく立花小鳥になってる。ユッキーだってそうで、木村由紀恵じゃなく小山恵になってる」
こんなもの事実して受け取れるわけないじゃないの。でも、でも、感覚はなぜか受け入れようとしてる。だって、だって、三人の共通の思い出である明文館時代、さらにカズ君を巡るラブ・バトルを話しても、その場にいないと知らない話がポンポン出るじゃない。
-
「どういうことなのですか」
はるか古代よりエレギオンには五人の女神が存在し、その女神は人を宿主として移り棲み、現代でもなお生き残ってると。そんなもの、どうやって信じろと。
-
「シオリちゃんに宿ってるのは、主女神言うて、最高神みたいなものやねん」
これもさらに上塗りするような奇怪な話で、主女神は巨大な力を有する代わりに、性格の好悪が強く出過ぎて混乱を招くために、四千年前に眠れる女神になったって何よ。
-
「えらい縁起の悪い話になってまうけど、宿主は人やから死ぬやんか。死んだ時に次の宿主に移すのがユッキーとコトリの重要な仕事やねん」
「どういうこと」
「シオリちゃんが亡くなる前にユッキーが主女神引き取りに行くことになる。その後にシオリちゃんは加納志織として死ぬ。悪いと思うけど、最後は歳相応になるのは我慢してもらう」
「次の宿主って奴に移ったら、社長や副社長のように記憶は継続するの」
「これも悪いけど、主女神の記憶は受け継がれへん。シオリちゃんも前宿主の記憶なんてないやろ」
なんなのそれ。でもだよ、
-
「どうして今さらなの?」
そしたら小山社長が、
-
「その通りなんだけど、ちょっと困ったことがあってね。あるトラブルの解消のために、シオリの力が必要になるかもしれないのよ」
私の力? それはなに? 小山社長は話しにくそうに、
-
「最悪の事態になった時に、シオリの中の主女神に目覚めてもらわなければならないかもしれないの。それだけじゃなく、わたしもコトリも主女神に一体化する必要も出るかもしれないの」
「どうなるの」
「そうなると・・・」
小山社長は天井をじっと見上げて、
-
「わたしもコトリも人格を失い消滅するわ。残るのはシオリの人格のみ」
「なにそれ」
「黙ってやっても良かったんだけど、今の人格のままでもう一度シオリと話がしたくなっちゃって」
ここで香坂さんが、
-
「ちょっと待ってください。ミサキも当然御一緒します」
「ミサキちゃんは来てはいけない。ミサキちゃんにはシノブちゃんとエレギオンを守る使命がある」
「でも」
「これは許さない。わたしとコトリと、あなたたちでは立場が違う。わたしとコトリに課せられた最大の使命は主女神を守ること。もう一つあったエレギオンを栄えさせることは残念ながら水泡に帰してしまったけど、主女神への使命は今も変わらず続いてる」
小山社長の態度、口ぶりはもう間違いない。あの氷姫であり、委員長でもあった木村さんそのもの。もう信じるしかなさそうだけど、
-
「私は何をすれば良いの」
「撮影旅行」
「は?」
「次はパリでしょ、会うことにならなければ幸いね。今日はゆっくり飲んで、昔話を心行くまでしましょうよ。とりあえずカズ坊を最後にシオリに取られたお礼をコトリとたっぷりしなきゃ」
不思議な夜になりました。だって死んだはずのユッキーと、コトリちゃんがいるのです。話せば話すほど話題はディープになり、カズ君を巡る話もありましたが、図書館でユッキーに家庭教師やってもらった話だとか、二年の時に三人が一緒になって、
-
「大変だったのよ、御手洗にいくのが」
「コトリは困らんかったけど」
「シオリとコトリがトイレに行くときはモーゼかと思ったもの。あんだけのギャラリーがすうっと道を開くのよ」
「ユッキーはどうしてたの」
「そんなもの睨みでこじ開けるしかないじゃない」
コトリちゃんとはあの二年の夏の明石球場でのチア・リーダーの思い出。
-
「コトリちゃんは冬月先輩と龍すしに行ったんだ」
「シオリちゃんが羨ましかったわ。シオリちゃんが行った日は、冬月先輩だけじゃなくみんな来てたんでしょ」
「でも次行ったら、リンドウ先輩にチア・リーダーやらされちゃうよ」
コトリちゃんはため息をつきながら、
-
「チア・リーダーやるだけで参加できるんやったら、いくらでもやるのに。もうコトリはそこに参加できないの」
「あっ、ゴメン」
「エエんよ、エエんよ、今に始まったことやないから。気にせんといて」
コトリちゃんは少し涙ぐみながら、
-
「今日は驚かせてもてゴメンな。ユッキーは反対したんやけど、コトリがどうしてもって通してもたんよ。もう一回だけでエエからシオリちゃんと話したかったんよ。だってカズ君とのこと以来、まともに話せんうちに小島知江の寿命になってもたし」
そしたらユッキーが、
-
「コトリだけが悪くないよ、最後はわたしも賛成したし。もう、知ってもらっても悪くないと思ったのもあるの。シオリに勝手に主女神宿らした責任もあるし」
私の若さの謎はわかったけど、もっと大きな謎を抱え込んだ気分。知りたいことは山のようにあるけど、余りにも短すぎる夜。それと、どうしても話してくれませんでしたがユッキーもコトリちゃんもパリでかなりどころでない危険な問題に取り組むみたい。
-
「たぶん、だいじょうやと思うから、今度は日本で飲もな」
「カズ君も入れて?」
しまったコトリちゃんの目が真っ赤だ、
-
「カズ君は遠慮しとく、ユッキーも辛いやろし。女子会ならカズ君も許してくれるやろ」
コトリちゃんもユッキーも私の手をしっかり握りしめて、
-
「じゃあ、ね」