南相馬市

6/9付河北新報より、

小児・産科、経営危機 原発事故で市外へ避難 南相馬市

 福島第1原発事故の影響で、南相馬市の小児科と産婦人科の医療が危機に見舞われている。小学生の3分の2が市外へ避難するという異常な状況が、病院の経営を直撃しているためだ。原発事故が収束する見通しは立たず、避難の長期化は必至。小児科と産科をめぐる環境は当面、好転しそうにない。

 南相馬市には震災と原発事故まで、小児科医院が2カ所あり、さらに市立総合病院と民間の大町病院にも小児科があったが、全てが休診中だ。産婦人科で現在も開業しているのは医院1カ所だけ。医院2カ所と市立総合病院、大町病院の産婦人科が休診している。

 相馬郡医師会によると、市内の小児科医院の一つには原発事故前、患者が月1000人以上いたが、事故後は10分の1以下に減り、休診に追い込まれた。市内に子どもがいなくなったことが、大きく響いている。

 事故前、市教委は4月1日時点の市内の小学生は4050人、中学生は1957人と見込んでいた。ところが5月23日現在、小学生は1343人、中学生は898人だけ。小学生は33%、中学生は46%しか残っていない。

 同市は旧市町ごとに3区に分かれ、そのうち小高区(旧小高町)は全域が立ち入り禁止の警戒区域、原町区(旧原町市)もほぼ全域が緊急時避難準備区域になっている。国は緊急時避難準備区域に子どもや妊婦らが入らないよう指示しており、小学生などが激減する要因になった。

 市内の産婦人科で唯一開いている原町中央産婦人科医院が扱った出産は、今年4、5月は1件ずつしかなかった。

 同医院の高橋亨平院長(72)は「産科は1カ月で最低15件の出産がなければ経営が成り立たない。今は内科の診療が全体の9割を占めている。原発事故が収まらない限り、人は戻ってこない。これからどうなるか見当がつかない」と話す。

 相馬郡医師会の柏村勝利会長(67)は「親は子どもの健康を考えて帰らなかったり、仕事がなくて戻るに戻れなかったりしている。子どもがいなくなって、これから地域を再建できるのだろうか」と心配している。

南相馬市の人口の変化をまず調べてみます。元ソースは南相馬市HPの現住人口と世帯数から、住民基本台帳年齢別人口の、

日付を見ればお判りのように、震災前と震災後の比較です。

年齢 震災前
(2/28)
震災後
(4/1)
増減数 増減率
(%)
0〜4歳 2975 2915 -60 -0.2
5〜9歳 3415 3329 -86 -2.5
10〜14歳 3337 3314 -23 -0.7
15〜19歳 3451 3357 -94 -2.7
20〜24歳 3036 2943 -93 -3.1
25〜29歳 3428 3382 -46 -1.3
30〜34歳 4188 4112 -76 -1.8
35〜39歳 4657 4615 -42 -0.9
40〜44歳 3883 3856 -27 -0.7
45〜49歳 3965 3900 -65 -1.6
50〜54歳 4599 4561 -38 -0.8
55〜59歳 5665 5610 -55 -1.0
60〜64歳 6359 6337 -22 -0.3
65〜69歳 4187 4147 40 -1.0
70〜74歳 4125 4011 -114 -2.8
75〜79歳 3990 3952 -38 -1.0
80〜84歳 3355 3306 -49 -1.5
85〜89歳 1912 1905 -7 -0.4
90〜94歳 726 729 3 0.4
95〜99歳 212 206 -6 -2.8
100歳以上 29 29 0 0.0
合計 71494 70516 -978 -1.4

ただし住民基本台帳は、

住民基本台帳登録人口は、住民基本台帳に登録された人口であり、直近の国勢調査人口を基本にその後の人口動態(出生・死亡・転入・転出)から算出した現住人口とは差があります。

ちなみに記事にある

    市教委は4月1日時点の市内の小学生は4050人、中学生は1957人と見込んでいた
小学生人口を7〜12歳、中学生人口を13〜15歳として計算してみると、

年齢 震災前
(2/28)
震災後
(4/1)
増減数 増減率

(%)
6〜12歳 4047 3986 -61 -1.5
13〜15歳 2010 1980 -30 -1.5

まあ近いような、遠いような数字です。もうちょっと精度の高い情報が欲しいところなんですが、平成22年国勢調査の速報人口のお知らせ南相馬市HPにあります。これは平成22年10月1日時点のもので、この数値から、

※平成22年国勢調査の速報結果を基に毎月の届出による転入・転出・出生・死亡を加減して得た数値です。

これが現住人口と世帯数にあります。

* H.22.10.1 H.23.4.1 増減数 増減率(%)
人口 70895 69788 -1107 -1.6
世帯数 23643 23477 -166 -0.7

う〜ん、どうやら小学生や中学生は転出入に依らずして減ったみたいです。いわゆる疎開状態と判断して良さそうです。成人もまた然りでしょうから、統計は実態を表していないとするのが妥当のようです。そうなると、
    そのうち小高区(旧小高町)は全域が立ち入り禁止の警戒区域、原町区(旧原町市)もほぼ全域が緊急時避難準備区域になっている。
原町区の緊急時避難準備区域が具体的にどこまでかの確認が出来なかったのですが、ここの人口を調べたほうが早いかもしれません。調べてみると、これは平成22年10月1日時点のものですが、
南相馬市 小高区 鹿島区 原町区
人口 70895 12548 11393 46954
比率 100% 17.7% 16.1% 66.2%

小高区、原町区で人口の83.9%を占めます。ここから子どもや妊婦が移動すれば小中学生も減るはずです。残りの16.1%ぐらいの地域で、
    ところが5月23日現在、小学生は1343人、中学生は898人だけ。小学生は33%、中学生は46%しか残っていない。
これだけ残っている方がむしろ凄いかもしれません。では医療機関がどうなっていたかですが、
    南相馬市には震災と原発事故まで、小児科医院が2カ所あり、さらに市立総合病院と民間の大町病院にも小児科があったが、全てが休診中だ。
医者ここから拾い上げて見ますが、市立総合病院と大町病院は原町区にあります。小児科医院の特定がやや難しいのですが、間違いないのも原町区、「たぶん」の候補も原町区です。原町区は緊急時避難準備区域となっていますが、首相官邸HPによると緊急時避難準備地域とは、

  • 緊急時には、自力での避難が前提となりますので、自力での避難等が困難な状況にある方や、お子さん、要介護者、入院患者の方は、既にお伝えしているとおり、この区域に入らないようにお願いします。
  • 教育機関に関しましても、指定された地域の保育所、幼稚園、小中学校および高校は、休園・休校とします。学業の継続等に関しましては、それぞれの市町村および教育委員会等からご説明します。

子供の立ち入りが禁止されており、学校も休校となっています。これだけ指示されたら、殆んど子どもがいなくなって当たり前でしょう。結果として、

    市内の小児科医院の一つには原発事故前、患者が月1000人以上いたが、事故後は10分の1以下に減り、休診に追い込まれた。市内に子どもがいなくなったことが、大きく響いている。
私も小児科開業医ですから言いますが「大きく響く」もクソも、患者がいなくなれば経営は不可能です。医院のある原町区から子供が逃げ出し、また原町区に子供が入る事も制限された状態ではまさにどうしようもありません。付け加えて言うならば、誰が見ても長期化は必至ですから、そりゃ小児科医だって逃げ出します。

南相馬市産婦人科ですが、

    産婦人科で現在も開業しているのは医院1カ所だけ。医院2カ所と市立総合病院、大町病院の産婦人科が休診している。
つまりは5ヵ所なんですが、ウイメンズパークで特定できます。これがまた全部原町区です。当然ですが、
    市内の産婦人科で唯一開いている原町中央産婦人科医院が扱った出産は、今年4、5月は1件ずつしかなかった。
正直なところ月に1件でもよく分娩があったものだと思うぐらいです。ちなみに3月の相馬市の出生は31人となっています。



住民基本台帳国勢調査による人口では、まだ大部分の住民が南相馬市に籍を置いているようです。これは人口統計から確認できます。しかし避難や生活制限がが長期化すれば、これが大きく変わるのは誰でも予測できます。小児科医や産婦人科医が霞を食って生きているのではないのと同じように、避難した住民も自活を考えないとなりません。

もともとの生活手段は様々であったでしょうが、立ち入り禁止地域ではもちろんの事、緊急時避難準備地域の指定のままでも社会生活は立ち枯れていきます。そうなれば南相馬市を離れて自活手段を見出す必要があります。そうなった時に南相馬市の人口が半減どころか1/3以下に減ってもさして驚くべき話ではないと思います。政府を叩いて「一刻も早く」を運動するのも一法でしょうが、たとえ首相が引責辞任をしても時間は必要です。優雅に元の家に帰れる日をそうは長く待てません。

記事が焦点とした小児科や産婦人科は出生とか小児人口に依存する診療科ですから、患者がいなくなれば消え去ります。逆に言えば妊婦や子供が戻ってくれば、また再開する可能性もあるのですが、とくに開業医はそうは長くは耐えられません。開業医といえども年単位で待てるほど蓄えがあるところは、そうは多くはありません。小児科開業医で書かれていた月にもともと1000人程度の患者数ではすぐに干上がります、

どうする事もできない、あまりにも厳しい現実に改めて愕然とする思いです。