日曜閑話38

前にやった野球の監督論の焼き直しです。名将と畏敬される監督には3つのタイプがあると言うのが仮説の前提です。

  • 魔術師型
  • 育成型
  • 強豪管理型
もちろんどれかしか持っていないわけではなく、どの部分もある程度は兼ね備えていますが、特に得意とする分野、どちらかと言うと苦手とする分野があるのが人間です。さらにこれは親会社(フロント)の意向も濃厚に絡む部分があり、能力はあっても実力を十分に発揮できない時も多々あるとは考えています。つうか本来は親会社の意向によってチームに合う監督を選ぶべきなのかもしれません。



プロ野球の経営の考え方の基本はとりあえず強くなる事です。強くなって優勝を争えば観客が増え、球団が潤うです。誰でも「当たり前だ」と言われそうですが、必ずしも当たり前でなかったのが日本のプロ野球経営でもありました。今でもそういう部分は残っているかもしれません。もう少し言えば、強くなって優勝を争えば儲かる球団と、必ずしもそうでない球団に二分化しているとも見れます。

かつての阪神の経営哲学はこう伝えられてきました。

    ギリギリまで優勝を争って、優勝しないのが一番儲かる
ココロは優勝を争えば観客動員が増えて球団は潤います。ここまでは良いのですが、優勝してしまうと選手の給料を大幅に上げる必要が出てきます。かつての球団経営は優勝に伴う選手のサラリーアップにさえ耐え切れない代物だったのです。つまり、
    優勝することによる収入増 < 優勝することによる選手のサラリーアップ
この関係が存在し、むやみに優勝されると赤字がさらに増えるという関係です。さらにここのベースの考え方は球団経営が基本的に赤字であるというのもありました。球団は親会社の広告部門であり、球団の赤字は広告費と考えて処理していますから、とにかく優勝であっても赤字幅が大きくなる事は球団経営として避けた方が好ましいになります。ですから阪神的な考えが支配的であったわけです。

こういう思想は20世紀のプロ野球ではかなり支配的であったと考えられます。その中で例外的であったのが巨人です。巨人は他の球団とは違い、優勝することの収入増がサラリーアップを上回るビジネスモデルを確立したと言っても良いと思います。巨人があくなき戦力強化にひた走ったのは、常に優勝することで人気を保ち、それによる収入で黒字モデルを続けていたからだと言えます。

巨人のビジネスモデルは大成功を収め、常に強い巨人戦には大勢の観客がつめかけ、他の球団もビジターで迎え撃つ巨人戦の観客動員におんぶに抱っこの経営方針となります。昭和40年代の阪神の観客動員数でもこれはあきらかです。

巨人は1試合平均で42500人で後楽園球場をほぼ埋めていますが、これに対し阪神は平均で16000人。さらに13試合あった巨人戦が平均50000人(当時の甲子園の収容人数は6万人)とすると、他の球団との試合は8000人ぐらいしかいないことになります。8000人と言ってもウィークデイはさらに少なく、あくまでも主催者発表ですから実数はもっと少なかったはずです。巨人戦13試合だけの動員数が阪神観客動員数の6割以上を占めており、いかに巨人の人気だけに頼った球団経営だったかがわかります。

これは阪神だけの話ではなく、他のセ球団もそうで、阪神は巨人に継ぐ人気球団であった分だけ、まだ他の球団より巨人依存はマシであったとさえ言えます。これがパになるとリーグにドル箱巨人がいないわけですから、さらに悲惨な経営状態であったのは容易に推測されます。

20世紀に巨人型のビジネスモデルを目指した球団はありました。60年代から70年代に黄金期を作り上げた阪急は微妙ですが、80年代から90年代にかけてパの覇権を握った西武は明らかに巨人モデルを目指していました。秋山、清原の和製大砲をそろえ、あくなき戦力強化でV9巨人に匹敵する常勝球団を作り上げたのは御存知の通りです。

ところが西武は巨人型のビジネスモデルの成功者に必ずしもなっていません。前時代の覇者阪急ほど極端ではありませんでしたが、「強すぎて面白くない」と人気はある程度のところで伸び悩む事になります。巨人型モデルはハイリスク・ハイリターンですから、ハイリスクすなわち球団の強化費用を上回る収入が入らないと成立しません。

西武は人気球団にはなりましたが、その人気の度合いは巨人の足許にも及ばなかったと言う事です。巨人型モデルの追及に失敗した西武と言うか、堤元オーナーが末期に1リーグ制移行問題で迷走したのは、巨人モデルで成功しなかったのも大きな原因と考えています。


巨人の一極集中モデルに風穴が開いたのは85年の阪神優勝だと考えています。この年に実に20年ぶりの優勝を飾るのですが、優勝だけではなく球団経営も記録的な黒字を叩きだすことになります。85年の時はまだ阪神球団首脳は気がついていませんでしたが、巨人以外の球団でも優勝すれば大儲けできる事が立証された画期的な出来事であったと考えます。

85年の時にはまだ目覚めたと言えませんでしたが、次の2003年の優勝の時には確信に変わったと考えています。優勝することこそが球団経営を黒字にする目標であると。どうも中日も同じ考え方に達したらしく、21世紀のセは阪神、巨人、中日の3強体制で動く事になります。つまり巨人モデルの3強と、20世紀モデルのその他3弱体制の固定です。



長い解説でしたが、現在のセの球団の姿勢としては、強豪を目指す3強と、それ以外の3弱になっています。強豪チームに相応しい監督は強豪管理型の名将です。一癖も二癖もあるスター選手をいかに御していくかが監督の手腕として一番求められると言う事です。

強豪管理型と育成型は似ていますが根本が異なります。強豪管理型でも新人選手を抜擢しますが、これはあくまでも抜擢です。抜擢されるような選手は、言ってみればドラフト1位で入団し即レギュラーを獲得し、新人賞でも取ってしまうような選手のことです。こういう選手は誰が監督をやっても必ず頭角を現します。強豪管理型の抜擢とは、抜擢の代わりに容赦なく他のレギュラーを叩き落す非情さにあると言えば良いかと思います。

育成型も抜擢ですが、目は「ドラ1 → 新人王」だけではなく、その次やさらにその次のクラスの中から光る珠を探し出そうとするところにあります。強豪管理型の抜擢では即座に結果を出す事が要求され、出せなければ容赦なく叩き落されますが、育成型では周囲の非難があっても結果が出るまで執念深く起用する事が重要になります。

もちろん育成型で重要なのはそういう才能を見出す目であり、これを伸ばす場を作り出す事が手腕になるとしてもよいかと思います。打者であっても、レギュラーでも代打でも結果を残せる者もいますが、代打では成績を残せず、レギュラーとして1試合なり、年間トータルで成績を残せるタイプもいます。そういう点まで見抜いて使いこなす手腕と言い換えても良いかもしれません。



やっとこさですが、ここで今年のセの3強の監督論をしてみたいと思います。

巨人の原監督は立派な成績を残しています。ただ原監督の真価は強豪管理型ではないように思っています。原は就任後に何人もの新たな才能を発掘しレギュラーに仕立て上げています。これは素晴らしい実績なんですが、常に強豪である事を求められる巨人の強化方針と基本的に合っていない気がしています。巨人は常に強豪であるために、足りないところは完成品を持ってくるのが基本です。

巨人監督として求められる手腕は、球団が集めた完成品パーツを使いこなす点にあると考えています。球団にすれば高いカネをかけて集めた完成品パーツですから、これを有効利用してくれないと困ります。それに対し原は、自前で選手を育成する方針にこだわります。球団戦力としてはピカイチですから、優勝を重ねていますが、たぶん原と巨人フロントの間には溝がありそうな気がしています。


阪神の真弓監督の評価は微妙です。2年間指揮を取っていますが、真弓監督の色が感じられません。簡単に言えばどういう野球をやろうとしているのか判然としない事です。今年は優勝を争った実績は間違いないのですが、かなりの僥倖があったのは指摘しておいても良いと思います。何が僥倖かと言えば、助っ人外人打者が2人ともアタリだったことです。

阪神の外人はハズレが多く、今年のブラゼルマートンみたいな揃い踏みは記憶にさえないぐらいの快挙です。これに匹敵するのは、それこそ85年のバース、ゲイルの揃い踏み以来の出来事ではないかと思っています。その上に城島の加入が確実にプラスになっていますから、爆発力から言って優勝するはずの年であったと思っています。

打線が爆発したのは真弓の強豪管理型の手腕の賜物であったのか、それとも偶然に爆発したのかは来年以降に問われると思いますが、なんとなく3年目で終りそうな感じをもっています。頑張って欲しいですが、どうにも名将のキラメキを感じさせてくれていません。


中日の落合監督はさすがだと思っています。落合は現役時代の印象と異なり、広岡の西武野球の匂いを感じさせます。中日フロントも優秀なんでしょうが、派手な大型補強を行わずとも確実に選手を発掘しています。では育成型かと言われればそうとも言えません。育成型監督は、育成のために正攻法と言うがオーソドックスな戦術を用います。

育成型戦術でもシーズンの通算成績では立派なものを残しますが、欠点として短期決戦が苦手と言うのがあります。戦力互角の短期決戦では、小さな動きの差が均衡を崩します。奇策一発で流れが変わるとしても良いのですが、育成型監督は普段使わない戦術なので、これにしばしば失敗し逆に流れを相手に渡してしまう事が多々あります。

ところが落合は短期決戦にも強いところがあります。結果としてもそうですが、印象として中日と戦うのは「嫌な感じ」を濃厚に抱かせます。実際に何もしなくても、「何かやりそう」と相手に思わせるだけで戦術的に有利になりますから、十分に魔術師的な面を持っています。強豪管理の面においても綻びを見せません。自分で育成し強豪に仕立て、さらにこれをキッチリ管理しながら、実際の試合では魔術師的な香りを存分に漂わせながら戦っています。

それでもあえての弱点はあります。これは広岡野球でも発生していたのですが、幾ら勝っても、優勝しても、人気が爆発的になりにくいところです。球団と言うのは贅沢なもので、監督に対し勝つだけでは満足せず、勝った上で人気が出ることも要求します。ここは微妙なお話なんですが、球団経営の目標は必ずしも優勝することではないからです。

優勝を目指すのは、優勝することによって人気が上昇し、球団経営が潤う事が期待できるからです。「優勝 = 人気」の関係が成立している時には単純なお話なんですが、「優勝 ≠人気」に陥れば、優勝させるのにカネばかりかかって、球団としては面白くない事になります。

この「優勝 ≠人気」は案外大きくて、これまでも勝つ監督を解任し、人気がある監督への交代劇がしばしば行われています。人気のある監督は球団の意向を知っていますから、派手なパフォーマンスを展開しようとしますが、これが空回りし「成績低迷 → 収入ダウン」に見舞われる事も珍しいお話ではありません。 勝つ監督としての落合は名将の3条件をほぼ兼ね備えていますが、ただ一つ、勝つ事による人気爆発にだけ弱点があり、これが今後にどう影響するかは興味深いところです。



ざっと現在のセの3強の成立と、強豪としての3強監督の適否を考えてみましたが、来年の今ごろはどうなっているのでしょうか。全然関係ないのですが、星野の楽天監督就任も個人的には晩節を汚さないか心配しています。星野の評価は妙に高いですが、星野の成績は戦力が整ったチームでのものです。楽天の様に未だに発展途上のチームでの手腕は未知数です。

楽天を優勝させれば星野の評価は不動のものになるでしょうが、失敗すればこれまで築き上げた評価が急落します。北京五輪でも落ちかけていますから、トドメにならないように心配しておきます。