読売巨人の視聴率

震災の影響でスッタモンダがあったプロ野球ですが、ようやく開幕しました。なんだかんだと言っても結構熱心なプロ野球ファンですから、心の内では喜んでいます。隠しもしませんが、阪神ファンですから、まずまず順調な滑り出しに密かに喜んでいます。金本の連続出場記録がハプニングで途絶えた事に論議もあるようですが、あれはあれで良かったと思っています。

連続出場記録の偉大さは、連続出場に値する成績を続けている事が凄い事であって、去年からの記録継続のための出場はチト無理があったと思っています。もちろんこれだけの大記録ですから、それなりに協力するのは何の問題ともしませんが、現状は誇り高い金本にしてみれば許容できるものであったかどうかは疑問です。それにしても衣笠の記録がいかに偉大であったかが改めてわかるような気もしています。


金本の話はこれぐらいでよいでしょうから、もうちょっと広い目で見てみたいと思います。開幕後のちょっとした話題に巨人戦中継の視聴率の不振が出ていました。巨人戦の視聴率が振るわないのは、もう驚くほどのお話ではないのですが、これをプロ野球人気の凋落とリンクして論評されている方がおられる事の方がむしろ驚かされます。プロ野球の人気の物指しを巨人戦の視聴率で語る論点は正直なところ珍妙です。阪神ファンの僻みと言われそうですが、そうじゃないだろうと思っています。

巨人戦視聴率の低下は、巨人の人気・ブランドの低下を示す指標になるのは間違いありません。ただこの「低下」もかつての指標が桁外れであった事をまず指摘しておきたいと思います。プロ野球界における巨人の地位はかつて他球団と較べて懸絶していました。観客動員数で比較してみたいと思いますが、これも例の公称と実数問題がありますから、あくまでも比率で見てみたいと思います。

まずセ・リーグの観客動員数に対する巨人の比率です。

1960年代から1970年代の半ばまで巨人だけで30%を越える動員数があり、1962年から1973年までは35%を越える(1969年は34.4%)ほどの比率があります。1971年には39.2%まで比率が達しています。これはちなみにですが、パ・リーグの観客動員数に対する巨人の観客動員数の比率は、
傾向としてはセ・リーグと似たようなもののがありますが、一時は巨人だけでパ・リーグの全部の観客動員数に匹敵するほどのものであった事が確認できます。この巨人の観客動員数がプロ野球界の発言力にどう反映したかですが、巨人はホームゲームだけではなく、ビジターでも球場を満員にする人気がありました。これは今でも同様のところはありますが、かつては対巨人戦以外は1万人動員するのが大変な時代でしたから、他の球団は頭が上らなかったとしても良いかと思います。

プロ野球で騒動が起こるたびに巨人が常に強面対応できたのは、この圧倒的な観客動員能力にもあったとして良いでしょう。問題があっても巨人が新リーグを作るの脅し文句をちらつかせれば、他の11球団は反発すると言うより、どうやって巨人に付いていくかの算段に終始していたとしても良いかもしれません。セの球団は巨人を失いたくないですし、パの球団はリーグを解散してでも付いて行きたいになる訳です。

ところが70年代後半からその支配力に徐々に翳りが見えてくることになります。セで30%を割り込んだ比率は2006年にはついに25%さえ割り込む事になります。これは巨人の観客動員数が減少したのではなく、他の球団の巨人戦以外の観客動員数が着実に増加した事に起因します。これはセだけでなく、交流戦以外に巨人との対戦カードを持たないパにさえ起こります。

かつては巨人にも負けそうになるぐらいのパの観客動員数でしたが、1988年には40%を越え、現在では45%に近づこうとしています。これは殆んどを対巨人戦無しで達成している訳です。


ここは解釈の仕方で見方が変わる部分はあるとは思いますが、プロ野球ファンの実数はそんなに変わっていないと考えています。ここはサッカーの台頭によってかなり減ったとの指摘もありますが、別にサッカーとプロ野球の二択でファンは選んでいるわけではなく、サッカーもプロ野球もみたいな層がかなり厚いと考えています。両方楽しんで悪い理由はどこにもありません。

巨人戦視聴率で問題になる層は、プロ野球ファンの中でコアな巨人ファンはもちろんですが、対戦相手のファンも当然あります。それ以外にプロ野球が好きと言う層もいます。このうちコアな巨人ファンや対戦相手の層は今もそんなに変わらずに視聴していると考えています。問題はその他のプロ野球ファンです。

このその他のプロ野球ファンの大部分が、かつてはなんとなく巨人ファンでなかったかと考えています。理由は単純で、かつてのプロ野球中継で全国中継されるのは日本テレビの巨人戦が圧倒的であり、それしかプロ野球の試合が見られなければ、自然に巨人ファンになってしまい、そこしかプロ野球が見れなければ自然に見ると言う寸法です。

もちろんそれだけの人気と実力が巨人にはあったわけですが、上で示したグラフでわかるように、巨人以外の球団のコアなファンが確実に増えています。このコアなファンはかつては、テレビで巨人戦しか見れないかったからの、なんとなく巨人ファンであったんじゃないかと考えています。そういうなんとなく巨人ファンを他球団が取り込んだ結果が巨人戦の視聴率に現れていると私は見ます。


なんとなく巨人ファンが他の球団のコアなファンになった場合、日本テレビが中継しても自分のファンの試合しか見なくなります。私は阪神ファンですが、阪神巨人戦以外の巨人戦中継はあんまり見たいとは思いません。そうなると、なんとなく巨人ファンのうち、他のセの球団のコアなファンになったものは、従来の1/5しか巨人戦中継を見なくなります。

もうひとつ注目してよい数字があります。パ・リーグの人気向上です。なんとなく巨人ファンからパの球団のコアなファンになったものは、巨人戦中継を殆んど見なくなります。パ・リーグに巨人はいませんから、見る必然性が低下すると言う事です。上でパリーグの観客動員数がセに近づいていると事を示しましたが、これと巨人戦視聴率の推移をグラフにしてみます。

ちょっと強引かもしれませんが、パの人気上昇に反比例する様に巨人戦視聴率が低下していると見えないこともありません。あえてまとめると、
  1. かつての巨人戦視聴率はコアな巨人ファンとなんとなく巨人ファンが支えていた
  2. 巨人以外の球団の経営努力により、なんとなく巨人ファンが大量に他の球団のコアなファンに変わった
  3. 他の球団のファンは贔屓の球団の巨人戦しか見なくなり、とくにパのファンは殆んど見なくなった
なんとなく巨人ファンは、観客動員にはもともとそんなに寄与していませんから、巨人の観客動員数自体はそんなに翳りが見える訳ではありません。今でもしっかりと球場を満員にするぐらいのコアなファンは多数存在します。しかし、視聴率を支えていたなんとなく巨人ファンは、かなり抜け落ちたと見ても良いと考えます。


この巨人の地位の低下は、東京ドームでの開幕戦問題でわかるような気がします。どうしても東京ドームで開幕戦を行いたい巨人側は、かなり強硬な姿勢で臨んでいました。従来ならここまで巨人が強硬な姿勢を示せば、セの球団は巨人にゴマをすり、パの球団は「あわよくば新リーグで巨人と」なんて動きに展開するのが、これまでのプロ野球騒動史の舞台裏です。

ところがパはあっさり独自日程を発表してしまいます。セも表立って巨人と同調する球団は無かったとしても良いかと思います。巨人のオーナーが切り札に使ったパへの恫喝である「交流戦を中止するぞ」も、今のパにとって、痛くないことはないが、十分我慢できる範囲になっているとしても良いかと思います。それでも突っ張った巨人サイドでしたが、最後は四面楚歌で白旗状態に陥ります。

これはこれまで他の球団に対する経営上の生殺与奪(とくにセ。パは混乱希望)の力が如実に低下したことを示しているとしても良いかと感じます。とくにテレビ中継と言うカードまで失ったのは大きかった様にも感じています。巨人戦があればテレビで全国中継がされるというのも、球団・選手にとって言い知れぬ魅力であったかもしれませんが、それもなければ、交流戦中止はたった2試合分の人気カードの喪失に留まります。


今でも巨人が人気チームであるのは間違いありません。おそらく日本一の座は今でも巨人だとは思っています。しかしかつてのようにダントツではなくなったと考えています。かつては圧倒的に日本一の存在であり、他の球団は全部で束になっても敵わないほどの人気があったと思いますが、現在は相対的に魅力的なチームの地位になったとするのが宜しいかと思います。

それを自覚出来ていない人が、今でもドンとして君臨し、昔のように振舞えると錯覚したのが春の醜態です。私も良い歳にはなってしまいしたが、あのドンにとって最近10〜20年の変化なんて認識するのも難しいでしょう。


まとめとして巨人戦の視聴率の低下は、巨人ファンの異常な広がり部分が減少したために起こったに過ぎず、イコールとしてプロ野球人気のバロメーターにはならないと考えます。もちろんプロ野球人気が「だから安泰」とは言えませんが、日本テレビの巨人戦視聴率だけですべてを語ろうとするのは木を見て森を見ずになると思っています。個人的にはプロ野球の楽しみ方が正常化しただけとも言えそうに考えています。


おまけ

テレビ中継が始まってからの歴代監督の視聴率をグラフに示します。

テレビ中継が始まってから巨人監督で最大の人気者は長嶋茂雄です。これには異論は少ないと思います。9連覇を果たした川上哲治勇退したのは、もちろん功成り名を遂げてのものですが、一説では勝っても、勝っても視聴率がジリ貧と言うのもあるそうです。そういう目で見れば、1965年には25%近くあった視聴率が最後は17%ぐらいに低下しています。

視聴率の面での期待を背負った長嶋(第一次)は視聴率25%近い数字をキープしています。その後も藤田(第一次)、王と安定して20%以上をキープしていますが、第二次藤田監督時代に再び20%を切る傾向を示しだします。

そこで再び長嶋(第二次)の登場となるのですが、長嶋をもってしても20%前後をキープするのがやっととなり、最後の2001年にはそれまでで最低の15%程度まで落ち込むことになります。ここは見ようですが、長嶋でも維持できなかった視聴率は、後を継いだ原、堀内ではなす術もなく10%を切る状態に転げ落ちたと見るのも可能です。

もちろん監督だけが視聴率の要になるわけではありませんが、長嶋(第二次)時代に毎年の様に繰り広げられた超大型補強の理由に、長期低落を食い止めようとする読売経営陣の意図が込められていたかもしれません。視聴率1%がいかほどの金銭に換算できるかは存じませんが、10億円補強を展開してもペイする価値があったと言う事かもしれません。

蛇足のオマケです。