群馬からの連想

ネタ新聞のタブロイド紙が連想のスタートなのが少々遺憾ですが、9/17付記事より、

臨床研修:新人研修医、定員の6割満たず 県「あらゆる対策講じる」 /群馬

 厚生労働省が15日に採用実績を公表した新人医師の臨床研修で、県の採用は前年度と比べ10人減の72人となり、定員122人の6割に満たない数値となった。特に大学病院の採用が減っており、群馬大学病院は42人の定員に対し採用は24人。県医務課は「都市部から医師を呼び込むため、あらゆる対策を講じたい」としている。

 医師確保対策として、県は09年度から群大医学部入試の地域医療枠に合格し、卒業後に県内の公立病院などに就職を希望する学生に修学費として年間180万円を貸与する制度を設置。長期間勤務した場合、返還が免除される。09年度は5人、今年度は17人が制度を利用している。【奥山はるな】

スタートはここなんですが、

    県の採用は前年度と比べ10人減の72人となり、定員122人の6割に満たない数値となった。
今日は記事に文句をつけようと言う趣旨はあんまりなくて、ここに書いてある募集定員122人の意味を考えてみたくなりました。どういう目標でこの定員数が設定されているかです。もちろん基本は県内の病院で研修医を受け入れられる人数の積算ではあるのでしょうが、それだけとは言い切れない部分が当然あるはずです。この記事には明記していませんが、
    研修医獲得数増加 = 県内医師数増加(医師不足解消)
この効果を狙ってのものだとするのが妥当でしょう。では群馬の医師数ですが一番簡単な物指しである人口10万人当たりの医師数で見ると、2008年度データで全国平均212.9人に対し群馬は200.1人となっています。県当局の考え方として全国平均にとりあえず追いつくのが目標にまずなるのは自然の成り行きです。県単位の考え方ですから、全国のバランスに深い配慮を行わなくてもさしての問題ではありません。

全国平均に追いつくためには、都道府県ごとの人口比による研修医の配分より多く獲得する必要があります。「研修医獲得数増加 = 県内医師数増加(医師不足解消)」の法則は必ずしもそうならないとは言え、この法則の上で研修医獲得を考えるのならそうなります。ではどれぐらいの研修医数を獲得すれば群馬としては成功であったかです。

都道府県が「研修医獲得数増加 = 県内医師数増加(医師不足解消)」で研修医獲得を考えた時には、本当は人口比だけではなく、地理的要因、現在の充足数(不足数)などが絡み合いますが、人口比以外は数値化しにくかったり、データがそろっていない部分が多いので、今日は人口比で考える事にします。群馬は行った事がないのですが、地理的にはそれほどの特殊要因は少ないと考えています。

人口比で較べるのなら算数は単純になります。2010年度の研修医総数は7506人です。日本の人口も群馬の人口もわかっていますから計算は非常に容易です。

都道府県 人口比配分 実定員
群馬 118.9 122


純人口比配分であれば118.9人であるのに対して定員は122人です。ここは見方ですが、定員をすべて満たして何とか合格点ぐらいの設定になっています。定員をすべて満たしても純人口配分を上回る分が3人とも見る事は可能だとも考えられます。そういう意味では群馬が設定した定員の6割程度しか研修医を集められなかったのは深刻な問題と言えるとは思われます。

もう少し言えば、研修医数を入学時の医学部定員である7725人と仮定すればほぼ122人です。つまりは群馬の研修医枠はそもそも人口比配分以上のものを用意していなかったとも言えます。では群馬以外はどうなっているかになります。研修医実数7506人に対し全国の定員は10900人ですから、人口比配分より多い数の設定をしている都道府県もあるはずだからです。

上位10位 下位10位
都道府県 人口比 実定員 定員比 都道府県 人口比 実定員 定員比
石川 69.0 167 2.42 埼玉 414.4 425 1.03
島根 43.6 99 2.27 群馬 118.9 122 1.03
東京 738.6 1572 2.13 茨城 174.8 188 1.08
福井 48.3 100 2.07 静岡 222.8 240 1.08
沖縄 80.0 165 2.06 千葉 355.8 390 1.10
鳥取 35.7 73 2.05 宮城 138.7 154 1.11
高知 46.8 96 2.05 広島 169.0 189 1.12
徳島 47.6 96 2.02 熊本 108.2 123 1.14
京都 155.6 293 1.88 宮崎 67.7 78 1.15
秋田 67.3 126 1.87 岐阜 123.8 145 1.17


全国的に見ても群馬の定員数の設定の慎ましさがよくわかります。全国最高になる石川の2.42倍と較べるとその差は歴然です。群馬の設定が小さい理由は存じませんが、単純には研修医を募集できる病院体力が小さい事は推測されます。つまり無い袖は振れないの可能性です。それでも定員数の設定が大きい都道府県がそんなに余力が大きいところばかりにも見えないので、なんとも言えないところです。

定員数を大きく設定するか小さく設定するかは卵が先か、ニワトリが先かの問題に似ている面があって、現実にこの程度の応募人数しかいないのだから、大きく設定しても恥をかくだけの考え方もあるとは思います。群馬も今年度の2倍の定員設定をすれば研修医の数が増えたかと言われると誰にもわかりません。現実に設定数を大きくしても応募の少ないところも存在します。



さてなんですが、都道府県が研修医獲得競争に血道を上げるのは「研修医獲得数増加 = 県内医師数増加(医師不足解消)」の法則であるとしました。しかし本当の狙いは研修医の獲得数を増やすのではなく、一人前の医師数を増やすところにあるはずです。その前段階として研修医獲得競争があるのですが、研修医の帰属意識はどうなんだろうといつも思っています。

私は言うまでもなく旧研修制度の医師です。旧制度では研修先を選ぶと言うのは大学医局に属するとほぼ同義語でした。大学医局に属するとは、大学医局に帰属意識を強烈に持つと言う事です。勤務医としての将来もこの時点である程度決まり、勤務できる病院も大学の系列病院に限定されると言う仕組みです。大学医局の系列病院が県内だけなら自然と県内勤務になり、県外にも系列病院が在れば県外病院勤務もあるという感じです。

ただ新制度の医師はかなり違うとされます。旧来の大学医局方式に従うものも少なくないでしょうが、進路の決定権がかなり長い間、それも将来への支障が少なく保持できている様に思います。旧制度のように選べるのは大学医局だけとは相当様変わりしていると考えています。

前期研修先の意味合いも、旧制度のように一生の選択と言うわけではなく、本当に前期研修を行なうところとして選んでいるに過ぎない部分が大きくなっていると感じています。前期研修終了後は後期研修先の選択になるのですが、これも相当ドライに選択しているように感じますし、そうする者の比率はこれから大きくなるにせよ、小さくなる可能性は低いと思われます。

ましてや前後期の研修終了後に勤務する病院の選択もまた残されています。この辺の違いをまとめておくと、

選択機会 旧制度 新制度
研修開始時の選択
前期研修終了後の選択 ×
後期研修終了後の選択 ×
さらにその後の選択


ちょっと極端な表現にしていますが、旧制度下で大学医局を抜けるのは「抜け忍」みたいな扱いを受けると怖れられていました。現実はそうである部分もあり、そうでない部分もありましたが、少なくとも系列病院への就職は難しくなるのだけは間違いありません。

こういう状況で研修医が前期研修先の都道府県に居ついてもらうにはどうするかを本当は考えないといけません。簡単には上記した帰属意識をどうやって持ってもらうかです。たとえば出身地に対する属性は要素として小さくありません。現実に地元高校出身者の残留率は高そうのデータもあります。これもさして不思議な現象ではありません。

医療に限らずですが、地元に活気があり有望な就職先があれば、誰だって将来の選択枝の上位には置きます。1位でなくても3位ぐらいまでには置くとしても過言ではないかと思います。やはり故郷にはそれなりの思い入れがあり、たとえば私が勤務医であったとしても、少々条件が良くとも東北や、北海道にホイホイ就職したいかと言えば、かなりの決断を要すると思います。

それと居住しているだけでも、その地域への愛着は湧きます。これも難しい話ではなく、学生時代に過ごした地域は多くの者に懐かしい面があるのと同じ効果です。(出身、居住とも逆効果になったものの話は省略します)

出身属性、居住属性への帰属性は初期研修医にも期待できますし、その帰属性に従って初期研修から引き続いて県内の医療機関に定着していく医師も一定数は存在すると思います。ただ新制度では後になっても選択権は医師の手に残ります。出身属性、居住属性以外に帰属を決定する因子は何であろうかになります。

研修医は研修病院で研修するのと同時に、その病院の先輩医師の仕事振り、暮らし振りを観察する事になります。その様子があまりに酷いと、出身属性、居住属性を振り切る要因になりうると考えます。先輩医師の働き振り、暮らし振りは未来の自分自身の姿に投影されるからです。日本中どこに行っても、理想郷みたいな病院はないにしろ、目前の状況があまりにも悲惨であると「ここよりはマシなところはあるだろう」との判断が働きやすくなると言う事です。


ここで記事に戻りますが、

    県医務課は「都市部から医師を呼び込むため、あらゆる対策を講じたい」としている。
ここも思うのですが、目的は研修医の呼び込みだけではないはずです。呼び込んで定着させる事が真の目的のはずです。「あらゆる対策」とは目先の呼び込み策に限定されるのはなく、呼び込んだ医師をいかに定着させるかまで一貫のものでなければならないはずです。そうしないと奨学金をいかに投入しようが9年(もしくはもっと早く)すれば立ち去られるだけでなく、一番重要な中堅医師にも立ち去られてしまいます。

「あらゆる対策」を考える時に私から一つアドバイスをさせて頂きます。

    隗より始めよ
余りにも有名な故事成句なのですが、簡単に説明しておきます。中国の戦国時代に燕と言う国がありました。先王の時に国に内乱が起こり、隣国の斉に介入され酷い目にあわされる事になります。昭王は斉への恨みを雪ぐために賢者を求めましたが、なかなか思う様に集まりません。そこで郭隗に相談します。郭隗はこう答えたとされます。
    「昔ある王が千里の馬を求めたがなかなか手に入らなかった事があります。そこにある男が『私が見つけてきましょう』と請け負います。その男は千里の馬を見つけましたが残念ながら既に死んでいました。しかし男はその馬の骨を大金で買って持ち帰ります。王は怒りましたが、男は答えます『馬の骨さえ大金で買うとの評判が立てば必ず馬は集まります』と。ほどなく王は千里の馬を何頭も手にすることが出来ました。 王よ賢者を求めるなら、先ずこの隗より始めなさい。隗程度のものでも厚遇されるとの評判が広まれば、必ず賢者は集まります。」
その日より昭王は郭隗に対し師弟の礼を取り、王宮に匹敵する大邸宅に住まわせます。そして手に入れた賢者が、中国史上でも屈指の名将である楽毅です。楽毅は王の期待に応え、斉の70余の城を占領し滅亡寸前にまで追い込みます。

つまり馬だけを買い求めようとしても「あらゆる対策」にはならないと言う簡単なお話です。見当違いの方向に「あらゆる対策」が暴走しないように祈っています。