新型インフルエンザ対策の総括・・・だそうです

まず基本情報です。2/24付m3.com「医療維新」より、

 2月22日、時事通信が『新型インフル諮問委、記録残さず=首相に答申の専門家会議--非公開の10回検証困難』として、「政府の新型インフルエンザ対策本部(本部長・鳩山由紀夫首相)に、国が採るべき方針を答申してきた専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)が、開いたすべての会議で議事録などの記録を残していなかった」と報じたことについて、内閣官房官房副長官補室・新型インフルエンザ等対策室の三好英文氏は、m3.comの電話取材に対し、この報道内容が事実であることを認めた。

 三好氏によると、専門家諮問委員会について、議事録は残っておらず、開催された10回のうち3回分(1、9、10回目)について、取材対応用に用意した議事概要のみが残っているという。なお、専門家諮問委員会の初回は5月1日に開催されているが、各開催日時については会議が非公開であることを踏まえ、公表していない。会議に用いた資料等については、現在、管理状況を確認中とのこと。

新型インフルエンザ対策は私の理解によれば、

  1. 専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)が政府に意見を出す
  2. 政府の新型インフルエンザ対策本部が専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)の意見も含めて検討し決定する
  3. 決定を受けて厚労省新型インフルエンザ対策本部が事務連絡を出す
こういう構成であったと考えています。実際は若干相違する部分があったにせよ、専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)の位置付けはブレインとも参謀本部とも考えられます。なにしろ未知の感染症に対する対策ですから、専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)の意見は決して軽くはないと考えられます。

ここで総括となると行なわれた対策が有効であったかどうかの評価ももちろんですが、その検討決定過程も非常に重要と考えられます。結果として有効な対策であっても、まぐれ当たりの産物では次の参考にはなりませんし、逆に結果として失敗であっても当時の状況と判断からしてやむを得ないというのがあります。

つまり結果の判定だけではなく、過程の検討も欠かせないと考えます。しかし議事録も資料も見事に存在しないそうです。そうなると過程の検証は不可能となります。関係者の記憶に頼った証言だけでは、それこそ真実は永遠に不明です。言ったら悪いですが、誰しも都合の悪い事は言いたくないものです。とくに今回の新型インフルエンザの結果は現在のような情勢であるからです。

今さら、

    私はトンデモ意見を会議で強硬に主張しました
こんな事が期待できるなんて思えないからです。そんな状況で尾身茂委員長が記者会見で「総括」をなされたそうです。これが3/23付時事通信にあります。

新型インフル対策は成功」=政府諮問委員長が会見で総括

 政府の新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会の尾身茂委員長が23日、東京都千代田区の日本記者クラブで記者会見し、諸外国と比べ死亡率を低く抑えることができたと述べ、「国の対策は成功だった」と評価した。

 尾身氏は一連の対策を総括し、「死亡率は圧倒的に低く、世界の中で優等生だ」と指摘。徹底した学校閉鎖や治療薬タミフルが患者に行き渡ったことが大きく影響したとした。

 空港での水際対策は「感染の拡大防止に一定の効果はあったが、(国内発生を想定した)次段階対策へのシフトが遅れた」と分析した。

まず結果として

    死亡率は圧倒的に低く、世界の中で優等生だ
これは私も同意します。ただし対策の結果ではなく、流行の結果がそうであったと言う事についてのみです。新型インフルエンザ対策の有効性を評価するのであれば、その対策のどこが有効であったから、諸外国に較べて死亡率を低く抑えられたかの理由が不可欠です。理由は不明だが、対策らしきものをやったら低かったので「国の対策は成功だった」とは言えないかと思います。

時事通信記事だけでは情報が余りにも少ないので、杜父魚文庫ブログ様の水際作戦はパフォーマンスだった 石岡荘十からの引用を情報として追加します。石岡氏は尾身茂委員長の記者会見に出席し、質問もされたようです。引用は2ヶ所で、

尾身委員長によれば、厚労省に呼び出されたのは4日後の5月1日だった。その時にはすでに防疫法に基づく非常行動発令のボタンが入ってしまった後だった。アドバイスを求められたのは、感染の疑いがあるとして空港近くのホテルに停留、つまり隔離・軟禁状態に置かれている海外からの帰国者の扱いについてであった。10日間停留となっていたのを潜在期間のメドとなっている1週間に短縮したほうがいいではないかと提言して、そうなった。

尾身委員長は言う。「空港で1人の感染者も入れないといくら頑張ったって、潜伏期間のある感染者がすり抜けて国内に入ってくるだろうということくらいは、官僚(医系技官)だって分かっていたはずだが、WHO(世界保健機関)が警報を発している状況の中で、検疫レベルで何もしないのでは、国民に批判されたときにそれに耐えられるか。そう考えた。だがやり過ぎた。その結果、国内対策へのシフトが遅れた。地域医療施設へのフォローアップが遅くなった。この2点が今回の最大の教訓だと思う。地方自治体に対して、地域医療対策に力を入れるよう指令したのだが行き届かず、コミュニケーションがうまく取れなかった。水際作戦に気が行ってしまった。コストパフォーマンスからいっても問題はあった。」

もう一つは、

筆者が尾身委員長に訊いた。

Q:あれをやったのは間違いだったという反省点はないのか。

A:やり過ぎだったというところはある。しかし、患者の致死率は圧倒的に日本が少ない。(米;3.3、メキシコ;2.9、カナダ;2.8、日本;0.2)。学級閉鎖の効果もあった。はじめから患者の重症化を防ぐことが最重点目的だったからその意味で対策は成功だった。

Q:不評だったワクチン10mlバイアルの件は?

A:ともかく早く量を確保し、市場に供給とあせってああいうことになってしまった。今後の教訓としたい。地方の保健所が1万人に及ぶ海外とこう歴のある人の追跡調査を電話でやったが、もっと能率的な方法もあったのではないかと思っている。

Q:いろいろなところで、すでに厚労省の対応に対する厳しい批判が出ているが---

A:結果だけを見て場違いな批判もある

とりあえずこれだけの情報で、尾身委員長が強調される

    結果だけを見て場違いな批判もある
この言葉を頭に留めながら新型対策の総括の批評をさせて頂きます。


水際作戦

まず尾身委員長は水際作戦の発動について、専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)は関与していないとしています。では誰が厚労大臣に進言して発動させたかは不明になります。「誰が」と言う問題は今日は置いておいて、水際作戦の尾身茂委員長の評価は、

    空港で1人の感染者も入れないといくら頑張ったって、潜伏期間のある感染者がすり抜けて国内に入ってくるだろうということくらいは、官僚(医系技官)だって分かっていたはずだ
これは水際作戦実行中も指摘されていた点である事は間違いありません。つまりは愚策であると言う事です。この愚策は行なう前から愚策であり、行なっている間も愚策であり、結果も愚策です。愚策であるとわかっている中で、専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)は何をどうしたかが問われるところです。

尾身委員長の言葉を参照にしますが、

    水際作戦に気が行ってしまった
この言葉をどう解釈するかになりますが、早期打ち切りの提言の受け入れに苦慮していたとの考え方も成立はしますが、それよりも専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)も水際作戦に熱中遊ばされたとも解釈は十分可能です。なんと言っても検討記録は消失しているわけですから、傍証しか無いのですが、国内蔓延が確認されても執拗に続けられていたのは記憶に新しいところだからです。

それと次回はどうするかですが、

    WHO(世界保健機関)が警報を発している状況の中で、検疫レベルで何もしないのでは、国民に批判されたときにそれに耐えられるか
批判には耐えられないので次回もやる気満々のようです。ですから水際作戦の専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)の総括は
    次回も水際作戦を必ず行なう、ただし今回みたいにやり過ぎない程度に
水際作戦は新型対策の中でも愚策の象徴のようなものですが、これを総括でも必要であったとするのなら愚かな総括の象徴になります。


徹底した学級閉鎖

春の神戸や大阪の流行の時には効果があったように見えたのは認めます。しかし秋の大流行期はどうだったでしょうか。徹底した学級閉鎖が展開されたのは、何枚にも渡る「今日の学級閉鎖」のFaxを連日見ていましたから知っています。ここでの問題は徹底した学級閉鎖を行なった事により感染拡大をどれだけ防止できたかがポイントになります。

学級閉鎖の目的は感染拡大を防止することにより感染者を減らし、そこからの重症患者発生を防ぐのが目的のはずです。学級閉鎖をしても重症になる人は重症になりますから、感染母数を減らす事により一定の確率で起こる重症患者の絶対数を減らそうとしたはずです。しかし結果としては秋の大流行は防止できていません。嵐のように学級閉鎖を行なっても、解除すれば再び流行は起こり、再閉鎖を行なったところも多数に上ります。

感染が終息に向かったのは、今後他にも理由が提唱されるかもしれませんが、

  1. 成人への流行は何故か小規模に終わったこと
  2. 子どもでは不顕性感染・軽症感染も含めて「罹る人」が減ってしまったから
新型の流行は子どもに偏在し、結局「罹り尽くして」終息に向かったと私は見ています。つまり徹底した学級閉鎖は感染拡大の防止には効果が乏しかったと言う事です、

ただなんですが、学級閉鎖は水際作戦以上に行なう必要がある対策であった事は私も認めます。もし対策として学級閉鎖を行なわなかったら、それこそ無策の象徴とした耐え切れない批判が出てくる事は間違いないからです。ですからやらなければならない対策であった事は認めますが、効果があった対策として総括する事には非常な違和感を感じてなりません。

もう一つなんですが、秋には学校行事の多い季節です。日常診療で痛感したのは、大人数が集まる行事があれば必ず感染者が急増しました。具体的には運動会とか音楽会です。これに対する専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)の見解はどうであったか知りたいところではあります。

「楽しみにしている子どもが可哀そう」の意見も当然出てくるでしょうが、それも含めてどれだけの検討を行なったかです。もちろんこれも記録がすべて消失していますから、検証する術もありません。


タミフルの供給

まずタミフル問題で専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)がどういう役割を担っていたのかがよくわかりません。上述したように成人への流行は限定的でした。つまり例年の流行に較べて大量のタミフルなりリレンザが必要であったかどうかです。もうちょっと言えばタミフルの供給の統制を行なったのは厚労省の新型対策本部であり、さらにタミフルリレンザの供給が不足したと言う話は余り聞きません。

ここで専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)が果たした役割として考えられるのは、せいぜい「タミフル供給に支障がないように」の注意ぐらいです。そんな事は言われなくても誰でも思いつきます。専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)がタミフル問題で指導力を発揮するとしたら、タミフルリレンザが備蓄分も含めて不足した時だと考えます。

そういう状態に備えて、対策を検討していたか、いやプランを策定したかが総括として問われるところじゃないかと思います。しかしこれもまた、記録が消失した状態では何をしていたかを確認する術はありません。まさか小児用DS製剤がついに不足した時の「拙い飲ませ方」だけ考えたのだとしたら少々笑います。


パーティーボトル

この問題は散々やったのでなるべく短くはしたいのですが、尾身茂委員長の見解は、

    ともかく早く量を確保し、市場に供給とあせってああいうことになってしまった
この言葉のうち「早く量」に関して、長妻大臣の国会答弁として、

ワクチンを出荷する時の容器、バイアルと言うが、容器の大きさを全て1ミリリットルで出荷しようとしていた。しかし昨今のワクチン不足ということで、容器の半分については10ミリリットル10倍大きな容器で出荷しようと、そうすると梱包とか色々な手間としてその部分が製造量が大きくできる。

こういう裏付けもあるにはあるのですが、正直なところ疑問があります。細かい話は過去ログを参照して欲しいのですが、

  1. 舛添前大臣はパーティーボトルの生産を承認していないと国会で明言
  2. 長妻大臣は自分が承認したと国会で明言
  3. 長妻大臣が就任したのは2009年9月16日
  4. 民主党政権での政府新型インフルエンザ対策本部が始めて開催されたのは2009年10月1日
  5. パーティーボトルの初出荷は2009年10月9日(2万2948本)
もう一つ傍証ですが木村盛世ブログ「政権移行期にまぎれた医系技官の悪行」に、

     9月24、25日に、非公開ですが長妻大臣・足立政務官が、井上弁護士・森澤先生を呼んで話し合いしました。足立先生が長妻説得を試みたのですが、結局、長妻は足立先生の案ではなく、役人方針を飲んでしまいました。この、長妻が飲んでしまった役人方針の中に、10mlバイアルも含まれていたということでしょう。

     25日には、尾身氏も呼ばれました(森澤先生の上司。医系技官による口封じ)。役人ずらり同席です。

     このときに森澤先生は10mlバイアル製造すると聞き、ものすごいショックを受けて帰ってこられました。電話でお話しした時、「打ち合わせが終わった後にもう一度尾身さんから、10mlバイアルはもう製造が始まっているから変えられないと釘を刺された」とおっしゃっていたと記憶しています。

パーティーボトルが正式承認された時期として考えられるのは、

候補月日 出荷までの日数 考察
9月16日説 24日 長妻大臣就任直後の承認だが、可能性は極めて低い。
9月25日説 15日 木村盛世氏の証言による。可能性は高い。
10月1日説 9日 正式には政府の対策本部の承認が必要と考えるとこの日。


一番出荷までの期間が長い長妻大臣就任直後説でも24日間です。24日間で2万2498本のパーティボトルとパッケージを調達するのも大変だと思いますが、可能性が高そうな木村盛世氏説ならこれが15日間になり、さらに政府対策本部説なら9日間になります。今や謎ですらありませんが、パーティーボトルは舛添前大臣就任中に既に準備されていたと言う事です。これもパーティーボトルに反対の大臣に隠れて準備されていたものであり、長妻大臣就任と言うドタバタ騒ぎに乗じて承認されたものは明らかです。

ついでに言うと余りの不評のために年内でパーティーボトルの生産は打ち切られましたが、打ち切られた後の1月以降の生産量に変化はありません。これだけでは言い切れないにしろ「早く量」の根拠を疑う傍証ぐらいにはなるとは考えています。

医系技官の陰謀であるわけですが、パーティーボトルについてどういう討議検討されていたかも、これもまた一切の記録が消失しているので検証は不可能です。尾身茂委員長の総括ではどこかの時点で「賛成」したのでしょうが、誰もそれを確認することは出来無いという事です。




わかる範囲で検証してみましたが、尾身茂委員長があげた「水際作戦」「学級閉鎖」「タミフル供給」「パーティーボトル」の他にも思い浮かぶものはあります。たとえば感染地域の指定、輸入ワクチンの購入、ワクチン接種手続きとかです。これらもまとめて表にしてみます。

対策 実施時の是非 結果の是非 補足
水際作戦 × × どの時点で考えても愚策。世論対策として考えてもやり過ぎの度を越していた。
感染地域指定 × 世論対策として最低限の必要性を認めるが、途中から運用が無茶苦茶となった。
学級閉鎖 × やらない選択はないが、結果はどう考えても無効。
タミフル供給 結果として不足も逼迫もなかったので対策としては功績ではない。
輸入ワクチン購入 × 国産ワクチンの生産見通しから購入は必要だったが、結果として使われなかった。
発熱外来 × 当初はやむを得なかったが、結果としては無効。
パーティーボトル承認 × × どの時点で考えても愚策の極致。公的な集団接種をセットにしていなかったので論外の対策。
ワクチン接種の手続き × 供給量からコントロールは必要であったが、コントロールは最悪。


他にもあるかもしれませんが、対策として「結果として有効」なものは何もありません。「結果として有効」とは、行なった対策が死亡率の低下に有意に寄与したと考えられるものですが、何もなかったと私は総括できそうです。強いてあげればタミフルの供給ですが、これは日本人のクスリ好きが背景にあり、新型流行の以前にタミフルが十分に供給されていただけの事で、新型対策として特記するほどの物ではないと考えています。

新型対策で忘れてならない事は、初期に「封じ込め」で動いた事です。ですから実施時の判断として封じ込め作戦として有効であったと考えるものは「○」としています。

水際作戦も感染地指定も封じ込め作戦の延長上の発想であるのは明らかです。初期に封じ込め作戦を展開したのは、当時の判断として必ずしも責められないにしろ、作戦転換の時期が遅れたのは大きかったと思います。真っ先に感染地指定を受けた神戸や大阪の経済的被害がどれ程のものであったかは言うまでもないでしょう。

方針転換は実にコッソリ行なわれています。コッソリ行なわれた方針転換により、総括ではまるで最初から重症化防止・死亡率低下対策が行われているように強弁していますが、初期の対策は封じ込めをやろうとして失敗した対策に過ぎないとして良いと考えます。新型対策は2期に分けて考えた方が良いと考えます。つまり、

    前半:封じ込め作戦
    後半:感染拡大抑制作戦
封じ込め作戦としては「水際作戦」「感染地指定」がありますが、結果として根本方針が謝っていたので無残な失敗に終わったとして良いと考えます。感染拡大抑制作戦としてワクチン接種がありますが、予想より流行期が早かったとは言え、これ以上はない混乱を現場にもたらしただけです。

総括とは論功行賞をする場ではありません。とくに医学者であるなら、成功は成功、失敗は失敗と結果を冷静に分析する事が重要です。失敗を冷静に分析する事が医学だけではなく、あらゆる分野でどれだけ重要かは言うまでも無い事です。最悪なのは、すべてを糊塗して「すべからく大成功だった」と自画自賛で終えてしまう事だと考えます。



今回の新型インフルエンザが結果として諸外国より被害が軽微だったのはなぜかの仮説も付け加えておきます。これは日本の医療体制が医療機関へのアクセスが極めて良く、迅速かつ容易にタミフルリレンザを入手出来たからだと考えます。タミフルリレンザは発症より早い時間ほど有効に作用します。この点については、早期投与が重症化や死亡率の低下にどれほど影響があるのかのエビデンスが未確立ではありますが、新型インフルエンザの特性もまた不明な点が多いため、説として早期投与説をあげても良いと思っています。

早期投与を可能にしたのは現場の医療者の努力の賜物です。諸外国との比較を考えるのなら、この点の比較を入れないと意味が無いと考えています。無効に終わった対策の意味づけや、評価を一生懸命考えるのが総括では失笑しか買わない気がします。

この辺は言い出せばさらに拡大して、従来のインフルエンザの死亡率の国際比較はどうだったのか、タミフルの使用量と死亡率の相関性はどうであるとかはありますが、それこそ今後の検証・研究が行なわれるものです。現時点の早期投与説はあくまでも仮説の一つに過ぎません。


もっとも総括は国民の医療のためではなく官僚や御用学者のためであるとも言えるので、これ以上のものは後日になっても出てこないかもしれません。この総括により官僚や御用学者は高い評価を得て御出世されるのかもしれません。ただ「良かった」と言う公式評価は怖いもので、次の時には今回の成功した対策を「尾身モデル」として聖典化して運用されるとも思います。

私の総括みたいなものとしては、政府の愚策を現場が必死で取り繕った成果と考えていますが、次の時にどれほど取り繕ってくれるかは誰も保証は出来ません。