連鎖反応じゃないけれど

最近覚えている限りで列挙してみます。1/31付神戸新聞より、

 全国の公立病院で医師不足が深刻化する中、加古川市民病院(加古川市米田町平津)は三十日、内科で医師二人が退職し、後任を確保できないため、二月九日から当面、同科の外来診療を制限すると発表した。予約のある再来患者か、他病院から紹介された人しか受診できなくなる。(宮本万里子)

 同病院によると、内科は診療規模上、医師が最低十五人必要だが、近年減少が続き、二〇〇四年四月の十四人から現在は七人に半減。既に深夜の救急対応を縮小していたが、昨年末、新たに二人が開業などを理由に三月末での退職を申し出、五人に減ることが決まった。

加古川市民病院に2004年4月には15人の内科医がいたのが、来年度には5人に減ると言う記事です。次は2/8付宮崎日日新聞より、

 3月末までに医師6人が退職の意向を示している県立延岡病院(楠元志都生院長)の後任医師確保が難航している。背景には、同病院の過酷な労働環境に対する派遣元の医局の不満や、医局の複雑な内部事情がある。医師がいなくなれば最も困るのは患者だが、派遣協議は医師が働く環境整備に議論が集中し、“患者不在”のまま進んでいる。

 医師が退職すれば、4月以降、同病院では腎臓内科と神経内科が休診に追い込まれる。腎臓内科の患者は、心臓、肝臓病などとの合併症患者がほとんど。年間の患者数約200人のおよそ7割が救急患者だが、休診になればこの受け入れが完全にストップする。

ここの6人は内科医1人(腎臓・透析専門1人、血液専門1人)、神経内科医3人と救急担当の副院長です。県立延岡病院ではこれ以前に消化器内科が消え去っており、今回の辞職で腎臓内科、神経内科医、消化器内科医が消滅し、血液内科医、救急医も1人になります。続いて2/21付朝日新聞より、

 広島大学病院小児科医局の医師10人が今年度末で辞職することが、広大への取材でわかった。ほかに、昨年9月からすでに2人が辞職し、今年4月以降も1人が辞める見込み。4月に後期研修医7人が入局するが、同医局がこれまで通りに地域の各病院に医師を派遣するのは困難で、小児医療が十分提供されなくなるおそれがある。

広島大小児科医局の辞職者10人のうち7人が市立舟入病院小児科で、舟入病院は11人の小児科医のうち7人が辞職しています。舟入病院広島市の小児二次救急の最後の砦みたいな位置付けですから、7人減のままという事はないでしょうが、抜けた分の補充には苦慮する事になると考えられています。さらに2/26付神戸新聞より、

 明石市立市民病院(鷹匠町)は二十六日、消化器科の医師十一人のうち八人が三月末までに退職すると発表した。医師不足のため後任医師が確保できず、病院は三月以降、消化器系の入院、救急患者の受け入れを休止。新しい外来患者の受け入れを見合わせるなど、診療体制を大幅に縮小する。

8人は消化器科トップ以下の集団異動になっているとの事です。明石市民病院は産科がその前に半身不随になっていますから、さらなる悪化と言うところでしょうか。もう一つ、2/28付タブロイド紙より、

 焼津市立総合病院(同市道原、太田信隆院長)は27日、3月末までに呼吸器科など内科4科の医師計9人が退職するため、4月から内科全6科の診療を大幅に縮小することを決めた。

 6科の外来診療は継続するが、原則として紹介状のある患者の診察のみ行う。同病院は「地域の基幹病院として、重症患者や専門的治療が必要な患者への対応に専念するため。利用者にはご理解いただきたい」と話している。

 同病院によると、退職する医師は、代謝内分泌科=4人中3人▽呼吸器科=4人中3人▽消化器科=6人中2人▽神経内科=3人中1人。派遣元大学の引き揚げなどによるもので、特に、代謝内分泌、呼吸器課は4月以降医師が1人になる。今夏には、総合診療内科の医師4人中数人も退職する予定だ。

ここの退職を表にしてみると、

診療科 現在 退職後
代謝内分泌科 4人 1人
呼吸器科 4人 1人
消化器科 6人 4人
神経内科 3人 2人
総合診療科 6人 数人
23人 8人+数人


ここも退職者の補充の目途は立っていないようで、内科の医師数は半減する事になり、戦力的には半減以下と言うか半身不随になります。もうちょっと俯瞰的な記事は、2/22付東京新聞より、

 群馬大医学部付属病院(前橋市)が各地の病院に派遣している常勤医について、二〇〇九年度の削減見通しが固まった。十八診療科のうち十科が派遣人数を減らすことを決め、各病院から引き揚げる常勤医の合計は三十四−三十五人となっている。館林厚生病院(館林市)の小児科や利根中央病院(沼田市)の麻酔科は〇九年度から常勤医がゼロになるなど現場の診療体制に深刻な影響を与えそうだ。 (中根政人)

 群大のまとめでは、両病院のほか、公立碓氷病院(安中市)の眼科と整形外科、日高病院(高崎市)の麻酔科などへの常勤医派遣をゼロとすることが決まっている。

 常勤医派遣の削減数を群大医学部付属病院の診療科別に見ると、慢性的な医師不足の状況を反映し、小児科が十一人、第一内科が七人、麻酔科蘇生(そせい)科が五人と、大幅に減らす。このほか、第二内科が二−三人、脳神経外科が二人(うち一人は〇八年度に削減)、第三内科と泌尿器科が各一人となっている。

 陽電子放射断層撮影装置(PET)などによる画像診断治療を行う核医学科は、前橋赤十字病院前橋市)から二人を削減することを新たに決めた。

引き上げる常勤医の数が34〜35人ですから自力で医師補充が出来ない病院はそのまま医師減になりますが、記事にある館林厚生病院小児科は常勤医3人、非常勤医2人体制ですから、このうち常勤医の3人がいなくなることになります。最後に3/2付岩手日報より、

 岩手医大の消化器・肝臓内科に籍を置く医師が昨年4月から今年9月までの1年半で、9人退職する(見込みを含む)ことが27日、分かった。このうち県立病院に派遣されている医師は7人。消化器・肝臓内科は内科の要。背景には、過酷な勤務環境が影響しているとみられる。同内科の医局員は10年ほど前に比べると半数以下に減少したという。同医大は本県の医師派遣の中枢を担うが、県立病院や自治体病院への派遣は一層厳しくなっており、地域医療の崩壊が始まっている。

 岩手医大によると、消化器・肝臓内科の医局員は2008年4月時点で26人だった。しかし、今年2月までに4人が去り、3月末までに2人が退職の意向を示している。

 4月には若手医師2人が入局を予定しているが、その後は9月末までにさらに3人が退職する見込み。この1年半の間で、トータルでみると7人の医師が純減となる計算だ。退職の理由としては「開業する」「ほかの医療機関に赴任する」など。過重勤務が背景にあるとみられる。

結構な減りようで、まず2008年4月時点で26人が在籍していましたが、9人辞職して2人加入で19人になる見通しのようです。10年前の半減以下という事は、10年前は40人以上の医局員がいたと考えられます。


他にも阪南市立病院の件もありますし、これは去年ですが江別市立病院の件もありました。記憶に頼って調べているので他にもあるかと思います。古くは舞鶴や水原郷、成東、さらには東京の東十条病院が事件として関心をもたれましたが、あの頃は単発例で、どちらかと言うと例外例の空気も幾分はありましたが、年度末に向っての大量辞職事件は単発ではなく連鎖反応の様相を呈してきているように感じます。

これまでの病院崩壊は櫛の歯が抜けていくようにポロポロと医師が減っていき、やがて臨界点に達するパターンが多かったように思います。ところが焼津や舟入、明石、さらに延岡も含めて良いと思いますが、一挙に大量辞職して一撃で機能麻痺になるパターンが頻発するようになってきたと感じます。これは待遇の良くない病院で医師同士の横の連絡が強くなっただけではなく、容易に医師同士の意思疎通が可能になった一つの傍証ではないかとも考えています。

大量辞職を防ぐための対策が病院でも必要になるのでしょうが、医師の現在の勤務病院へのこだわりは信じられないぐらい低いですから、まとまって長々と労働交渉をする習慣がありません。医師代表みたいなのが抗議を行って、経営者サイドなり管理者サイドが交渉術の一つとして曖昧な態度で引き延ばしにかかったら、早期に抗議をあきらめてエネルギーは内向してしまうと考えています。医師が抗議をやめたのは「あきらめた」とか「丸め込まれた」訳ではなく「見放した」になってしまいます。「見放した」時に従来は、抗議の先頭になった医師ぐらいしか辞めなかったのが、抗議を見守っていた医師も広く同調しているのが大量辞職の一つの背景だと感じています。

未だにカビどころか苔むしたような精神論や、取ってつけたような研修医活用作が対策として幅を利かせている現状がありますから、まだまだ医療崩壊の底は深いと言う事でしょう。