杞憂でありますように

連合HPより一部引用、

医療費の不正請求

 病院からもらった領収書と、後日手元に届く医療費通知をつき合わせたとき、自分はその月に全くお医者さんに行っていないのに、行ったことになっていたり、健康診断(保険はききません。病気以外は実費です)に行ったはずなのに病気扱いになっていたりしていたら、これがいわゆるお医者さん(医療機関)による医療費「不正請求」です。

 現在、わが国の医療費は年間約30兆円。国家予算の約半分に匹敵する大きなものになっています。このなかで「不正請求」は相当な額になるとの指摘もあります。

その他の部分はお時間があればお読みくだされば結構ですが、おおよそまともな事が書いてあります。全文引用すると長いので、気になる部分の引用だけに留めさせて頂きます。引用した部分の前段もまた問題になるものではありません。不正請求は医師の風上にもおけない行為ですから、これの根絶を目指す事自体は正しい事です。

問題にしたいのは後段の部分です。

    現在、わが国の医療費は年間約30兆円。国家予算の約半分に匹敵する大きなものになっています。このなかで「不正請求」は相当な額になるとの指摘もあります。
ここでは二つのポイントが指摘されています。
  1. 医療費が国家予算の約半分に匹敵する
  2. 「不正請求」は相当な額になる
医療費の総額が約30兆円であるのは、まあ良いとしましょう。絶対値としての金額が大きいのは認めますが、「国家予算の約半分に匹敵する」とは大袈裟すぎます。日本の国家予算が60兆円とか、80兆円ぐらいしかないと連合は考えているのでしょうか。HPに麗々しく書かれていますから、真剣にそう思っていると理解してよいのかもしれません。国家予算を一般会計のみと考えているのなら、「国家予算の約半分に匹敵する」は必ずしも間違いではありませんが、国家予算には常識以前のお話ですが特別会計もあります。

国家予算と言うからには少なくとも一般会計と特別会計の合計を言うのが正しいかと思います。財務省のHPにある特別会計の話第2章 特別会計の現状に一般会計と特別会計の分かり難いグラフがあります。

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歳出分は一般会計と特別会計を合わせて212.6兆円あります。特別会計の本当の額については異論もありますが、財務省情報でもこれだけあります。医療費30兆円は巨額であるとは言え、国家予算に対しての割合は14%程度であり、決して「国家予算の約半分に匹敵する」ものではありません。それと言うまでもありませんが、医療費30兆円はすべて国家予算から支出されているわけではありません。古いデータで申し訳ありませんが、平成17年度の財源別国民医療費より、

財源 推計額 構成割合
公費 国庫 8兆2992億円 25.1%
地方 3兆7618億円 11.4%
保険料 事業主 6兆7082億円 20.2%
被保険者 9兆5811億円 28.9%
その他 4兆7786億円 14.4%
患者負担 4兆7572億円 14.4%
計(国民医療費) 33兆1289億円 100.0%


国家予算での医療費の負担は8兆円ほどで、国家予算での医療費の比率は3.8%ほどになります。一般会計に占める割合でも10%ほどです。連合の記載でおかしいと感じる点は、
  1. 国家予算を何故か一般会計に限定している事
  2. これは個人により感想は変わると思いますが、医療費が国家予算の半分ぐらい占めているような誤解を招きそうな表現になっている事
医療費30兆円が巨額である事は否定しませんが、パチンコ産業も30兆円ぐらいですし、葬祭関係になると30兆円以上だったと記憶しています。それと医療費30兆円は医師の懐にすべて入るわけではありません。医療の収入としては確かに医療機関を通過しますが、この30兆円で薬品業界が成立し、CTやMRIなどを販売する医療機器メーカー、注射器などを販売する医療器機メーカー、レセコンや電子カルテを販売するメーカー、病院や医院を建設する業界などすべてを賄っています。


次は「不正請求」です。「相当な額」とはアバウトな表現ですが、こういう表現をすると医師及び医療機関は「不正請求」の権化みたいに感じられます。社会保険報酬支払基金の審査情報等の提供のところに平成19年度の支払基金における審査状況があります。

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まず社会保険の支払い総額が11兆7309億7562万円となっています。このうち査定・返戻等の合計として1893億8836万円とあります。1893億8836万円は「相当な額」ではありますが、支払い総額に対する比率は1.6%です。さらにこの1893億8836万円のすべてが「不正請求」ではありません。査定と返戻は意味する事がかなり違います。資格返戻等とは保険証の確認ミス、保険資格の変更の確認ミス、住所変更の確認ミスなどの請求時の手続きミスとしても良いものです。

資格返戻等は私の診療所でもしばしばありますが、通常は間違っている部分を訂正すれば診療報酬は支払われます。この表にある資格返戻等になっている部分の1429億3468万円が、訂正して支払われた部分も含んでいるのか、訂正しても支払われなかった総額なのかの判断が難しいのですが、とにかく資格返戻等の部分は基本的に「不正請求」ではありません。

そうなると残りは査定となる464億円ほどになり、支払額の0.4%程度になります。ではこれがすべて「不正請求」かと言えば異論があります。査定の対象になる請求は

  • 過誤請求
  • 過剰請求
  • 不当請求
  • 不正請求
過誤請求は「誤って」の請求です。これはレセプト請求の適用が誤りと解釈されたり、診療行為に対する病名の不足によってのものが多数を占めます。診療行為と病名の適合について書き出すと長くなるので控えますが、医療機関にとって非常に難しい作業の一つになります。

過剰請求とは決して「水増し請求」とか「架空請求」の意味ではありません。実際に医療行為を行なっていますが、その診療回数が多すぎるとしての査定です。過剰請求については善悪両面があり、善の場合は患者の治療に必須であるにも関らず、保険請求上は過剰とされるものです。そんな事があるのかの疑問もあるかもしれませんが、テンコモリあります。悪の場合はいわゆる「無駄な検査」みたいなものを考えられたら良いでしょう。

不当請求は、過剰請求の意味に近いのですが、過剰請求の悪の事例に近いニュアンスとしても良いかもしれません。ですから過剰請求は必要な医療行為を不要と査定されたもの、不当請求は不要な医療行為を査定されたものと単純化してもそんなに間違っていないかと思います。

最後の不正請求が「水増し請求」「架空請求」です。これは言うまでも無く犯罪行為であり、発覚すれば重い処分が下されます。査定に関る請求の説明は不十分な部分があるとは存じますが、私が思い違いしている部分や説明が足りていない部分があれば補足よろしくお願いします。

それでもって査定の内で、連合が「相当な額」と漠然と表現している不正請求がどれほどあるかです。ちなみに連合が具体例としてあげている不正請求は、

架空請求

 診療していないのに、診療したことにして診療報酬を不正に請求していた。

健康診断の保険請求

 健康診断を保険請求した。(健康診断には保険は適用されません)
 看護婦等の水増しによる請求:看護要員が長期にわたって不足していたにもかかわらず、変更の届出を行わず、診療報酬を不正に請求していた。

付増請求

 血液検査の際、採血は1回だったにもかかわらず、数回に分けて検査したように診療報酬を不正に請求していた。

振替請求

 外来診察なのに入院診察として扱い、診療報酬を不正に請求していた。

二重請求

 患者が自費で診療したものを、保険診療したとして二重請求していた。

重複請求

 健康保険の継続療養の対象となる傷病について、健康保険、国民健康保険の両制度に請求していた。

これらは間違い無く不正請求ですが、査定の大部分は過誤請求ないし、過剰請求であるのは医療者なら常識です。これの具体的な根拠を示すデータを探し出せなかったのが心残りなんですが、どう少なく見積もっても464億円の7割程度にはなると考えます。仮に過誤請求、過剰請求が査定の7割を占めるとしたら、不正請求額は140億円程度になります。実際はもっと少ないんじゃないかとも思いますが、この140億円なら社会保険の支払い全体の0.1%になります。

それでも140億円は決して小さな額とは言えませんし、国保の額も合わせれば「相当な額」と言うロジックは成り立つかと思います。不正請求を無くすという運動の方向性は正しいですが、「相当な額」とはそもそも幾らだの疑問があります。例えば私個人の金銭感覚なら10万円でも1万円でも「相当な額」に感じます。ましてや1億円なんて聞いたら目も眩みますが、あくまでも支払額が11兆7309億7562万円もある中での「相当な額」がいくらかと言う相対的な話も重要かと思います。

不正請求を小額であるから容認せよとの主張ではありませんから誤解をしてほしくないのですが、漠然と不正請求を「相当な額」とし、さらに「相当な額」である事を根拠に不正請求撲滅運動を主張するのは医師として気持の良いものではありません。受け取り様ですが、医師や医療機関が不正請求の巣窟であると指摘されているように感じてしまいます。これではまるで第2回社会保険庁の在り方に関する有識者会議 議事要旨の大熊由紀子氏の、

○大熊委員

 課題の設定について言えば、政管健保の話が出ておらず、年金だけになっている。政管健保も、社会保険庁の重要な業務なので、採り上げる必要がある。


 例えば、政管健保は大幅な赤字だが、赤字をかなり圧縮できる明らかな方法がある。その一つは、本人や遺族から開示請求があれば、医療機関の同意なしにレセプトを無条件に開示する原則を政管健保がまず打ち出すことだ。レセプトの開示のこうした原則を医療関係者に周知し、それが医療保険すべてに波及すれば、水増し請求、架空請求がかなり圧縮され、相当程度赤字の部分も少なくなる効果が期待できるのではないか。このように、政管健保がリーダーとなってやれることがいろいろある。そのようなことが可能となる組織改革、権限改革によって職員の志気を高めることもテーマに考えるべき。

このトンチンカン発言と同レベルになります。大熊氏の発言は、医師や医療機関への誹謗中傷にあたるのではないかとの議論が起こるほど質の低い発言です。


実はなんですが、連合の掲載文自体はさして気にしているわけではありません。気にしていないのなら、ここまで揚げ足を取らなくても良いの指摘もあるかと思いますが、心配しているのは全く別の点です。まさか、まさかと思いますが、連合が推薦されている中医協委員もこの程度見識しか持っていないかとの、強い、強い、強い不安です。ましてやこの連合の文章の作成にアドバイスや、直接の関与を行なっていないかと言う、深い、深い、深い、深い疑念です。杞憂でありますように。