救急告示病院問題

救急医療の危機が「たらい回し」問題とともにクローズアップされて久しくなっています。その中で静かに注目されている問題が救急告示病院の問題です。救急告示病院は俗に救急病院とも呼ばれ、救急医療の主体を為す病院ですが、この救急告示病院の質が問われています。救急告示病院は1964年に救急病院等を定める省令によって定められ、1987年に一部改正され現在に至っています。この省令で救急病院に求められる条件は、

  1. 救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること。


      救急医療について相当の知識及び経験を有する医師とは、救急蘇生法、呼吸循環管理、意識障害の鑑別、緊急手術要否の判断、緊急検査データの評価、救急医薬品の使用等についての相当の知識及び経験を有する医師をいうものであること。

      また、常時診療に従事するとは、医師が病院又は診療所において常時待機の状態にあることを原則とするが、搬入された傷病者の診療を速やかに行いうるよう、施設構内又は近接した自宅等において待機の状態にあることもこれに含まれるものであること。


  2. エツクス線装置、心電計、輸血及び輸液のための設備その他救急医療を行うために必要な施設及び設備を有すること。


      エックス線装置とは、透視及び直接撮影の用に供しうる装置とし、輸血及び輸液のための設備とは、輸血のための血液検査に必要な機械器具を含むものとすること。

      その他前号の医療を行うために必要な施設及び設備とは、除細動器、酸素吸入装置、人工呼吸器等であること。

      なお、外科等を標榜する病院については、医療法上手術室が必要であること。


  3. 救急隊による傷病者の搬送に容易な場所に所在し、かつ、傷病者の搬入に適した構造設備を有すること。


      傷病者の搬送に容易な場所に所在するとは、救急車が通行可能な道路に面している等救急車による搬送が容易な場所に所在することであり、また、傷病者の搬入に適した構造設備とは、病院又は診療所内において傷病者を担架等により容易に運ぶことのできる構造設備を意味するものであること。


  4. 救急医療を要する傷病者のための専用病床又は当該傷病者のために優先的に使用される病床を有すること。


      専用病床とはいわゆる救急病室の病床等、専ら救急患者のために使用される病床であり、優先的に使用される病床を有するとは、専用病床は有していないが、救急患者のために一定数の病床が確保されている状態を意味するものであること。

      この規定は、通常、救急隊により搬入された傷病者を実際に収容しうることを期待する趣旨であるから、たまたま直ちに収容して診療する必要がある他の患者がいるため、救急隊の搬入した傷病者を収容しえない場合があつても、同号の規定に該当するものと考えられること。なお、このような場合においては、あらかじめ、救急医療情報センター又は消防機関に傷病者を収容し得ない状態にある旨を連絡するよう指導すること。

もうちょっと簡略にすると、

  1. 人員条件:救急医もしくはそれと同等の能力のある医師が常駐している事
  2. 設備条件:救急医療に必要な設備・機器が備えられている事
  3. 構造条件:救急隊の搬送がスムーズに行なわれる構造である事
  4. 病床条件:救急患者を受け入れるのに十分な病床を持っている事
省令が1964年に出されてから44年、1987年に一部改正されてから21年が経過しており、医療関係者以外は「これらの条件は満たされていて当然」と考えられても不思議ありません。年月からして「当初は・・・」なんて時期は遥か昔に終わっているからです。しかし現実はそうではありません。どの救急病院でも達成できている条件は「構造条件」ぐらいのものかと考えられます。設備条件も「機器の存在」として満たされているところは多いかもしれませんが、設備はあってもこれを動かす人員が配置されていません。

4条件を曲がりなりにも満たしているのは三次救急の救命救急センタークラスになり、救命救急センターでさえこれを満たしていないところは決して珍しいものではありません。ましてや数の上では大多数を占める一次・二次の救急病院では満たしているところなど、あるかないかのレベルになります。

なぜ省令の条件が満たされなかったか話が長くなるのですが、簡単に言えば条件の整備は病院の自助努力とされ、なおかつ満たされていなくとも平気で認可されてきた経緯があるからです。救急医療は公的補助を受けても赤字部門であり、病院としても条件を満たすために予算を投じても収支は改善するものでなく、さらに満たさなくとも何の問題も無く認可されるのであれば、条件整備のモチベーションが起こらず放置されてきたとしてもよいかと思われます。もちろん根本的に人員条件を満たす医師が、44年前でも、21年前でも、今でも全然足りていないのもあります。

こういう条件を満たしていない救急告示病院を「なんちゃって救急病院」と呼んだりする事があります。「なんちゃって」だから役に立たないかといえばそうではありません。「なんちゃって救急病院」が救急医療に果たして来た役割は莫大です。「なんちゃって」ですから十分なレベルとは言い切れないかもしれませんが、「なんちゃって」程度の戦力で事実上、日本の一次・二次救急を支えてきたのです。戦力からすると「異常なぐらいの戦果」としても良いかと思います。

ところが最近になりこの「なんちゃって救急病院」に対する風向きが厳しくなっています。医師から見た労働環境の話は今日はさておきますが、世間と言うか患者サイドの要求が強くなってきています。ごく簡単には

    省令の条件を満たしていない救急告示病院は許さない
考えてみれば「正論」であり、本来満たしていない方がおかしいと言えばおかしい事になります。ただ「正論」であっても省令の適用を厳格にすれば救急病院の殆んどは存在が許されなくなります。たとえ予算を投じても「人員条件」は絶対に満たされませんから要求として不可能になります。「病床条件」も事実上不可能な要求です。「正論」で要求されても事実上不可能な状態である事から、議論は2点に絞られます。
  1. 「正論」の要求に従い条件を満たせない救急告示病院はとっとと撤退すべし
  2. 「正論」を満たす病院だけでは救急医療を維持できず、現状を是認しながら漸次改善を目指すべし
医師はなんと言っても「医療バカ」ですから2.の意見が従来主流派でした。ラジカルに撤退すれば救急医療が崩壊し、患者の不利益は目に見えているとの考えからです。ところが「正論」による要求は段々強くなっていますし、要求以前に「当然満たしているもの」として救急病院を叩く動きが目立ってきています。とくに「叩く」が司法の場でも明らかになってきており、医師の意見は2.から1.に大きくシフトしつつあります。1.にシフトする理由は今日はさておいた労働環境の問題もありますし、漸次改善の方向性では「何も変わらない」の思惑もあります。

もう一つ、叩かれての新しい動きに救急病院サイドに積極的に撤退の動きが明らかになっている事です。救急医療は赤字部門です。時代によっては救急医療の赤字部門ぐらいは余裕でカバーできた時代もありましたが、長期の医療費削減政策の下でそんな贅沢が経営として許されなくなってきています。しかし救急告示病院をやめるには様々なしがらみがあり、その点で悩んでいるところに「正論」がでてくれば渡りに舟状態になります。「正論」に従って不十分な条件だから救急を撤退する大義名分です。

救急医療全体の維持と言う観点からすれば、現状を是認した上での漸次改善がベターと思うのですが、そういう曖昧な体制では許されない状態が現在の医療です。ではでは「正論」に従って省令適用の厳格化を行なえば、生き残る病院は果たして全国に幾つあるかの問題になります。「なんちゃって救急病院」を是認しないと救急医療体制は崩壊する一方で、「なんちゃって救急病院」の存在は許さないの「正論」が濶歩すればどうなるかの究極の選択のようにも思われます。

少なくとも是認の意見は患者サイドからはもちろんの事、医師サイドからも叩かれそうに変化してきています。みんなで叩かれて「その先は・・・」ですが、もう、これは、生温かく見守るしかないようです。