埼玉式の検証・補充編

なぜにさいたま市消防局がマスコミにのみ報告書の情報を公開し、国民への同時の情報提供を行わないかは毎度の事ながら不思議ですが、もう一度記事情報から検証しなおしてみます。参考記事は、

事故の状況

7/1付読売記事からですが、

29日午後10時15分頃、同市南区曲本の市道を1人で横断中に、市内の男性(73)が運転する乗用車にはねられた。

被害者の女性は38歳の車椅子の女性です。事故状況をこれだけの情報から推測するのは無理があるのですが、車椅子と言う性格上、押し倒されたと考えても良さそうです。上半身についての情報はありませんが、下半身が不自由ですから、ぶつかった後に車椅子から放り出されて、道路に投げ出され、叩きつけられたとしても不思議ありません。

夜間の事ですから、車椅子はドライバーからして視線がかなり低い位置にあり、ドライバーは衝突寸前、もしくは衝突後に始めて被害者の車椅子の女性の存在に気が付いた可能性が高いとも考えられます。


救急隊の判断

救急隊が被害者の女性の負傷程度をどの程度に考えていたかです。4紙で較べてみます。

報道機関 救急隊の判断内容
産経新聞 記載なし
東京新聞 女性は手足と頭にけがをし、受け入れる医療機関側も整形外科か脳外科か、二次救急か三次救急かどちらで診察すべきか迷ったという
朝日新聞 記載なし
タブ紙 報告書によると、救急隊は、女性に意識のあったものの頭と腰を負傷していたことから入院が必要な「中等症」と判断


負傷の状況情報として朝日記事には、

星野さん自身は搬送を拒否したが、左頭部がはれ、腰の痛みを訴えたという。

おそらく車椅子の右側からクルマに衝突され、そのまま路上に投げ出されるような状況であったと考えるのが妥当そうです。道路に投げ出された時に左頭部を打撲、さらに腰部も強く打っていたと考えられます。これらから、

  1. 意識は清明であった
  2. 左頭部に打撲症状が認められた、
  3. 手足に擦過傷はあった
  4. 腰部の痛みを訴えていた
こういう症状があったと考えて良さそうです。被害者自身は「どうやら」それほどの重傷であるとの自覚症状は無かった事も付け加えても良さそうです。こういう状況に対して、救急隊は、
  • 入院が必要な「中等症」と判断
  • 整形外科か脳外科か、二次救急か三次救急かどちらで診察すべきか迷った

これだけの情報で判断するのは危険ですが、救急隊が重視したのは腰部ないし手足の痛みや擦過傷であり、左頭部の腫れは意識清明である事からやや軽視した可能性はあります。それでも、
  • 意識はあるものの頭部の症状を重視して、脳外科の必要性も考え三次救急に搬送する
  • 頭部の腫れはあるものの意識もしっかりしており、手足の負傷重視で整形外科主体の二次救急
どちらかと言うと打撲重視で、左頭部の腫脹をどう取るかを迷った程度の判断かと考えます。ただいずれにしても、入院は必要だが「どこか」にとりあえず入院させる必要ぐらいはあるの判断であったと解釈しても良さそうです。結局のところ、二次を目指したのか、三次を目指したのかですが、負傷全体の程度の程度の判断は「中等症」となっています。これはまず二次救急を目指したのではないかの傍証にはなると考えられます。


「無駄打ち」「空打ち」検証は

マスコミは照会回数を「たらい回し」とか、「拒否」とかの言葉で飾るのが好きですが、救急隊の照会には「無駄打ち」「空打ち」も含まれる事が多数あります。かつて姫路の「たらい回し」報道の時には、ビル診の無人のクリニックにまで照会を行っています。それでもマスコミは「拒否」であり、「○○病院たらい回し」です。

また再照会も救急隊は行ないます。再照会も実は2種類ありまして、

  1. 「話し中の電話」の様にかけ直した再照会
  2. 「他に引き受けるところがなければ」の条件のための再照会
1.のケースは時間の無駄に過ぎないのですが、マスコミ・バイアスを通ると「2回にわたる拒否」なんて表現になり「たらい回し回数」の積み上げになります。「空打ち」であってもまず非難されません。

2.のケースは、ギリギリの努力で医療機関が患者を引き受けたケースです。最初の照会の時には余りに余力が乏しく、十分な対応が難しいと判断し、より適切な医療機関が他に無ければの条件で、受け入れを条件付で保留しているだけです。その後、他にどうしても引き受けられるところがないと判明した時に、医療機関の性格によっては覚悟を決めて無理することがあります。それこそ帰宅後の医師も呼び出しての緊急対応です。それでもマスコミ・バイアスを通ると、これは朝日記事ですが、

一度拒否された市内の救急指定の総合病院に運ばれた

これも最初に受け入れを保留した時点で「拒否」であり、どうしてもの受け入れのために医療機関が努力を重ねた事など、評価のうちにも入らないと言う事です。あんまり同じ事を指摘しても、蛙の面にションベンほども効果は無いのでこれぐらいにして、今回の照会回数は、東京新聞より、

市は受け入れを断った病院数を十二から十一に訂正した

さてこの11の病院ですが、すべてが三次救急と言う事はありえないとしてよいでしょう。そうなると、その中に「無駄打ち」である二次救急クラスの病院が幾つあったかになります。事件現場の医療事情は詳しくありませんから、なんとも言えませんが、少なくとも半分ぐらいはあったと考えて良さそうです。


被害者の重症度

これは死因で見たいと思います。

報道機関 死亡原因
産経新聞 骨盤骨折による出血性ショックで死亡した
東京新聞 記載なし
朝日新聞 外傷性くも膜下出血などで死亡した
読売新聞 腰の骨折による出血性ショックで死亡した。
タブ紙 出血性ショックで死亡した


記事情報の評価になりますが、比べて見ても骨盤骨折による出血性ショックがあったと自然に受け取れます。唯一突出しているのが朝日で、他社が取り上げていない外傷性くも膜下出血を死因とし、逆に骨盤骨折についてはスルーしています。どういう意図か悩むところですが、ここは素直に
  1. 骨盤骨折による深部動脈損傷による大量出血
  2. 外傷性くも膜下出血
外傷性くも膜下出血では出血性ショックは考え難いですから、朝日は「など」に含ませていますが、どちらもかなりの重傷には間違いありません。ここでふと気が付いたのですが、東京新聞
    受け入れる医療機関側も整形外科か脳外科か、二次救急か三次救急かどちらで診察すべきか迷ったという
ここはよく読むと迷ったのは救急隊ではなく医療機関側としています。ここも言ったら悪いですが、医療機関側が入手出来る情報は救急隊からのものだけです。ただ救急隊は必ずしも「この患者はお宅の病院に必要な状態でしょうか」みたいな問いかけは少なそうな気がしています。むしろ「こういう状態ですから、お宅でお願いします」の様に思います。

ここはそんなに複雑に考えずとも、救急隊の状態報告が「???」であったとも考えられます。もう少しだけ考えを進めると「中等症」の基本判断である割りには「どうも判断が甘そう」と感じたのかもしれません。そこで「整形がしっかりあるところ」もしくは「脳外科もあるところ」の問答が出たぐらいかもしれません。

この医療機関側の判断は結果的には正解であったと言えます。これは浪速の勤務医様のコメントが的確の様に思います。

「ちょっと頭と腰は打ってますが、意識ははっきりしています。」なんて救急隊の云うことを
真に受けてうっかり二次救急病院で受けたら地獄をみたわけですね。
この報道を聞いて「やっぱり断っておいて正解じゃったわい。」と肝を冷やした
医療関係者が多かったと思います。


回るたらいの本体は

たらいが回るのは、直接的には医療の供給能力の不足です。ただしもう一つの大きな要因があります。元ライダー様のコメントに唸ってしまったんですが、

「患者のたらい回し」と言うのは明らかに誤った表現ですね。「責任のたらい回し」と言うのなら妥当な表現でしょう。これなら医療機関側も否定はしない。事実そうだから。

表面的には傷病者が回っている(これも実際には立ち往生になります)のですが、本音のところは責任が回っています。救急隊は要請を受ければ絶対ですから、その瞬間に責任を背負います。救急隊は責任を医療機関に運ぶのが役割になります。医療機関も照会に対し受け入れたら責任を全部引き受けることになります。

この医療機関が責任を引き受けると言うのは大変重いものになっています。言うまでもなく訴訟リスクが周知されているからです。その中でも引き受ける能力のない傷病者の責任を負うのは非常にリスキーです。とくに今回のような救急の重傷者は治療が待った無しですから、診察して「うちでは無理だ」で他の医療機関を紹介している余裕がありません。医師の技量、病院の能力を越えた救急の重傷者の責任を負った時の訴訟リスクは医療者には周知のこととなっています。

また訴訟リスクを考えなくともリスキーです。医師の技量、病院の能力に不適切な重症者の責任を負うと、これもこれで大変な目にあいます。それこそ「なぜ受けた」の非難が病院中から浴びせられます。浴びせられるだけでなく、担当医も心身ともに消耗しつくします。医師であれ、医療機関であれ適切な治療の守備範囲があり、それを越えると悲鳴が上ると言う事です。

それでも責任を負えば治療に専念しますが、能力を越えた治療は医療機関のためにもならないだけではなく、患者にとっても不幸なものになります。助かるものも助からなかったり、負わずに済んだ後遺症が残ることもありえるからです。

医療だけではありませんが、今の世の中は誰が責任を取るかで神経質になっている時代です。いったん引き受けた責任は果たして当然であり、果たした事への感謝は乏しく、果たせなかった事への追及はひたすら厳しい時代になっていると言う事です。医療も例外でなく、果たせそうにない責任を気軽に引き受けるのは大変怖い状態になっていると感じています。

時にドン・キホーテ的行動が異常に称賛されますが、称賛されるのは「常に成功するドン・キホーテ」であり、チャレンジに失敗したドン・キホーテは厳しい批判にしか曝されないのが現実かと考えています。


で、対策だそうで

4紙で見てみます。


報道機関 対策
産経新聞 関連機関と調整し、救急医療体制の円滑な運営を図りたい
東京新聞 市内二十四カ所の二次救急医療機関に対しては、専門外でも一時的に収容してもらうよう依頼する方針。
朝日新聞 記述なし
タブ紙 まずは医師による診察のみを受けさせ、その後、別の搬送先を探す仕組みを強化する考えを示した。


あわせて読むと浮かび上がってくるのですが、
  1. 市内24ヶ所の二次医療機関に問答無用で一時収容させる
  2. そこの医師が搬送先を探す
タブの伝える方針は、読みようによっては救急患者選定機関を設置するとも読めますが、財政事情・医師数からして新設の機関の設置は現実的でないと考えます。そうなれば、二次医療機関のどこかを輪番制なりで指定されると考えるのが妥当です。そこで次に出てくる問題は誰が判断するかです。誰がと言っても医師ではありますが、選定担当医師はかなり優秀な医師である必要があります。

今回の事例を考えれば分かりやすいのですが、選定担当医師は骨盤骨折だけではなく外傷性くも膜下出血も診断する必要があります。この判断を失敗すれば、その責任はすべて選定担当医師にかかってきます。そうなると診察だけではなく、ある程度の検査も行う必要があります。ある程度どころではなく、治療以外のかなりの検査部分を行なう必要も出てきます。

医師とて前に患者がいるだけで、そのすべてが見抜けるわけもなく、そのうえ、緊急を争う状態であれば、見逃しは患者の救命に関ります。今回の事例にあったかどうかは存じませんが、何度か話題になった心タンポナーゼだっていつでも起こりえるわけです。選別診断を行っている間に患者が急変しない保証はどこにもなく、起これば治療は必要になりますし、やらなければ一時収容と言おうが選別のためと言おうが責任は選別担当医師にすべてかかります。

またなんですが、選別医療機関で治療が余儀なくされれば、選別医療機関は機能しなくなります。機能させるためには、選別担当チームの他に治療担当チームをスタンバイさせておく必要があります。これも言うは易しで、そんな簡単にチームが何セットも出来れば、誰も苦労はしません。


検証報告書が本当はどうなっているかは不明ですが、私が検証してみて感じたのは、まず救急隊の判断の不適切が根底にあったと見ます。救急隊がそれほどの重傷性が薄いとの判断でまず動き、運悪く二次医療機関の受け入れ不能が重なり、マスコミ用語の「たらい回し」回数が累積し、さらに実は弩級の重傷例で死亡すると言う事態です。

先ほどの責任たらい回し論から考えると、救急隊が判断する限り、同様の判断ミスは一定確率で生じ、責任が救急隊に負わされると考えたとして良さそうです。そういう思考の延長上で、救急隊が判断しない方向性が打ち出されたと感じています。責任のたらいを一直線に医療機関に回す対策です。救急隊の責務はあくまでも傷病者の運び屋であると宣言しているとしても良いかと考えています。

運び屋が判断するからミスが生じるのであって、責任のたらいは一刻も早く医療機関に回せば救急隊は単なる傷病者の運び屋になり、責任のたらいは戻される事はないと言えば適切でしょうか。



これも一つの末期的症状の様にヒシヒシと感じています。この埼玉方式が実現すれば、全国の救急隊が一斉に右にならへするのが十分に予想されるだけでなく、お手盛りの消防法改定も視野に入るような気がします。そうなればですが、元もと保健所長様のコメントがますます現実味を帯びることになります。

これまで何度も書いていますが、「救急告示」は医療機関からの申出に基づいて「告示」しているものです。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S39/S39F03601000008.html

したがって、告示を取り下げない病院は、当然ながら省令に定める基準を具備しているはずですから、あとは病院の自己責任となります。

世の中は粛々と誰も止めることが出来ないまま、新たな曲がり角をまた通り過ぎようとしているのかもしれません。