埼玉式の検証

記事を二つ引用します。まず7/15付MSN産経より、

車いす女性のたらい回し死「医療機関の専門科目細分化も影響」 さいたま市が検証結果を公表

 さいたま市南区で6月29日、乗用車にはねられた車いすの女性(38)が計11病院で受け入れを断られて翌日に死亡した問題で、市消防局は15日、検証結果を公表した。

 市によると、女性は計11病院に搬送を断られたため、事故現場を出発したのは救急隊の到着から2時間12分後。女性は病院に到着してから約13時間後に、骨盤骨折による出血性ショックで死亡した。

 市は医師や消防関係者らで組織する協議会で問題を検証。収容に時間がかかった原因について▽受け入れ先の医療機関の専門科目が細分化されており、臨機応変な受け入れができなかった▽指令センターなどと連携せず現場の救急隊だけで受け入れ先を選んだ−などの点を指摘。その結果、「処置が遅れ死亡の可能性が高まった」とした。

 市消防局は「関連機関と調整し、救急医療体制の円滑な運営を図りたい」としている。

もう一つ、7/16付東京新聞より、

救急患者「たらい回し」で死亡 医療と連絡「不十分」

 さいたま市南区で六月二十九日夜、車にはねられた車いすの女性(38)が救急搬送時、病院に受け入れを次々と断られて死亡したことを受け、市消防局は十五日、検証結果を発表。「(医師不足による)医療機関の受け入れ態勢、収容先を決める救急内部の連絡が不十分で、搬送に時間がかかり死亡の可能性が高まった」と結論付けた。 (前田朋子)

 さいたま市は今後、救急搬送時に手間取った際の手順を明文化。市内二十四カ所の二次救急医療機関に対しては、専門外でも一時的に収容してもらうよう依頼する方針。

 市や上尾市などの消防本部、医師会などでつくる「県中央地域メディカルコントロール協議会」が各病院や救急隊の対応を検討。その結果、事故後、救急隊は現場で搬送先を探し長時間が経過。「さいたま市消防局の指令センターに連絡し、搬送先を探してもらうなど協力を仰ぐ態勢が構築されていなかった」と指摘した。

 さらに、女性は手足と頭にけがをし、受け入れる医療機関側も整形外科か脳外科か、二次救急か三次救急かどちらで診察すべきか迷ったという。女性は最終的に、三次救急医療機関のさいたま赤十字病院さいたま市中央区)に収容されたが死亡した。

 市の関根正明救急課長は、遺族に「死を無駄にしないでほしい」と言われたことを明かし、「命を救えず非常に残念。関係機関と協力して、救急医療体制を構築したい」と話した。また、市は受け入れを断った病院数を十二から十一に訂正した。

一時猛烈な「たらい回し」用語批判で使用頻度が減っていましたが、ここぞとばかりにまた復活の運動をされている点はとりあえず置いておきます。それとさいたま市消防局の「検証結果」がどうも今のところ未公開のようなので、不本意ながら記事情報に頼ります。

検証結果で出てきた新事実は、亡くなられた患者の死因です。産経記事からですが、

    女性は病院に到着してから約13時間後に、骨盤骨折による出血性ショック
私は小児科医なので実戦的経験は無いのですが、非常に手強いそうです。程度にもよるのでしょうが、それこそ1分1秒を争う重症であるとされます。もう少し言えば、1分1秒を争っても救命には及ばない事さえあると聞きます。たしかに患者の搬送が早ければ救命確率は高まったでしょうが、病院到着後に13時間もかけて治療しても救命できなかった患者が、何分で搬送できれば救命できたかの検証は見当りません。

搬送時間を問題にする検証するなら、まずそこから考えるべきではないかと考えます。

死因は骨盤骨折による動脈損傷による失血死であるなら、この治療には「それこそ」の専門家のマンパワーと設備が必要です。救命のために必要な搬送は、医師がいる医療機関に一刻も早く放り込むことではなく、救命治療が可能な医療機関に一刻も早く送り届ける事であると考えるのが妥当です。たとえば小児科医である私が当直しているような医療機関に放り込まれても、手を拱く以外に出来る事はありません。

対策を考えるのなら、

  1. 救急隊の的確な病状把握
  2. 救命可能な医療機関の無駄ない検索
このうち救急隊の病状把握については、
  1. 女性は手足と頭にけがをし、受け入れる医療機関側も整形外科か脳外科か、二次救急か三次救急かどちらで診察すべきか迷ったという(東京新聞
  2. 指令センターなどと連携せず現場の救急隊だけで受け入れ先を選んだ(産経)

ここで救急隊が正確な病状把握を出来なかった事を責める気はありません。救急隊は医療関係者の一端ではありますが、医師ではなく、救急車にあるだけの設備で常に正確な病状把握は無理だと考えます。指令センターに報告したところで、現場で見ている救急隊以上の判断が出来るわけもありません。

もっともこの点については、救急隊も様々な対策を行っています。 富山ルールからの事例の検証の時に富山ルールでの緊急性の判断マニュアルを読みましたが、それなりの精度で重症度を判断できる様には工夫されています。埼玉に於てもこれに近い運用で行なわれていると推測しますが、それでも限界はあり、この事例では救急隊の判断の限界を示したと考える方が妥当かと思います、

つまり埼玉の事例では救急隊では正確な病状把握が困難な事例であったと言う事です。医療が完璧でないように、救急隊も完璧でないのは当たり前の事であり、検証とはそういう現実を冷静に見ることも必要と私は考えます。


この救急隊の病状把握が不適切なら、次の救命可能な医療機関の検索も必然的に遅れます、なんと言っても救急隊の判断は「二次救急か三次救急」かも迷うレベルですから、とりあえず近場で搬送を済まそうに傾きます。そういう姿勢がどうかの議論も出ますが、現実的には救急隊は二次救急でもOKの判断で動いていたのだけは間違いありません。

この二次救急でもOKと言う判断は、同時に「それなりに時間はある」との判断にもつながります。距離も時間もかかる三次救急を目指すより、近場の医療機関を当たる方が優先されるの判断です。ここでもう一つの検証事項が挙げられます。搬送が受け入れられなかった医療機関で、死亡した患者の救命が可能な医療機関は果たして幾つあったかです。

マスコミ・バイアスのためか、照会数のみが「たらい回し」として強調されますが、検証するのなら事後の重症度から判断して、適切な医療機関にいくつ受け入れが困難とされたかです。それ以外の医療機関に搬送していたとしても、これは救命困難です。一つ事例を挙げておけば、2009.1.20に伊丹で交通事故がありました。

この時には2人の負傷者があり、意識の無い方の負傷者の搬送先は決まったものの、もう1人の負傷者の搬送先に難渋し、民間の有床診療所に搬送しています。ところがもう1人の負傷者には骨盤骨折からの出血があり、当然の事ですが有床診療所ではなす術も無く、有床診療所からついに搬送できなかったとして記事にされています。

もう一つ例を挙げておけば、例の富山の事例です。富山でも搬送先医療機関に難渋し、三次医療機関である県立中央病院で応急処置を受けています。応急処置を行った上で高岡の三次医療機関に搬送していますが、それでも猛烈なバッシング記事を朝日が書いたのは記憶に新しいところです。


重症患者を救命するのは一刻も早く「適切な医療機関」に搬送する事です。間違っても「どこでも良いから医療機関」ではありません。適切な医療機関を真っ直ぐに目指すなら救急隊の正しい病状把握が第一であり、それに従った医療機関の選定が重要事項になります。埼玉の件では救急隊がまず適切と言えない病状把握を行っています。

その適切でない病状把握から、「どこか」レベルで搬送先医療機関に時間をかけ照会回数を積み上げているとも言えます。結果としての「空打ち」「無駄打ち」が本当になかったかの検証について、マスコミ・バイアスを通った記事では不明です。対策として、麗々しく強調されている、

    市内二十四カ所の二次救急医療機関に対しては、専門外でも一時的に収容してもらうよう依頼する方針
これは今回の事例に於ては、患者は救命できません。救命できないだけではなく、不適切な搬送とか、「何故に受け入れたか」の批判さえ後出しジャンケンで出てくる対応に過ぎません。もっとドライに言えば、一時的であろうがなんであろうが責任は受け入れた病院が背負う事になります。救急隊が搬送先に困ったぐらいですから、一時的な受け入れ病院から、さらなる搬送先を探すのもさらに困難であるのは自明の事です。

病院が搬送先探しで難渋するのは免責かと言えばそうではありません。奈良大淀病院事件を忘れてはいけません。下手するとあれだけの騒ぎに巻き込まれますし、無理して治療してマンパワーや技量や設備の限界で躓けば、刑事なら福島大野病院事件、民事なら奈良救急事件(心タンポナーデ事件)がお待ちしています。奈良大淀も福島大野も辛うじて訴訟では勝ちましたが、あれだけのトラブルに誰も巻き込まれたくありません。

巻き込まれるか、巻き込まれないかは担当医の運次第です。



もっとも、さいたま市消防局レベルでは、いかにして「放り込むか」レベルの検討しか出来ないのは致しかた無いかもしれません。消防庁レベルでもそうかもしれません。とくに幹部クラスの発想は、医療機関に放り込めば免責ですから、そこまでの手段しか考えませんし、そうするための消防法改訂まで行っています。

問題の根本は、消防庁的発想の放り込み技術の向上ではなく、重症を治療できる医療機関の負担軽減のはずです。重症も軽症もとにかく「どこか」に送り込み続けた結果、受け入れ医療機関が無くなったと言うのが「今さら」の現実です。これへの根本対策は、

  1. 無限に重症でも軽症でも放り込める医療供給力の増大
  2. 軽症救急の抑制
この2つの対策は綺麗に裏表であって、1.を実現するには莫大な医療資源が必要であり、なおかつ莫大な医療資源を投入する気は無いとして良いでしょう。そうなると2.になるはずなんですが、軽症に見えた傷病者が実は重症であった時の判断ミスへのゼロリスクが当然の様に求められます。リスクは訴訟に直結しますし、訴訟は個々の事例に対する判断の注意責任義務を厳しく問われますから、機械的な一律基準での確率論のミスの許容はまず許されません。

今回も救急隊の判断に不適切な部分があると判断して良いと思われますが、救急隊レベルでそのリスクを負いたくないかと考えます。救急隊と言うか消防庁レベルでリスク回避に走れば、「放り込み」「押し込み」方針にして、リスクを医療機関に押し付ける事にならざるを得ません。ほいじゃ、医療機関が喜んでリスクを引き受けるかと言えば、これも堪忍してくれの話になります。

結局のところ医療供給力が不足し、これを充足させる気もないところに、「とにかく全員放り込み」の状況が展開する事になります。それでも医療機関は放り込まれた患者の治療に専念しますが、いくら消防法を改訂しようが、県庁の会議室の机の上で決めようが、限られた医療供給力で治療できる患者数は自ずと限界があります。限界状況で今回のようなトラブルが発生しますが、これも毎度毎度の事ですが、対策として

    救急医療機関と名乗るからには限界は許さない
許さないといわれても限界は限界なのですが、「許さない」の大前提でしか対策は行われません。これがここ数年の救急医療を巡る不毛な対策の展開ですが、「許さない」を継続した結果がどう出ているかの説明は不要と思います。医師の数は統計上増えているはずですが、救急輪番病院は全国各地でやせ細っています。

それでも忍耐強く頑張っている救急医療機関はまだまだ残っています。後は地域差になりますが、比較的余力があったり、それなりに現状に配慮しながら運営しているところは、まだしばらくは持ちこたえるかと思います。こういうものは脆弱部から崩壊します。埼玉なんて日本有数の脆弱な医療地帯の一つとは思うのですが、そうは考えていない方々がたくさんおられるのだけは事実として良さそうです。


私は思うのですが、今回の検証結果として一番妥当な結論は、当日の医療機関の状況、傷病者の重症度から「あの状況ではやむを得なかった」とするのが一番良かったと考えています。「やむを得なかった」の結論から、初めて「これからどうする」の根本的な建設的な議論が出てくると感じています。これを今回の様に「うまくやればなんとかなった」式で結論する限り、現状は何も変わらず、同じ事が繰り返されると考えます。

先送りは当座として表面を糊塗しますが、いつまでも糊塗出来るわけではありません。病院は実は余裕綽々であり、搾れば搾り上げるほど無限に医療供給力が生み出されるはずだの妄想から脱しきらない限り、救急問題は可能な限り延々と先送りされるだろうと予想しておきますし、先送りの先に何があるのかはあえて書かずに置いておきます。