ペンよりも剣を選んだらオシマイ

7/20付BLOGOSに、

こういう記事が掲載されています。少々長いので冒頭部だけ引用しておきますが、

1980年代から原発の危険性を訴えてきた作家の広瀬隆氏とルポライターの明石昇二郎氏が、7月8日に東京地方検察庁・特捜部に対して、福島県放射線管理リスク管理アドバイザーの山下俊一氏、神谷研二氏、高村昇氏および文部科学大臣高木義明氏らが、福島県内児童の被曝安全説を触れ回ってきたことに関して、それを重大なる人道的犯罪にあたるものとして刑事告発

さらに原子力安全委員会の委員長・斑目春樹氏、東京電力会長・勝俣恒久氏、前社長・清水正孝氏、前原子力安全委員長・鈴木篤之氏、原子力安全保安院長・寺坂信昭氏ら多数も、未必の故意によって大事故を起こした責任者として、重大なる人道的犯罪と断定し、業務上過失致死傷罪にあたるものとして刑事告発した。【取材・構成・撮影 田野幸伸(BLOGOS編集部)】

さらにこの告訴状も公開されています。告発の趣旨だけ引用しておきますと、

被告発人らの下記所為は、刑法第211条(業務上過失致傷罪)に該当すると思料されるので、徹底捜査の上、厳重に処罰されたい。

う〜ん、てなところです。福島原発問題と言うか、放射能被曝問題は私は意見をずっと保留にしています。無関心と言うわけではなく、出来る範囲であれこれ情報を集めましたが、現在の結論は「どうなるかわからない」です。結局のところどこにも明確な根拠はなく、それこそこれからの研究調査で福島モデルが出来るのだろうぐらいしか言い様が無いからです。

二分法的分類は良くないかもしれませんが、放射能問題は安全派と危険派がいると解釈しています。安全派と言っても無条件に安全としている訳ではなく、危険派との相対比較に置いての比喩です。トドの詰りは低用量の放射能被曝に対するマージンの取り方です。マージンを高く取っているのが危険派であり、危険派に較べてかなり低く取っているのが安全派ぐらいとすれば良いでしょうか。

そもそもになるのですが、こういう風に見解が分かれるのは低用量の放射能被曝に対する被害の見積もりに明確なものが無い事に尽きます。両派ともそれなりに根拠をかき集めての主張はありますが、LNT仮説一つ取っても議論の分かれるところで、被害見積もりの計算仮説が変われば、もたらされる被害の度合いが大きく変わる点が大きいところと考えています。

個人的には安全派の主張も甘すぎる点はあると感じますし、危険派の主張もやや極端だと感じています。しかしあくまでも判断レベルは「そう感じる」程度のもので、両派の主張を完全否定できるほどの見識は私にはありません。だから態度は保留と言うわけです。

ですから危険派が安全派を攻撃するのも、安全派が危険派に反撃するのも成立するとは思っています。答えの出ない問題ですから、そうなるのは当たり前ですし、活発に議論を行う事自体は必要だと思うからです。ただし念を押しておきますが、私はどちらを支持するものでもありません。ここでもどちらが正しいかなんて事を論じる気はサラサラありませんので、宜しくお願いします。



問題は違う視点になります。危険派が自らの主張を絶対とする手法は、まあ許容範囲内です。あんまり絶対視すると議論ではなく感情論になるので好ましいとは思いませんが、許容範囲です。ただこれは本来科学論争のはずです。科学論争は、お互いの論拠を積み上げ、相手の論拠の弱いところを責め立てるのが基本です。本当は明確な根拠の発見が解決になるのですが、それが無い時にはそうなります。

そうであるべき論争を法廷に持ち込むのは違和感がバリバリあります。それも刑事です。刑事ではある行いが刑法に違反しているか否かを判断するものと解釈しています。今回なら業務上過失致傷になるとしていますが、これが成立するには告発人が主張する放射線被害の仮説が正しいと前提しなければなりません。それも正しい事が周知の事であるのに、これを故意に隠蔽して被害をもたらした事が成立する必要があります。

告発人にとっては自信満々の論拠でしょうが、現状では単なる仮説に過ぎません。もしも法廷闘争となれば、告発人の仮説が本当に正しいかどうかを法廷の場で裁判官が決定を下す事になります。その前に起訴となれば、検察官がその仮説を「正しい」と認めなければなりません。刑事では検察が原告になりますから、検察局が告発人の仮説を正統であると認定するという珍妙な事になります。

言うまでもありませんが、検察官にしろ、裁判官にしろ放射能被害についてはズブの素人です。ズブの素人が科学論争にシロクロを付ける事を告発人は望んでいる事になります。これを違和感と言わずになんと言うかの気持ちです。


もう一つの視点があります。告訴人は、

作家の広瀬隆氏とルポライターの明石昇二郎氏

ゴメンナサイ、両人とも私はよく知りませんが、「作家」とか「ルポライター」は言論人のはずです。自分たちの主張をどれだけ正しいと信じるのは自由ですし、その説を広く訴えるのはそれこそ言論の自由です。政府が安全派の説を取り入れているのは「おかしい」と、どれだけ主張されても全く問題はありませんが、自らの主張を通すために刑事告訴を用いる手法は言論封殺につながる行為と見ることも可能です。

言い古された言葉ですが「ペンは剣よりも強し」が言論人のプライドのはずであり、自らの主張が聞き入れられなければ、刑事告訴と言う手法に打って出るのは如何なものかと言う事です。そうではなく、あくまでもペンで戦うのが言論人と思っていましたが、そうでないのが不思議です。

まあ、広瀬隆氏と明石昇二郎氏の主張に反対意見を唱えれば、刑事告発と言う対抗手段が出される危険性がありそうですから、私も書きながら首筋が冷たくなる思いをしています。このエントリーも名誉毀損ぐらいで告訴されるかもしれません。なんと言っても、業務上過失致傷に相当する論拠に疑問を持っていると解釈されかねないからです。


全然違う視点を挙げます。司法の常識から考えて、この告発は起訴されない公算が高いと考えます。そりゃ検察官だって起訴するのは嫌だと思います。起訴されないのを百も承知のパフォーマンスです。さらにこのパフォーマンスには続きがあります。不起訴となっても、今度は検察審査会に申し立てる事が出来ます。危険派の支持者も多いですから、「起訴せよ」運動の広がりも期待できると言う事です。

検察審査会も危険派は少なくないでしょうから、ひょっとすると強制起訴まで話が進むかもしれません。そこまで話を引っ張れれば「飯の種」に当分困らない事になります。これも当分は派手なパフォーマンスとして良い商売になるかもしれませんが、そういう事を頭の隅にでも期待していれば、私は心の底から軽蔑します。もっともそんな事は「ありえないだろう」とはさせて頂きたいとは思っています。


率直な感想として、この刑事告発で言論人としての2人は終わったかなと感じています。ペンよりも剣を選んでは、もはや言論人とは言えないでしょう。