市民団体からの妄想

ネタ枯れ状態なので一昨日のお話をもう一度反芻しておきます。民主党幹事長の小沢氏を告発したのは、4/27付タブロイド紙によると、

この事件で小沢氏を告発していた市民団体が処分を不服として審査を申し立てていた。

タブロイド紙情報の信憑性の問題はありますが、単純な事実関係ですから一応信用します。そうなると

  • 「市民団体」は小沢氏を告発した
  • 「市民団体」は検察審議会に小沢氏の疑惑について審議を申し立てた
では「市民団体」がどこになるかですが、1/22付ZAKZAKに、

市民団体が21日、小沢氏と秘書らが政治資金規正法違反容疑(虚偽記載)にあたるとして、東京地検に告発状を提出した。

逮捕された3人の秘書のほか、小沢氏本人も「共犯」として告発された。提出したのは行政書士や元新聞記者による東京都内の「真実を求める会」。

もう一つ2/5付朝日新聞に、

事件をめぐっては1月、行政書士や元新聞記者らでつくる東京都内の市民団体が、特捜部に告発状を提出していた。

この二つの情報から「市民団体」とは「真実を求める会」であり、真実を求める会は1/21に検察庁特捜部に告発状を提出した事が確認されます。当然の様に「真実を求める会」は検察審査会への申し立てを行なったと考えたいところです。


小沢氏が現在の政治において如何なる権力者であるかは誰もが承知しているところかと思います。小沢氏の疑惑については推定無罪の立場ですが、大権力者を告発し、さらに検察審査会まで申し立てを行うと言う事は、権力者に逆らう行為となり、通常は有形無形の不利益を考えざるを得ない事になります。この辺は個人の立場で軽重は変わりますが、ネットで匿名で小沢批判をするのとは桁の違う行為と言えると思います。

当然の様にその興味は「真実を求める会」がどういう団体なのかに向けられます。ところがネット上にはその存在が認められません。別に今であってもネット上にHPを開設していなくとも構わないのですが、これまでそれなりに活動していた団体なら、何がしらかの活動の痕跡がありそうなものですが、物の見事にありません。

そうなると「真実を求める会」とは、

  1. これまではネット上にも痕跡をとどめないほどの地味な活動に終始していた
  2. 小沢氏告発のために急遽結成された団体
どちらも可能性はあり、これを確認する根拠は無いのですが、印象として急遽結成された団体である可能性が高そうに思います。もちろん時の権力者への告発ですから、急遽結成されても問題はありません。告発や検察審査会への申し立てによる報復を少しでも減らすための便法として容認されるかと考えます。


では完全なる覆面団体かと言えばそうでもなさそうです。告発時のマスコミ情報を見る限り、告発した団体名は公表され、さらに構成員の一端も公表しています。さらに言えばマスコミは告発した団体と検察審査会に申し立てた団体が同じである事も知っている上で、さらにさらに4/27付タブロイド紙は、

市民団体は同12日に検察庁の判断は国民目線に立っておらず、不起訴は納得できない」として検審に審査を申し立てた。

「」付きの発言の引用を記事に掲載しています。「」付きの発言は編集があるにせよ、マスコミが直接取材し、その時に取材された人間の発言から直接引用したものであるはずです。つまりマスコミは真実を求める会と、

  1. 告発時に取材を行なっている
  2. 検察審査会申し立て時には直接取材を行なっている
こういう事実が存在していると考えて良いかと思います。


さてそうなると一つ大きな疑問が出てきます。現在のマスコミ論調では検察審査会の小沢氏に対する起訴相当の議決は「快挙」として取り扱っています。これは検察審査会の判断もそうですが、小沢氏の疑惑を告発し、検察審査会に申し立てを行なった者もマスコミ的にはヒーローのはずです。そのヒーローのはずの団体の取扱が異様に地味と感じます。

検察審査会への申立人は匿名のようです。議決書にも

審査申立人

(名前)  甲

こうとしか記されていません。申立人の身許を知るには、申立人が自らの意志で公表しないと判らない仕組みになっていると考えられます。ですからマスコミが申立人の身許を知っていると言う事は、この市民団体がマスコミに検察審査会の申立人であることも、小沢氏を告発した事も公表しているからと考えられます。

マスコミにとって小沢氏を告発し、検察審査会に申し立てを行なった者はヒーローのはずであり、さらにそのヒーローの身許も知っているのなら、もう少しどころか、大々的な鳴り物入りで喧伝する方が自然です。

ここで「市民団体」は取材に応じたものの、権力者への告発や、検察審査会への申し立てによる不利益を考え、マスコミサイドに対して「詳細は報じるな」の協定を結んでいる可能性はありえます。告発時には団体名まで明らかにしたが、検察審査会への申し立て時にはさらに伏せる様に要請されたのかも知れません。




ここまでは最低限のソースに基いたムックですが、ここからは推理遊戯と言うか妄想です。マスコミと市民団体に接触があるのは報道を読む限りあると判断して良さそうです。ただしマスコミは何らかの理由で、市民団体の詳細を報じたくないと考えていると思われます。告発時には一部に報じられた市民団体名である「真実を求める会」も、検察審査会の議決報道では消えうせています。

ここをマスコミが「真実を解明するため」に団体と連携して、団体の存在の秘密を守っている可能性は考えられます。相手は時の権力者ですから、それぐらいの必要はあると言われれば妥当性は認められます。ただそうであれば、新たな疑惑が生じます。「市民団体」と接触しているマスコミは一社とは思えないからです。

報道を全部確認していませんが、今日取り上げただけでも産経、朝日、タブロイド紙は市民団体との接触があると考えられます。もう一つ証拠を挙げておきたいのですが2/5付朝日新聞に、

市民団体は4日、朝日新聞の取材に対し、不起訴処分を不服として検察審査会に審査の申し立てをする方針を明らかにした。

朝日新聞は市民団体を取材したと明記されています。ここはもう少し推理の幅を広げても良いと思うので、マスコミはすべて知っているとしても差し支えないと考えます。つまりマスコミ全体が一致して「市民団体」の身許隠しに協力している可能性が出てきます。

こういう報道協定は誘拐事件の時にしばしば行なわれると聞きますが、今回もそれが為されたのでしょうか。誘拐事件の時には警察からの協力要請に応じるという形式のはずですが、小沢氏の件ではマスコミ全社が自主的に協定を結んだ事になります。これはこれで少々怖ろしい事ではないかと感じてなりません。

協定を結んだ目的の是非についてはまた別の議論があるでしょうが、目的とは別に、これほど容易にマスコミが自主的に協定を結んでしまう事が怖ろしいと感じます。今回が例外なのか、そうでないかを判断する材料を持ちませんが、マスコミは秘密裡にいつでも報道協定を自主的に結ぶ事ができる事を示す傍証にならないかにつながっていきます。


マスコミ報道が実に金太郎飴的であるのは周知の事実です。同じ事件であっても見る人が変れば切り口が変わるのが普通ですし、報道記事を商売にしているのであれば、むしろ他社との違いを際立たせる方が重要なはずです。どこの新聞を読んでも内容が金太郎飴であるなら、何社もマスコミは必要なくなります。

事件の性質にもよるでしょうが、とくに政治がらみの報道では、奥行きが深いはずですから、同じ事実から「うちの社はこう見る」の違いが出てくる方が自然です。確かに見方が異なる時もありますが、怖ろしいぐらい一致している事も多々あります。それこそどこのマスコミの記事を読んでも同工異曲で趣旨は同じなんて珍しくもありません。

従来よく用いられた判断方法として

    報道各社の見解が一致
これは異なる人間が、異なる視点から同じ事件を取材したにも関らず、導かれた見解が「たまたま」一致するから、それは事実であるとの判断法です。これはあくまでもマスコミ各社の人間が完全に独立して考えたとの前提が必要ですが、ここで秘密裡に全社が協定を結んで「この事件はこういう見解で統一する」が為されていたのなら話が変わってきます。

そういう事は「きっとある」と考えている人間は今では少なくありませんが、それでも実際のところ利害が対立しているはずのマスコミ各社が、ホイホイと報道協定など結べるものかの疑問はありました。しかし今回の市民団体の報道は、そういう秘密裡の協定を結ぶシステムの存在を示す傍証になりそうな気がします。

そういう協定を結ぶのは素地が無いと非常に難しいものです。つまりいつでも協定を協議できる連絡網の存在です。連絡網だけではなく、誰かが主宰して報道の方向性、もっとあからさまに言えば報道記事の雛形を提供するシステムが必要です。それも記事は速報性が必要ですから、ゆっくり後日に協議する余裕はありません。

そうなると常時、重大事件について「今回はこういう報道に決定する」とか「今回は各社自由」とかを判断する報道管制システムの存在が必要になります。

どこかでそういう設定のSF未来小説を読んだような気がしますが、本当にそうなっているかどうかの証拠は何ひとつありません。すべては市民団体報道から連想された妄想です。妄想から導き出された陰謀論としても良いとは思います。そこまで腐りきっていないと個人的には信じたいと思うのですが、世の中奇々怪々な事が多いですからねぇ。


そうそう、報道協定でない可能性もバランスとして記しておきます。これは検察審査会の起訴相当議決のマスコミ各社の姿勢からです。そもそも論から言うと、これほど見事に一致して検察審査会の議決を賛美するのも気色悪いのですが、そこまで言うと話が進まないので、とにもかくにもマスコミ各社は検察審議会の起訴相当議決を「素晴らしいもの」とする論調に統一されています。

ここは明石やJR西が遺族からの申し立てですから、マスコミのキーワードとして被害者擁護の方針で一致する可能性はあるだろうぐらいは言えます。この明石やJR西の検察審査会の議決を否定する論調は取り難いだろうと言い換えても良いとは思います。そういう姿勢についての論議も置いておきます。

明石とJR西で検察審査会の議決を賛美した手前、小沢氏への議決も同様に取り扱わないとバランスが悪くなります。マスコミが二律背反を真剣に考慮するのも笑止ですが、検察審査会礼賛路線の護持はかなりウェイトが重いとぐらいとすれば良いでしょうか。ここもそれ以外の思惑がテンコモリあるにせよ、検察審議会の起訴相当の議決は神聖不可侵だを守りたい思惑がそろっても不思議ないと思われます。

ここで問題なのは申立人の質です。明石やJR西では素直に申立人に共鳴する記事で飾れます。うちは奥様の趣味で地元紙を購読していますから、洪水の様に紙面に溢れています。ところが小沢氏に対する市民団体は「そうではない」可能性があるとは考えられます。

マスコミ各社の基本姿勢として、

  1. 小沢氏糾弾はやりたい
  2. 検察審査会の議決の絶対性をアピールしたい
この二つがこれまでの報道の流れから前提とされているように思います。

ところがここで告発や申し立てを行なった市民団体の素性が明らかになれば、この二つの前提が大きく崩れる危険性が、誰の目にも明らかなものであるのは十分考えられます。市民団体の素性が明らかになることにより、小沢氏糾弾の世論が変化し、さらには検察審査会の議決そのものに疑念が沸き起こる高度の蓋然性です。

そのため

    報道各社の見解が「たまたま」一致して
告発及び申し立てを行なった団体は正体不明の「市民団体」程度に留めていると言うわけです。ネット上では謎の市民団体に対する考察が種々に行なわれているようですが、そういう声に対しても
    報道各社の見解が「たまたま」一致して
完全無視の姿勢を貫いているとも考えられます。最後に念を押しておきますが、今日のお話はタイトルにもしたとおり、「市民団体からの妄想」ですから、その程度の軽さでお願いします。