救急隊は決して敵ではない

あんびゅらんす様のコメント

救急隊として・・・

地方の中核都市ですが、基幹病院の救命センターですらつい最近まで「当直が眼科なので無理です。」「受けてもいいけど、これ受けちゃうと後が受けられなくなるけどいいの?(1台目の救急車でも)」(最近、センター長が変わり、受け入れが劇的によくなりました)。

市街地域の2次病院で恒常的に受け入れてくれるのは2ヶ所位(人口30万位の範囲です)だったり(後の多数の2次病院はほとんど、処置中か満床で断られる・・・)します。

つまり、6か所目どころか、5か所の選択肢すらない救急隊もたくさん存在します。

わずかでも、改善されることを祈っています。

これが救急問題のすべてだと思っています。救急隊は要請された傷病人を医療機関に搬送するのが業務であり、医療機関は患者となった傷病人を治療するのが業務です。ある意味シンプルな関係です。でも現実には両者の関係に軋轢がしばしば生じます。ステレオタイプの軋轢として、

    救急隊:「なんで受け入れてくれないんだ!」
    医療機関:「とんでもない奴を”軽症”と称して運び込みやがって!」
実はこの程度の軋轢はたいした問題とは言えないと考えています。とくに医療機関側はそうだと思っています。傷病人の容態を判定しているのは医師ではなく救急隊員であり、その判定が100%はもちろんの事、医師並であると期待するのは無理があるからです。その場では感情的になるのは人間ですから仕方ありませんが、「救急隊 vs 医療機関」みたいな大問題には発展する事は少ないと考えています。問題の根本は救急隊側の、
    なんで受け入れてくれないんだ!
これに尽きると思っています。医療機関と言うか医師は内心の感情は別にして、持てる能力で治療できる傷病人がいれば誰でも患者として受け入れ治療します。それが業務だからです。救急隊が要請により搬送する傷病人もまた同じです。しかし断らざるを得ない事情が医療機関側に生じています。単純な事情で、
    受け入れられるだけの余力がない
日本の医療システムの基本設計は
  • 平日日勤は通常勤務によるフル稼働体制
  • 夜間休日は宿日直勤務による留守番体制
宿日直(当直)勤務体制とは病院の留守番程度の戦力しかなく、留守番体制の片手間で救急業務をやっているのが実態です。50年前にこの救急体制が出来た頃は、現在の1/20程度の需要しかなく、留守番片手間でもまだしも対応できていましたが、需要が20倍にもなれば無い袖は振れなくなります。さらにを言えば平日日勤の体制も余力が確実に失われています。
  1. 医療の進歩による業務量の増加
  2. 社会の変化による書類仕事、会議仕事の増加
  3. 医療政策による病床利用率の極度の上昇
しばしば誤解される表現ですが、医療者は受け入れ余力を「ベッド(病床)」と表現します。これも二面的な意味があり、
  1. 病院の定床を基準とする物理的なベッドの数
  2. その時点での医療戦力による受け入れ可能人数
極端な話をすると100床の病院で入院患者がゼロの状態で1人の当直医がいた場合、1人の救急患者の入院治療を行えば、その治療が一段落着くまで次の患者は受け入れ不能になります。つまり残り99床の物理的なベッドが存在しても、この当直時間帯の医療戦力としてのベッドの数は、
  1. 救急患者を受け入れる前で「1床」
  2. 救急患者を受け入れ治療中は「0床」
  3. 治療が一段落着けば「1床」
こうなるわけです。物理的なベッドの上に患者を寝かせても、それは家で寝ているのと変わらない状態に過ぎません。救急問題で医療者が表現するベッドとはあくまでもその時点の診療可能人数を表しているのに過ぎません。このベッド数が救急需要に対して足りないので救急隊の不満である「なんで受け入れてくれないんだ!」になるわけです。


救急対策の経緯への私の感想

救急は制度が法的に整備されてからでも50年は経っていますから複雑なんですが、一つの問題は長い間医療界を支配した「医師過剰論」の影響は少なくないと考ええいます。医師過剰論も単なる論ではなく厚労省の医療政策そのものですから、すべての医療政策の考え方の根本は医師過剰論を計算要素として行われてきたとしても過言ではないと見ています。

医師が過剰なわけですから、医療機関の戦力もまた「余裕タップリ」に素直の発想は広がって不思議ないと考えます。余裕タップリならば効率性の追求のためにもっと働かす、もしくは働く余地がタンマリあると見なしての政策・対策が立案されます。私は救急問題に対しても同じような姿勢で対策が行われてきたように思っています。シンプルですが、

    「たらい回し」問題が起こるのは医師が怠慢のせい
医療体制自体は医師過剰論に基づき「余裕綽々」と定義されていますから、体制自体は手をつけずに搾り上げる方向にのみ机上案を出す事に終始してきたです。穿って言えばマスコミを焚き付けての根強く続く「たらい回し報道」もそうです。あれの根本は搾れば救急戦力など「出るに決まっている」ぐらいです。


ほいじゃ医師不足に転換した現在は変わっているかです。さすがに医師過剰論を政策の基本から外されたと見ていますが、もう少し複雑な状態になっている気がします。一言で言えば

    手が付けられない状態の糊塗
24時間救急路線は既に舵を切ってしまい、今さら後退は厚労省としては不可能でしょう。ですからこれはこれで推進せざるを得ません。ところが基本戦力は医師過剰どころか医師不足なので10年単位でどうしようもありません。さらに24時間路線で掘りこされた需要は高齢者人口の増加と相俟って、どうしたって増えるのみになります。これも下手な需要抑制政策を取れば批判が渦巻きます。

もう少し考えれば、これも厚労省の基本政策の一つである在宅路線も、そのバックアップに24時間救急路線がセットで必要とも見ています。在宅に押し出す苦痛緩和のために24時間路線による「もしも」の時の保証の確保ぐらいです。そりゃ、在宅に押し出されるは、「もしも」の時はお手上げでは肝心の在宅推進による苦痛に対する不満が炸裂します。もちろんそれで十分かどうかの本音の話はさておきでもです。

医師不足論への転換により「搾れば解決」は神通力を失ったかもしれませんが、その代わりに24時間路線の推進のみが残っている状態と見ます。この路線はこの路線で厚労省的には既に絶対の政策ですから、常套手段の丸投げ戦術に転換している気がしています。先週紹介した100の断らない病院政策などが典型かと推察されます。ココロは、

  1. 指定して「断らない」を約束させる
  2. 足ろうが足ろまいが形だけは予算は付けた
  3. 出来なければ指定を受けた医療機関が全責任を負うだけ
実質的に戦力が同じなのに、看板だけ付け替えても実態が変わるわけがありません。それでも、こういう政策を打ち出しておけば責任問題は厚労省には向かわず、諸般の事情で泣く泣く指定を受けさせられた医療機関が批判の矢面に立たされますし、批判を回避するために無からでも戦力を搾り出す努力を勝手にやるだろうです。

かくして救急隊は応需能力のやせ細った医療機関を探し回り、非常手段と言うかその場しのぎ的な術策を弄してでも傷病人を医療機関に押し込もうとします。一方の医療機関は余力の乏しいところに無理やり押し込まれた救急隊からの患者に不満を募らせる軋轢が増大していくです。構図を考えればわかるように、救急隊、医療機関とも行なっている業務自体に問題があるわけでないのが判るかと思います。

根本問題は傷病人を運び込むスペースが乏しい事であり、そこが乏しすぎるが故に、その結果を現場で救急隊と医療機関が「その場しのぎ」でなんとかしているだけと言う事です。毎度のお話ですが、救急隊も、医療機関も医療政策の被害者であり、最大の被害者は傷病人と言う事です。救急隊と医療機関が喧嘩したところで問題は何も解決したいと言う事です。


作るべきは断る必要のない病院

厚労省政策のもっとも笑う点は内容を変えずに看板だけ「断らない病院」を作ろうとしている点です。たとえれば、その辺のエコカーの外装だけ改造してスポーツカーにし、これで世界ラリーにでも臨もうとしているようなものです。それで勝とうなんて冷静に考えなくとも狂気の沙汰です。これは医療機関は断る理由がなければ傷病人を患者として受け入れる前提を無視されています。やるべき本筋は「断る必要のない」体制を整えた病院を作る事です。言うだけですから一応書いておきますが、

  1. 交代勤務で常にリフレッシュしたスタッフが24時間体制で日勤同様に完備されている
  2. 病床は稼働率50%ぐらいであり、これで経営的にも何の支障も起こらない
休養はモチベーションの基本です。勤務時間が激務になっても、一定時間が過ぎれば必ず休養が取れる目途があれば、設定時間内は持てる力を完全燃焼できます。終了時刻に燃え尽きるように倒れる状態にまで至っても、そこから速やかに休養に入れるのなら人はなんとか耐えられますし、その状態に文句をそうはつけられません。逆に最も辛いのはいつ終るかわからないエンドレス状態です。

治療を受ける患者側にしても、今日が何月何日なのか、いや何曜日なのか、それ以前に昼なのか夜なのかの区別がつきかねない朦朧状態の医師と、終了時刻に向かってバリバリと突き進む医師のどちらの診察・治療を受けたいかは聞くまでもないと存じます。ほいじゃ何故に作らないかです。上に書いた一応の条件を満たすべきヒトもカネもないからです。

現時点では即座に「断る必要のない病院」の実現は不可能であり、遠い将来的には目標として置いても現実的な妥協がどうしても必要です。これはチト厚労省に好意的過ぎる表現で、おそらく厚労省は現状プラス・アルファぐらいで24時間救急と在宅システムを賄いたいとしているでしょう。これに対し、現場の医師はあくまでも「断る必要のない病院」の実現を求めて押し相撲が続くぐらいの表現が正しいと思います。

冒頭のあんびゅらんす様へのレスになりますが、救急隊の現在の苦境は「断る必要のない病院」に近づくほど緩和されます。それがいつの日に体感できるようになるのか、それ以前に定年までに果たして訪れるかは・・・誰にも予測は出来ません。