日曜閑話3

今日のお題は「オリンピック」です。なんのかんのと言っても世界屈指のスポーツイベントですし、しばらくの間はオリンピックの話題が大きなものになるのは間違いありません。五輪の記憶は、年がばれるのですが、1972年のミュンヘンからです。東京やメキシコになると記憶の端にも残っていません。厳密に言うと同じ年に開催された札幌が最初なんですが、夏季ならミュンヘンが最初です。オリンピックと言えばこれも俗な表現ですがメダルです。いくら「参加することに意義がある」と言われても、参加してメダルを取ればさらに晴れがましいのは言うまでもありません。なんと言っても世界の3本の指に入る事になりますからね。

東京から前回のアテネまでの日本のメダル数を上げてみると、

Year City
1964 東京 16 5 8 29
1968 メキシコシティ 11 7 7 25
1972 ミュンヘン 13 8 8 29
1976 モントリオール 9 6 10 25
1980 モスクワ - - - -
1984 ロサンゼルス 10 8 14 32
1988 ソウル 4 3 7 14
1992 バルセロナ 3 8 11 22
1996 アトランタ 3 6 5 14
2000 シドニー 5 8 5 18
2004 アテネ 16 9 12 37
国家の威信を賭けて行なわれた東京から、その遺産が残っていたんじゃないと思われるミュンヘンまでと、その後の長期低落が鮮やかなコントラストを描いています。ロサンゼルスはご存知の通り、当時のスポーツ強国のソ連も含めた東欧諸国がボイコットした大会なので、それを差し引くとおおよその感じが分かります。前回のアテネの成績が飛びぬけていますが、今回はそれには及ばないだろうの予測はしておきたいと思います。それでも全力を尽くした選手には「よく頑張った」と言ってあげたいものです。メダルを取るのはすごい事ですが、本当は出場するだけでものすごい事だからです。

このメダル数の変遷からいろんな事が思い浮かびます。ロサンゼルスに東欧諸国が不参加だったのは書きましたが、ベルリンの壁崩壊が1989年、ソ連解体が1991年になります。同じ頃に東欧の社会主義体制国が次々に崩壊したのは記憶にまだ新しい事です。それでも2000年のシドニーぐらいまではスポーツ強国の遺産はまだ残っていたと思っています。それぐらい東欧のステートアマは強かったと感じています。

どれぐらい強かったかですが、旧ソ連は大国なので別格としても東ドイツが無茶苦茶強かったのは記憶に鮮明です。東ドイツは1949年に建国され1990年に西ドイツに吸収される形で消滅しています。国としては41年の寿命です。人口は消滅した1990年当時で約1600万人で、お世辞にも大国と言える規模は持っていません。それでも桁違いに強かったのは間違いありません。

東ドイツの五輪参加ですが、1964年の東京までは東西ドイツ統一チームとして参加しており、単独で参加したのは1968年のメキシコからです。ロスはボイコットし、1992年のバルセロナでは国家が消滅していますから、実質5大会しか単独参加していないのですが、


Year City
1968 メキシコシティ 9 9 7 25
1972 ミュンヘン 20 23 23 66
1976 モントリオール 40 25 25 90
1980 モスクワ 47 37 42 126
1984 ロサンゼルス - - - -
1988 ソウル 37 35 30 102


凄まじい成績で日本となんか較べるのも恥しいので、これもバリバリのスポーツ大国であるアメリカと較べて見ます。メキシコからソウルまでの記録です。


Year City
1968 メキシコシティ 45 28 34 107
1972 ミュンヘン 33 31 30 94
1976 モントリオール 34 35 25 94
1980 モスクワ - - - -
1984 ロサンゼルス 83 61 30 174
1988 ソウル 36 31 27 94


アメリカもオリンピックには力を入れる国です。プロスポーツが盛んなのでアマチュアスポーツは普段は目立ちませんが、オリンピックだけは別格で全国民が注目する大イベントです。その人口2億の大国アメリカが、人口1600万の小国東ドイツに金メダル数でモントリオールもソウルも競り負けています。当時の1位としてさらにこの上にソ連がいましたが、東ドイツの異様な強さが分かってもらえるかと思います。

思えば東欧のステートアマが強かった時代には、金メダルとほぼ必ず「驚異の世界新記録」がセットのように添えられていたように思います。オリンピックで優勝するには世界記録を出すのは当たり前で、なおかつ「驚異の」がつかないと勝てない時代であったように思います。お蔭で陸上や水泳の世界記録と日本記録の差は年とともに広がり、当時のジョークとして、

    日本の○○選手、惜しくも予選8位でした。なおこれは日本新記録です。
全種目とは言いませんが、現実にこんな事が起こるのはジョークとは言い切れないものでした。とくに東ドイツの女子選手の体格は強烈で、後ろから見ると「なんで男子選手が女子の水着を着ているのだろう」と思わせるほどのもので、何があっても絶対勝てそうな感じはしないと言えば大袈裟な表現でしょうか。

ベルリンの壁崩壊後、このスポーツ強国の影の部分が明らかになりましたが、今から思えば東ドイツはなぜにあれほどオリンピックに力を入れていたかに疑問を持ちます。選手の方はメダルを取る事により国のスポーツの要職に就けるというモチベーションはあったでしょうが、東ドイツ国家としてはすべて持ち出しの予算です。国としてメダルを大量獲得しても、「外貨獲得」とか「貿易収支の改善」には全くつながりません。東ドイツ社会主義国の優等生と呼ばれていましたが、それでも国としてオリンピックに優雅に予算を費やすほどの余裕は無かったと推察されます。

ありきたりの説明としては東ドイツは事実上の独裁国家ですから、民衆の不満をスポーツの活躍で逸らそうとしたになるかもしれません。たぶん説明としてはそれで必要にして十分になるのでしょうが、個人的にはそれにしては力の入れすぎではないかと感じています。東ドイツの国家挙げての選手養成は有名ですが、1600万人の小国でアメリカと張り合う成績を残すには半端じゃない予算が必要と想像します。それこそ国を傾けての予算が必要だと思われます。あそこまで強くなければならなかったのかの素直な疑問です。

おそらくですが、当初「国威発揚」「国民の不満を逸らす」の目的のために手段として「メダリスト養成」が行なわれていたのでしょうが、途中から手段が目的化して暴走していったと考えています。手段のために予算獲得がある意味聖域化し、メダリスト養成こそが国家(独裁政権)を保つ唯一の方法となっていったように思われます。言い方は悪いですが、ドイツ人気質にそんなところが無いとは言い切れないですからね。手段が暴走して肥大化し、なんの目的のためにやっているかわからなくなったと考えています。

数えると東ドイツとして獲得したメダル数は、金が153個、銀が129個、銅が127個の計409個です。これをたった5つの大会で獲得した努力も虚しく1990年に東ドイツは消滅します。噂では中国が東ドイツの方針を一部受け継いでいるとも聞きますが、中国は超大国であり、また内実は複雑なのであそこまでコチコチのスポーツ強国にはおそらくならないだろうと見ています。1600万人の中からメダリストを搾り出すのと、10億人の中からからメダリストを拾い上げるのでは相当意味合いが違うからです。

個人的には東ドイツのようなスポーツ強国は二度と現れない様な気がします。東ドイツの五輪本格参戦は1968年のメキシコシティから1988年のソウルまでのたった20年の事です。ソウルから既に20年、五輪での東ドイツの栄光、強さを記憶している人間はどれほどになったでしょうか。夏空を見上げながらふと思い出した古い記憶です。