第4回奈良裁判・閲覧資料編

まずは昨日のおさらいで、原告側の主張の整理です。原告側の仮説の治療進行は、

  • 0:00 脳出血を即座に疑いCT準備にかかる。ただし意識消失発作が0:14ですから、ここからと考えるのが現実的でしょう。
  • 1:00 脳出血を診断搬送。CTスタンバイまで原告側の主張でも30〜40分としています。
  • 3:00 手術開始
手術を行なうために脳外科、産科、新生児科、ICUNICUの完備した病院を探す事自体が大間違いで、脳手術だけ行なう病院を探すのが当然であったとし、そういう条件なら、
    深夜でも脳出血を手術できる病院はいくらでもあった
医師として「いくらでもあった」どころか「世の中にあるのか」レベルのお話ですが、そこのところのツッコミは今日は控えておきます。

原告側の主張する脳外科だけの病院があったとして、そこに陣痛発来中の脳出血妊婦が搬送されたとします。その病院には産科施設はありませんから、胎児の監視は非常に手薄になります。分娩監視装置は愚か、産科医さえいないのですから、胎児の状況はほったらかしになります。せいぜい聴診器を腹に当てて胎児心音を聴くぐらいですが、経験の無いものにとって聞いているだけでは何の評価もできないことになります。

ここで事件病院の被告産科医師が付いていけば良いじゃないかの意見も出るかもしれませんが、被告産科医師は事件病院の産科を一人で背負っています。被告産科医師が長時間不在となれば、事件病院の産科医は誰もいなくなります。その間に別の妊婦に急変が起こることも十分考えられます。その危険を考えれば長時間病院を不在にする事は難しいと考えます。いわゆる二次被害の危険性が生じるからです。

要するに原告側の治療手順では胎児へのリスクは必然的に高くなるということです。この時の胎児が帝王切開で出生し、元気に発育し、現在原告の一人として名を連ねている事は知られています。これまで漠然とこの子供は、あれだけの苦難がありながら「無事」出生したと考えられていました。私も小児科医ですから実感しましたが、よく大きなトラブルも無く出生したものだと、母の偉大さ、生命の不思議さに感嘆したものです。

ところが結果としては無事でしたが、出生時の状況はそんなに甘いものではなかったようです。僻地の産科医様のNICUのなかった場所で、児の救命なんてありえない!大淀病院事件に裁判資料の閲覧資料の書き写し分が掲載されています。

6:00〜CTをとる(6:15頃?)の間の、NSTを今日はじめてみました。
1分3cm。 base line:190  non-reasuring pattern  (←重要!)   

しかも、緊急帝王切開と同時に、開頭術を同時施行していますが、
児のApgar score 1/6
(専門外の方にはわからないでしょうが、これで救命のみならず
 よく後遺障害がでなかったものです!)  

羊水混濁あり、MASになることが十分に予想されたので、挿管と同時に
気管内洗浄実施しています。pH7.172ですね。状態悪い。。。   

胎盤病理の結果もみてきました。
胎盤は著明に浮腫状、胎盤梗塞を2箇所おこしていたようです。

僻地の産科医様が重要とされたNSTのnon-reasuring patternですが、胎児仮死(ジストレス)の診断・管理にはこう記載されています。

米国産科婦人科学会では胎児心拍数図上の波形から胎児仮死を正確に診断できないとし、波形から胎児仮死の診断を直接くだすのではなく、胎児が悪い状態に陥っている波形、又は安心できない波形、英語で non-reassuring pattern という用語を用いるべきとしています。

NSTにはお世辞にも詳しいと言え無いのですが、ここは簡潔に危ない状態であったと解釈して良さそうです。羊水混濁もあったようで、Apgar scoreがなんと1/6!!。Apgar scoreとはなんぞやになるのですが、まず採点表を書いておきます。


評価 0点 1点 2点
心拍数 なし 100/分未満 100/分以上
呼吸 なし 緩徐、不規則 良好、啼泣
筋緊張 なし 四肢をわずかに屈曲 活発に活動
反射 なし 顔をしかめる 咳、くしゃみ
皮膚色 蒼白、全身チアノーゼ 四肢のみチアノーゼ

躯幹淡紅色
全身淡紅色


この採点評価を出生後1分及び5分で行なうのがApgar scoreです。1/6と書いてあるのは、1分値が1点で5分値が6点となります。このscoreは新生児仮死の評価点として用いられ、
  • 第1度仮死:6から4点未満
  • 第2度仮死:3点以下
もちろんApgar scoreが新生児仮死のすべてを決めるわけではありませんが、1分値が1点は飛び切り悪いと言ってもさして誤りではありません。状況からsleeping babyの可能性も十分あります。とくに仮死児の蘇生をやった事のある医師なら分かりますが、やっている方が顔面蒼白になる様な事態と言ってもよいと思います。

もう一つ臍帯血pHなんですが、私が新生児に関わっている時にはあまりうるさく言われていなかった数値なもので詳しく無いのですが、たしかpH7.2以下となるとよろしくなく、pH7.0以下なら非常に悪いと言うものだったと思います。この数値については自信が無いので補足情報下さい。

それと

胎盤病理の結果もみてきました。
胎盤は著明に浮腫状、胎盤梗塞を2箇所おこしていたようです

ここも実感としてよく分からないのですが、直感として良くないのだけはわかります。

つらつら書き並べましたが、胎児の出産時の状況は非常に危なかった事だけはわかります。危ないのを予想した新生児科医師が手際よく蘇生処置を行なったから大事に至らなかっただけです。こんな表現では言い足りないので、手練の新生児科医師が万全の体制で蘇生処置を行なったから、奇跡的に後遺症も残さず胎児は出生できたといえます。同様の仮死状態で重篤な後遺症が残るものは数え切れないぐらいいます。

長い寄り道でしたが、原告側の主張では先に脳出血の手術だけを行なうようになっています。治療手順は、

    事件病院 → 脳外科病院 → 総合病院(産科、新生児科、脳外科、ICUNICU完備)
つまり胎児は事件病院から搬送されて、脳外科病院で脳出血の手術に耐え、さらに母体ごと搬送されて次の病院で出生するわけです。ここで家族が繰り返し主張している(第3回の準備書面にあり)

原告側:胎児について。7日の入院や午後の陣痛の開始について。胎児は元気であると考えていた。母体の意識喪失や脳病変が胎児にどのような影響を与えるか母体を助けてもらいたいとの切なる気持ち以外胎児の動向への意識はなかった。CTを撮るときに胎児に悪影響を与えるので出来ないと言われたが赤ちゃんはあきらめるから母体だけは何とか助けたいと伝えた。

「赤ちゃんをあきらめる」といくら家族に言われても、赤ちゃんは胎児として生きています。いくら家族があきらめると言ったところで、その瞬間に消滅するわけではないのです。たとえ脳手術中に胎内死亡を起そうとも、取り出さないとどうしようもありません。ましてや生きていたらこれに対する治療を行なうのは当然です。

脳出血直後の患者を移動させるリスクがどれほどかは状態によりけりでしょうが、今回は相当な重症です。母体優先が原則とは言え、産科施設の無いところで脳手術を行なったからには、胎児の生死に関わらず再び搬送しなければ、今度は母体の生命に影響します。そこでも胎児がまだ生きていたら、当然これを出生させます。出生してしまえば、どんな状態であっても100%治療が行なわれます。家族が何を言っても100%治療が行なわれます。

原告側の主張の治療手順では胎児の生命はより危機に曝される事になります。母体にも胎児にも安全な治療は国循が行なった治療である、胎児を先に出生させ、それから脳出血の治療を行なうです。あれから子癇に対する知見を集めましたが、子癇の治療を行なう時には、緊急帝王切開を行なう病院では頭部CTはルチーンだそうです。国循でもそのルチーンに従って頭部CTを行い、脳出血を発見しています。

子癇で脳出血が見つかればまず胎児を緊急帝王切開で取り出し、それから脳出血の治療を行ないます。ここで仮に原告側の主張通り子癇でなく脳出血であったとしたら、この手順は変わるのでしょうか。陣痛まで来ているのですから、まず胎児を取り出して脳手術の順は変わらないと考えます。緊急帝王切開なんて5分もあれば子供は取り出せます。

結局のところ家族の「子供はあきらめる」ですが、母体優先を考えてもこの事件の場合、胎児をなんとかしないと治療が進まないのではないかと考えます。「子供はあきらめた」からと言って、どこかリスクが大きく変わる点があったと思えません。

最後に私も人の親ですから感じている事ですが、いかにまだ1歳の子供とは言え、その面前で「子供はあきらめる」との主張を行うのに相当の違和感を感じます。原告側が「子供はあきらめる」の前提の上で、子供により障害が残る可能性がある治療、ましてや死に至る危険性が高まる治療をせよとの主張を繰り返すのはどうかと思います。原告が主張したからには被告もその点について容赦なく聞きただします。これらの記録は永遠に残るのです。

そういう事を行なうのが「真実を知る」ための行為かと思うと、索漠たる思いを禁じ得ません。