奈良大淀病院事件訴訟を医学的に総括してみる

平成19(ワ)5886損害賠償請求事件が正式名称になります。判決文の逐次解説方式も悪くはないのですが、少し違った視点からこの訴訟を考えて見たいと思います。先にお断りしておきますが言うまでも無く私は小児科医であり、脳外科や産科領域の知識は不十分な上に、今回の訴訟で扱われた症例は不得意な分野のさらに特異な経過をたどったものですから、足りない部分、誤解がある部分については皆様の御協力を是非にお願いしたいところです。

それと実名表現を避けるために、判決が確定した後ですが、便宜的に被告、原告の表現を今日は使わせて頂いています。これも御了解頂きたいと思います。

自分でも扱え切れるかどうか自信が無いテーマですが、これは訴訟が行なわれる前、行なわれている間も議論としてあった

    この症例に脳外科手術の適応はそもそもあったか
現実として脳外科手術は行なわれ、原告側は脳外科手術の時期さえ早ければ「救命できたはずだ」が基本主張であり、判決でも「救命できる時期に手術は不可能」が裁判所判断になっています。訴訟での流れはそうなり、裁判所の判断もそれに従ってのものですが、本当に「早期であれば救命が可能」であったかどうかを考え直しても良いと思っています。

国循での所見は次の通りであった事が訴訟で明らかになっています。

  1. 被核出血による右前頭葉の径7cmの巨大血腫
  2. 著明な正中偏位
  3. 脳室穿破と脳幹部出血
  4. 術中所見で脳血管奇形の確認は出来ず
  5. 死後の解剖は行なわれず
死亡産婦には高血圧症による血管の変性はないため、分娩中の一時的な高血圧による脳出血はとりあえず考慮の外に置かれます。一時的な高血圧による脳出血の原因としては、動静脈奇形などによるものがありますが、これについては国循でも特定できていないのが事実です。つまるところ原因は不明と言う事です。

死亡妊婦の血圧変化は痙攣直後に血圧上昇はあったものの、子癇治療(マグネゾール投与)により速やかに降圧しています。子癇治療で痙攣発作がおさまり、血圧も下降した点は経過を考える上では重要な点であり、やはり死亡妊婦に起こったのは子癇であり、子癇からの脳出血と考えるのが確認可能な事実から妥当と考えられます。

妊婦に脳血管奇形があり、分娩時の血圧上昇により脳出血を起したとの推測は、推測として成立しますが、脳血管奇形の存在が確認されていない以上、あくまでも推測の域に留まらざるを得なくなります。一方で子癇治療により痙攣発作がおさまり、血圧も低下したのは事実であり、事実に基いた症状解釈は推測の症状解釈を上回ると考えられます。

子癇からの脳出血は少ないながら一定の頻度で認められるのはこれも事実であり、さらに子癇からの脳出血は脳血管奇形が無くとも起ころうる事はあるのもまた事実です。原因が不明であるのであれこれ推測するのは問題ありませんが、推測した原因が事実に基いた解釈より上位に置くのは問題があると考えます。推測が事実を上回る説得力を持つこともありえますが、この訴訟ではそれは「なかった」と言えます。


現実の訴訟では脳出血の発生時刻について激しい争いはありました。発生時刻についての結局のところの客観的事実は、国循到着後に脳出血が確認されたのみであり、後は症状からの推測になります。症状のポイントは3つであり、

  1. 0:00・・・激しい頭痛
  2. 0:14・・・失神様の症状
  3. 1:37・・・痙攣発作
被告側は痙攣発作のさらに後に脳出血が起こったとの主張もしていましたが、それも含めて特定は不可能で、わかっているのは6:30の国循のCTにより脳出血が確認された事実のみです。どこに出血時刻を置くかは推測に過ぎなくなります。脳出血は起こっているのは事実として判明していますから、症状を脳出血に絞って考えると、これは鑑定意見ですが、
  • 1:37の痙攣発作を除脳硬直と考えれば、この時刻までの治療が必要
  • 1:50の瞳孔散大、2:00の中枢性過呼吸(26回/分)で非可逆性の脳出血が完成
脳出血の発症時刻を痙攣発作の前に置き、痙攣発作を除脳硬直と解釈しても、脳出血による症状の進展は非常に早い事が推測されます。もう少し言えば、痙攣発作を子癇発作と解釈して、以後に出血開始時刻を置けばなおさらです。とりあえず判決文ではこの鑑定意見を重視して、出血時刻を0:00に仮定し、さらに奈良医大に直ちに搬送できたとしても救命は不可能のロジックを示しています。

 後で知って興味深かったのですが、当初原告側は1:37の痙攣発作の症状を病棟看護管理日誌の記録から、「除脳硬直」と主張していましたが、途中でこれを変更したようです。被告側の子癇による痙攣発作であるとの主張を覆すための当初の主張であったと考えられますが、鑑定意見により除脳硬直であるなら救命不可能の判断が示されるとして主張を変更したそうです。

 これも訴訟の当初に原告側が主張(第4回)していた、

    被殻部出血の予後の統計学的なもの、また、被殻部出血による生命中枢に与える進行のメカニズムから考えると、少なくても発症した0時からしばらく経った1時、あるいは3時ぐらいのまでの間はJCSが200と反応している状態であるから、早期に診断して、治療は開頭による血腫除去施術しかない、そして血腫除去手術自体の一般的な生命予後の死亡率は20数%なので、我々が何度も言っているように、0時からほどなくの時間で、搬送して手術していれば、充分助かった!
 3時までに脳手術の主張のためには、1:37に除脳硬直が起これば拙くなったためと考えます。原告側は最終的に6時の国循搬入時にようやく不可逆性の脳ヘルニアが完成したと主張を変更しています。原告側はこの救命時刻の設定変更のためには、少々の無理を重ねる事になります。子癇否定は当初からの主張でさすがに変えられませんし、出血時刻(0:00)の主張も今さら無理な上に、争いの無い事実として認めてしまっています。

 そのため原告側は脳出血は起こったが、除脳硬直は起こらなかったとの主張にせざるを得なくなっています。さらにこの主張変更は、鑑定意見を読んで変更したようで、その主張に副った意見書も提出しています。よほどロジックに困ったらしく、原告側の意見書では2時の時点で非可逆性の脳ヘルニアの完成を示す症状の存在を認めながらも、それでも6時の時点では「まだ完成していなかった」と主張しています。

 土壇場の争いが展開されたのですが、原告側の土壇場の主張が判決でどう扱われたかは判決文が示すとおりです。原告側の主張の変更を読みながら、それなら最初から子癇からの脳出血として、子癇からの脳出血の診断の遅れを主張しても良かった様な気がしますが、それでも訴訟の展開が難儀であることには変わりはないとも言えます。

 ついでですからもう一つ。上記は被告側の脳外科医の意見書ですが、産科医の意見書もあります。産科医の意見書は早期CTが焦点ですが、産科医意見書の主張のポイントは、子癇の診断についてです。子癇の診断は他の器質性疾患(今回であれば脳出血)を否定した上でなされなければならないです。この主張はウソではありませんが、まず脳出血が仮に確認されても子癇は否定されません。

 子癇からの脳出血がありうるからです。子癇治療に特別な安静による刺激の回避は不可欠であり、子癇でない可能性が他の検査や治療で疑われる時に画像検査に初めて進む事になります。もちろん画像検査に進む時にも子癇の可能性は否定されていないわけですから、画像検査による刺激による子癇症状の増悪に十分な配慮を伴ったものが必要である事は論を待ちません。

 端的に言えば子癇を考えマグネゾールを投与しても効果の乏しい場合に万全の体制を整えてCTに臨むべきものであり、今回の事例で意識が消失しただけで「直ちにCTが常識」はかなり苦しい主張になります。これは現在のガイドラインでも明記されており、土壇場の原告側の苦しさを象徴しているようにも感じます。

なかなか最初のテーマに行き着かないのですが、脳出血に対しなんでも手術を行なうものではありません。これは歴史的経緯があるのですが、手術技術の進歩により、ある時期に様々な脳出血に対し手術が果敢に幅広く行なわれた時期がありました。これは様々な結果を後に残しました。メリットもデメリットも教訓もその時期の結果により今に活かされています。

まず脳手術を行なうこと自体で脳に損傷を与えます。そのため軽度の出血では自然吸収を待つ基準が出来上がります。また出血による血腫除去も原則として脳出血が収まったものに対し行なわれます。バンバン出血が続いている状態であれば、血腫を除去しても新たな出血が止められないからです。止められると考えてアプローチを試みた過去の結果の現われと言っても良いかと思われます。

また脳幹部出血や昏睡に至ったケースの手術適応も否定しています。そこまで進めば手術による救命の可能性の乏しい時期に至ったと現在の基準では設定されています。こういう基準は先人の結果を今に示しているものです。「なんとかなるかも知れない」と挑んだ結果が「なんともならない」事を学習した成果ともいえます。


今回の事例を考えて見ると、原告側の主張する純粋の脳出血あれ、被告側の主張する子癇からの脳出血であれ、出血量の増大は短時間で大量であった事が事実として確認できます。訴訟で事実認定された0:00出血開始説であっても、

時刻 経過
0:00 脳出血発症
1:37 除脳硬直
1:50 瞳孔散大
2:00 中枢性過呼吸
6:30 被殻血腫7cm、脳室穿破、脳幹部出血


こういう経過を取る脳出血が、たとえ1:37以前であっても果たして手術適応かの問題は考えても良いかと思います。この問題は脳外科全体としては既に手術適応無しとして結論付けているかと考えます。そのうえで指針を無視して手術する医師はいるでしょうし、診断時点で経過の情報が不十分で、わずかな可能性にかけて手術をする事も現実にはありうるかと思います。

それでも冷静な医学的判断としては、この脳出血が起こった時点で救命はそもそも不可能と出来そうな気がします。これを時刻によっては、救命の可能性の判断を残した判決はどうだろうと疑問に思うところがあります。たとえばこれが国循の平日の日勤中に起こり、これも直ちにCTで出血が確認されたらどうであったかです。

脳出血の進展を見ながら手術適応を探り、結局は手術を行なわなかった可能性があるんじゃないかと言う事です。ガイドラインの判断と、臨床現場の判断は必ずしも一致しませんが、どうなんだろうと疑問に思っています。

脳出血の手術はケース・バイ・ケースはもちろんあるでしょうが、結局のところ早期診断はともかく早期治療が必ずしも絶対ではないと言う事です。早期治療と言うか、手術が可能なケースは脳出血の進行度合いによって決定し、いくら早期発見しても手術による救命が無理なものは無理と判断される時代であると考えています。

なんでも「とりあえず手術」時代はあり、その時代の意識で現在も治療に取り組まれている脳外科医も少なからずおられるとは聞きますが、それは既に根拠に基いた治療ではないと言っても良いと考えています。たとえば学会レベルでそういう治療方針を力説するのは非常に恥しい時代になっていると言う事です。


ここで一つの反論は出てくると思います。「国循は手術したではないか、あの時点でも手術したのであるから手術適応はあったはずだ」です。事実の経過から一定の説得力のある意見です。国循での治療経過を確認出来る範囲でまとめてみます。

時刻 経過
5:47 国循到着
6:30 CTにて脳出血確認
7:55 帝王切開と脳手術を同時進行


国循医師が死亡妊婦の情報として手にしていたものは、救急車に同乗してきた被告産科医の口頭での伝達と、紹介状一式だけです。また被告産科医から情報を聞いたのは国循産科医であり、国循脳外科医が呼び出されたのはCTによる脳出血確認後になります。そういう状況で国循脳外科医は「いつからの出血が推定されるか」とか「症状の経過から手術適応はどうなのか」を十分に検証する時間がなかったようです。

後で詳細に経過を分析した国循医師は、訴訟の証言で、

    0時の頭痛に始まった出血の経過を知っておれば手術はしなかった
こう証言しています。この言葉だけなら、もっと早期であれば救命に至る手術が可能であったと解釈する事も不可能ではありませんが、脳外科手術の現在の趨勢を考え合わせれば、「この様な症例では残念ながら、そもそも手術適応は無い」と解釈すべきだと考えます。



どうも最後のところは脳外科知識の乏しさが露呈して歯切れが悪いですが、この考え方が的外れで無かったならば、「早ければ救命可能」の裁判所判断は今後に禍根を残すかもしれません。ただなんですが、民事訴訟での裁判所の役割はあくまでも紛争の仲介です。ここも法学的には難しいところですが、必ずしも真実のみを事実として認定する必要性がない場合があります。

医療裁判で裁判官はどんなに頑張ってもその知識は医師に劣ります。また裁判官が判断の材料にするのは法廷に提示された証拠と証言のみです。今回の訴訟であれば、原告側は「早期診断、早期治療でこの脳出血は救命可能」であり。この主張に副った証拠や証言で主張します。被告側も当然反論するわけですが、早期治療での救命の可能性の判断は裁判官には難しすぎる問題であったと考えます。

脳出血治療のガイドラインの運用でさえ、脳外科内では異論のあるでしょうし、現に異論に基づいた意見書も提出されています。これを学会の趨勢まで視野を広げた判断を行なうのは容易ではないと思います。医師であっても脳外科医以外なら自信を持って即座に返答できる問題ではありません。

ですから裁判所の判断は最後のところの判断を巧妙に避けられています。少し引用すると、

  • そして,午前1時37分ころの除脳硬直は既に中脳と橋が両側性に障害されていることを示しており,午前2時ころには,瞳孔が散大し,呼吸が26回/分と過換気の状態となっていたのであるから,原告らが主張するような午前4時ころまでに開頭手術を実施していれば十分に救命できたとは考えられない。
  • 前記認定のとおり,午前2時ころには,瞳孔が散大し,呼吸が26回/分と過換気の状態となり,呼吸障害も起こり,「中脳−上部橋期」に相当し,通常非可逆的である。Cの病態の進行は急激であって,午前2時ころから数十分以内に開頭手術を行わないと救命は不可能であったのであるから,午前3時30分ころの時点で緊急の開頭血腫除去術を行っていたとしても,救命の可能性は極めて低かったと考えられる。

手術による救命が不可能である時刻の判断を示しましたが、それ以前ならどうであるかの判断は実質のところ行なっていません。これはそこまで踏み込むのは躊躇されたと考えています。医師でも判断が分かれると言えば分かれる点ですから、これ以上を望むのは酷かも知れません。



判決は確定していますから、裁判の当事者である被告・原告双方の心情も配慮してコメントをお願いします。あまりに感情的なコメントはこのブログの性質上、良からぬ問題がコメンテーターに起こりうる可能性があり、その点についての冷静さを切にお願いします。私も出来うる範囲では管理しますが、一日中PCにしがみついているわけではありませんから、すべてはカバーできません。

コメンテーターがもし医師であるならば論ずべき点は、あくまでも医学に基いた判断であるべきだと考えています。医学的判断の論議は事実に基くものであれば幅広く行なえます。そういう冷静な議論がこの裁判の一助になった部分はあり、ネットと言えども医師であるなら、その点だけは十分御配慮お願いします。

もちろん医師以外のコメンテーターも同様の御配慮はお願いします。最後に亡くなられた妊婦の御冥福を改めてお祈りします。