周産期医療の崩壊を食い止める会のパブコメ

今日は下手にエントリーを書くとエープリルフールにされてしまいそうなのですが、そうではない普通のエントリーですから誤解ありませんように。とは言うものの何を書いても揚げ足を取られそうなので、絶対にそうでなさそうな話題を選びます。皆様読まれた方も多いと思いますが、周産期医療の崩壊をくい止める会が「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する課題と検討の方向性」に関してパブリックコメントを出す運動をされており、厚生労働省試案「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する課題と検討の方向性」への意見書として署名を募られています。

意見書はそこそこ長いのですが、骨子は8つの提言になっています。

  1. 医療関係の死亡を異状死に含めるべきでない
  2. 解明機関へ届け出た症例は、警察へ届け出る必要はないこととする
  3. 臨床経過の全体像を明らかにすることを目的とすべきである
  4. 法に照らした個人の責任追及よりも、再発抑制を優先すべきである>
  5. 解剖する場合は、原則として、一刻も早く連れて帰りたい遺族に配慮し、当該医療機関で行うべきである。「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」のように、全例を他施設へ搬送して解剖するのは非現実的である
  6. 臨床経過の全体像を明らかにするために解剖する場合、疾患・治療内容・薬剤の副作用・手術の術式等を熟知している病理医との協力が不可欠である
  7. 中立的第三者の援助のもとで、当事者間の対話の場を提供し、患者・家族が十分に納得できる合意形成を目指す
  8. 当事者の求めにより、中立的な医師・弁護士による事実認定・専門的評価を提供する
この提言だけ読まれても、厚生省の原案である診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する課題と検討の方向性が分からないと賛同の是非は決め難いかと思います。すべてを検討するのは難しいので最初の2項目だけ今日は考えてみます。

医療関係の死亡を異状死に含めるべきでない

厚生省原案にはこう書かれています。

診療関連死の届出制度のあり方について

  1. 現状では、医療法に基づく医療事故情報収集等事業以外には、診療関連死の届出制度は設けられておらず、当事者以外の第三者が診療関連死の発生を把握することは困難となっている。このため、診療関連死に関する死因究明の仕組みを設けるためには、その届出の制度を併せて検討していく必要がある。今後、届出先や、届出対象となる診療関連死の範囲、医師法第21条の異状死の届出との関係等の具体化を図る必要がある。


  2. 届出先としては、例えば以下のようなものが考えられる。


    • 国又は都道府県が届出を受け付け、調査組織に調査をさせる仕組み
    • 調査組織が自ら届出を受け付け、調査を行う仕組み


  3. 届出対象となる診療関連死の範囲については、現在、医療事故情報収集等事業において、特定機能病院等に対して一定の範囲で医療事故等の発生の報告を求めているところであり、この実績も踏まえて検討する。


  4. 本制度による届出制度と医師法21条による異状死の届出制度との関係を整理する必要がある。

読まれてもおそらく何が書いてあるかすぐには理解しにくいとは思いますが、よく読めばこう書いてあると解釈出来ます。

    診療関連死の範囲、医師法第21条の異状死の届出との関係等の具体化を図る必要がある。
要するに何も決めていないので、これから考えるという事です。考えるのは厚生労働省の御用会議で、厚生労働省の意のままに結論を作るというのと同じ意味です。そのため原案段階では何も前提として拘束される内容は盛り込んでいないと解釈できます。

それに対し周産期医療の崩壊をくい止める会では、

そもそも医療は刑法によって処罰されない正当業務行為です。医療現場での死に関しては、犯罪や被疑者の存在を前提とした警察捜査の対象とするのではなく、「臨床経過中に何が起きたのか知りたい」、「再発を防いでほしい」といった患者・家族のニーズに応えることを目的とした、解明機関への届け出制度が必要です。

これもまたもって回った言い回しですぐにはピンと来ないのですが、異状死と診療関連死は別次元のものであるとの主張と私は解釈します。異状死とは「そもそもの目的は犯罪の疑いのある死体や、伝染病・中毒・災害等により死亡した疑いのある死体を届け出る」というもので、診療に手を尽くした上での診療関連死は司法ルートとは別の扱いをすべきであると主張していると考えます。

もちろん診療関連死でも医師の明白なミスによるものも含まれるわけで、その可能性を患者遺族が抱き、医師の説明に納得がいかず、調査を希望した時に乗り出すのが解明機関であるとの位置付けだと解釈すれば良いかと思います。これまでは遺族が不満を抱いた時に訴訟に持ち込む以外に手段が無かったのが、解明機関という調査機構が訴訟に持ち込む前段階として機能すると考えれば良いかと思います。

解明機関へ届け出た症例は、警察へ届け出る必要はないこととする

これについての厚生労働省原案は、

  1. 診療関連死の臨床経過や死因究明を担当する組織(以下「調査組織」という。)には、中立性・公正性や、臨床・解剖等に関する高度な専門性に加え、事故調査に関する調査権限、その際の秘密の保持等が求められる。こうした特性を考慮し、調査組織のあり方については、行政機関又は行政機関の中に置かれる委員会を中心に検討する。


  2. なお、監察医制度等の現行の死因究明のための機構や制度との関係を整理する必要がある。

解明機関と監察医制度すなわち警察との関係はこれから検討するとして明言していません。つまり遺族が異状死を主張して司法解剖を望んだときの対応は未定という事です。この点は非常に重要な事と考えます。話は巡るのですが、医療行為を行なっている時の死亡で、それが医師の明白なミスによる異状死なのか、診療関連死なのかの線引きが現在では曖昧で、遺族が異状死の可能性があると主張すれば警察は動かざるを得なくなるという事です。

現状はもっと厳しく、Bermuda先生の経験通り、

「原因がわからない場合、


日本の法律の解釈の仕方によっては


警察に届けておいたほうがよいということになりました。」

家族が希望しなくても「念のために」司法解剖を受けた方が無難であるとの見解が日本中の病院に蔓延しつつあります。言うまでも無く福島事件の後遺症です。

そうなると話は一遍に複雑化します。病院で患者が死亡します。家族が「寿命だ」と納得して帰れば平穏な風景ですが、「おかしいんじゃないか」と主張され、医師の説明に納得がいかない場合を考えて見ます。解明機関があったものとして、家族が取れる手段は、

  1. 解明機関に調査を申請する
  2. 民事訴訟に訴える
  3. 刑事告発する
現在の法制ではどれも可能です。とくに訴訟を起す権利は手厚く保障されており、これを制限するのは相当な困難を伴います。下手に明文化された制限を打ち出せば憲法論議にまで発展します。

どうにも話がうまく進まないのですが、課題の2点の問題点を私見を含めてまとめてみます。

  • 異状死は広い意味での刑事対象、診療関連死は同じく民事対象の死亡である。
  • 異状死には司法解剖により刑事事件の有無を調べ、診療関連死は解明機関により民事責任の有無を明らかにする分担が必要。
  • しかし診療関連死の中に刑事対象となる異状死が含まれる可能性は残り、その鑑別は事前には不可能である。
  • 遺族が刑事告発すれば警察は動かざるを得なくなる。
  • また民事訴訟の権利も手厚く保障されており、遺族が民事訴訟を起し証拠保全を行なえば解明機関は機能麻痺に陥る。
こういう前提の下で解明機関が十分な機能を発揮するには、
  1. 少なくとも医療行為中の死は一括して解明機関が調査を行なう大原則の確立。
  2. 解明機関を通さず民事訴訟となっても、司法がまず解明機関に調査を依頼する司法慣行の確立。
  3. 刑事告発であっても、警察がまず解明機関に調査を依頼する司法慣行の確立。
つまり診療関連死の可能性があるケースであれば、調査の最初の窓口は解明機関であるというルールの確立です。解明機関が調査の上、異状死であるとすれば次の段階の調査は警察に移り、医療側に責任のある診療関連死であれば和解交渉に尽力するという形態です。

ここまでは「そういう考えもある」のお話ですが、遺族が解明機関の調査に納得しなければの話が残ります。もちろん医療側にもありえるかもしれません。納得とは調査そのものの内容かもしれませんし、和解条件かもしれません。そうなれば事は民事訴訟に移行します。この権利は手厚く保障されています。常識的に考えれば公式の組織である解明機関の結果が出ているのですから、その結果を司法も尊重し結果は覆らないと考えるのが妥当ですが、訴訟とか裁判の進め方の知識が増えるほどそう無邪気に考えられなくなっています。

訴訟のルールでは被告、原告双方が同意しなければ証拠は不同意として採用されない事があります。そうなれば新たに事実関係を調べ、新たな鑑定医や、証人の証言で裁判は進められます。そうなれば解明機関の結論と全く違うものになる可能性が出てきます。

それよりも問題視されているのは、解明機関の機能と、民事訴訟では調査の目的がまるで異なるという事です。解明機関では原則として真理真相の調査の場です。診療関連死に至った原因が何であるか、それが医学的にどういう問題があるかの検討の場です。ところが民事訴訟は様相が違います。争いごとのシロクロをつける抗争の場です。そこでは自分に有利な証拠を強調し、不利な証拠をできるだけ伏せると言う事が常識の場所で、相手の片言隻句に因縁を絡み付けていく司法の喧嘩です。

そういう民事訴訟の場に、解明機関で虚心坦懐に真相を追究した調査報告が証拠として用いられるのは、訴訟と解明機関の性格からして相容れない性質があると考えます。つまり解明機関の調査結果を証拠として採用し、その中の片言隻句を針小棒大に言い立てる法廷戦術により、解明機関の結論と全く違った司法判断が出てくる可能性が少なからずあり、そう言う事が起これば、解明機関への協力は次の段階の民事訴訟を考慮して及び腰になる可能性がでて来るという事です。

懸念ばかりを考えても次に進まないとの意見もあるでしょうが、昨今の医療を取り巻く情勢の厳しさ、医療訴訟に限らず司法の物事の考え方、進め方を考えると、厚生省原案は一番肝心のところをスルーして作られているように思ってしまいます。あくまでも個人的な意見ですが、周産期医療の崩壊をくい止める会のパブコメもその点はかなり隔靴掻痒の印象があります。どうしても最大集約数的な意見となり、表現として穏当な物にならざるを得ない事は理解しますが、もう一歩踏み込んでくれて、もう少し直裁的かつ具体的な提言なら諸手を上げて大賛成なのにと少し残念です。