事故調案の骨格

前回が2008年ごろにウヤムヤになった事故調ですが、またぞろ亡霊の様に活動を始めています。常識的には前回の挫折を教訓として今回に活かす方針になりそうなものですが、そうはならないのが毎度の厚労省と言うところです。

ここに

厚生労働省医政局が3月29日に開催した「第2回医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」での議論。

これが綿密に取材され記事になっています。この第2回ですが、大袈裟に言えば事故調の性格づけ、基本方針を巡る議論として良さそうです。つまり事故調とはどんなものあるかの骨格を決めるものです。これが決まった上で枝葉の肉付けが行われるとすれば良いでしょうか。でもって恒例の事務局案(厚労省案)が「別紙2つづき」として提示されています。これを引用します。

  1. 警察・検察ではなく、院内事故調査委員会において、自律的に原因究明・真相究明を行うことを第一義とする。

  2. 診療行為関連死としての議論の過程で、故意による犯罪があった場合には警察への届け出を行う。

  3. 診療行為関連死の届出の範囲を制限し、かつ、院内事故調査委員会に自律的な調査権を認める以上、その調査は、厳正に行われなければならない。このため、事故調査において、事故の隠蔽、偽造、変造が行われたと認められる場合には、医療者の倫理問題として、免許取消、業務停止、戒告等の行政処分医道審議会等)、指導医、専門医、認定医の資格取消等(学会等)、あるいは医師会からの除名等(単位医師会)により、厳しく対応する必要がある。

  4. 院内事故調査委員会において判明した事実については、たとえ当該医療者の刑事責任が問われる可能性がある事実であっても、関係者(家族ら、医師ら)に対して事実を正確に説明し、また、院内事故調査の報告書を交付する。その結果、説明を受けた患者家族らが、刑事告訴し、刑事司法が介入することもありうる。異状死の届け出が必要ない場合でも、患者家族へ真実を正確に説明することで刑事告訴が誘発される可能性もある。しかし、院内事故調査委員会の自律性を維持するためには必要不可欠である。これは、医師のprofessional autonomyの理念に基づく。

前回の事故調案が挫折した大きな理由に訴訟、とくに刑事訴訟との関連性があります。これについては「謙抑的」とか「法務省への一札」みたいな実態のない空証文で厚労省は誤魔化そうとしましたが、国会質問で明快に否定されたのは記憶に新しいところです。骨格案を読む限りでは前回の天王山について後退してしまったと受け取るのが正しい理解と見ます。

前回は空証文でも刑事訴訟とか司法介入に一線を引く素振りを見せていましたが、今回は

    その結果、説明を受けた患者家族らが、刑事告訴し、刑事司法が介入することもありうる。
これはどう読んでも司法介入も刑事訴訟も「御自由になさって頂いて構いません」としているで良いかと思います。一線も何もなく、ノーガードで「どうぞ」が今回の事故調の骨格であると言う事です。たしかにこうしておけば、前回のような司法との関係でゴタつく事はありませんし、法務省との折衝の上での立法みたいな難しい仕事は厚労省にはなくなります。もう一つ補強しておけば、
    たとえ当該医療者の刑事責任が問われる可能性がある事実であっても
ここも司法との関係を明快に示しています。「問われる可能性」との表現は、刑事責任の有無の判断は事故調サイドに基本的なく、主導権は司法サイドにあると言う事です。事故調の性格付けは下請け調査機関であると定義しているとして良いでしょう。調査権限だけは与えられても、判断については与えないです。



司法との関係がノーガードの方針である事は明瞭です。その前提の上で、

    事故調査において、事故の隠蔽、偽造、変造が行われたと認められる場合には・・・(中略)・・・厳しく対応する必要がある。
ここの表現の解釈には若干だけ余地は残るとは言え、事故調査には当事者となった医師が関与するわけですから、当事者である医師にも該当すると考えた方が良いでしょう。ここでさらに注目したいのは、
    隠蔽、偽造、変造
3つはどれも宜しくありません。とくに「偽造」「変造」は良くないのは明らかです。しかし隠蔽は少し違います。隠蔽も都合の悪い証拠を「隠蔽」するのは良くないかもしれませんが、都合の悪い証言を「隠蔽」するのは憲法38条に認められた国民の権利です。これは隠蔽と呼ばれず「黙秘権」と呼ばれます。これについては果たしてどうだです。憲法38条を引用しておくと、

第38条

 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

  1. 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
  2. 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

この権利については刑事訴訟法が有名ですが、

第百四十六条

 何人も、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる。

民事訴訟法でも

第百九十六条

 証言が証人又は証人と次に掲げる関係を有する者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれがある事項に関するときは、証人は、証言を拒むことができる。

議院証言法でも

第四条

 証人は、自己又は次に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。

さて事故調案ではどう扱われるかです。憲法の規定ですから遵守するのは当然以前の事ですが、黙秘権の存在は事故調とは一体全体何をするところかの定義の問題に関ってきます。建前上と言うか、これまで事故調の存在意義として喧伝されてきたのは、

  • 事故原因の究明
  • 再発予防
医療に関することですから事故原因を究明するには当事者の証言が欠かせません。どう考え、どう判断したのかの当事者証言がないと事故原因の究明に支障が生じます。ここで黙秘権を盾に重要ポイントの証言を拒まれてしまうと原因究明が困難になります。ここで刑事や民事訴訟では黙秘権で証言を拒否されても、裁判官がその他の証拠だけから心証で判決を下せます。

訴訟では言ったら悪いですが、事件の真相がすべて明らかにならなくとも構わない側面があると言えます。ぶっちゃけた話、不十分な真相究明であっても裁判官が真相の不明な部分を推測して「クロ(シロ)と信じる」と判断すれば最終決定である判決が下せます。つまりは真相は必ずしも判明しなくとも構わないです。


では事故調はどうでしょうか。建前通りに「再発予防」が主目的であるのなら、究明されていない真相では再発予防が困難になります。事故はある、真相は究明できないが心証で「どうも担当医が悪そう」では目的は果たせないです。その程度の真相究明で良いのなら、出来の悪い訴訟のカーボンコピーに過ぎません。さらに言えば御大層な事故調など無用の長物です。

事故調が存在意義を示したいのなら、事故当事者の黙秘権なき全容の証言による全貌の究明が絶対に必要なはずです。それが究明されてこそ、並び立つ主目的である再発予防に活用されるです。

しかし黙秘権は憲法で明記されている国民の権利です。これを事故原因の究明、さらには再発予防のために制限するのであれば代償が必要です。黙秘権なき証言を行った証言者の保護です。保護なくして刑事訴訟につながるような証言を強制するのは憲法上不可能です。前回の事故調騒ぎから一貫して解消しない問題点がここにあります。


この黙秘権とその代償問題は厚労省サイドが極力手を触れたくないところと見ています。本来なら真相究明のための黙秘権問題が俎上にあがり、黙秘権の代償である保護の範囲をどこにおくかの議論があって然るべしです。厚労省案の骨格にある、

    医師のprofessional autonomyの理念
これに基づくとすれば、黙秘権の代償で保護される範囲の判断もまた医師の自律により行われるべきものだと言う事です。事故調案で示せるのは保護の範囲のガイドライン的なものにせいぜい留まるとするのが妥当です。


前回の事故調も「プレ一審」みたいな酷評が出ていましたが、厚労省のスタンスは今回もまた同じです。いやさらに後退して刑事訴訟のための下請け調査機関の性格にしたいの思惑が濃厚に滲んでいます。これは厚労省の事故調への期待に「犯人さがし」があるからだと考えています。事故が起こったからには必ず犯人が存在し、その犯人を見つけ出して罰する事が「第一義」であると。

そのため黙秘権問題は棚上げし、刑事訴訟との関係も玉虫色にしておきたくて仕方がないです。黙秘権の棚上げは事故調法案で「積極的な調査協力」条項を作り上げ、黙秘すれば事故調法案違反みたいな代物に仕立ててしまうです。だから、

    医療者の倫理問題
判ったようなわからないような物を振りかざして、憲法が保障する黙秘権を医師が自主的に放棄する構成にしようとしているです。自主的に話すのは本人の自由ですが、自主的に話さない時の罰則を延々と並べているのが事故調案の骨格と言うわけです。そこまで強制的に自主的に黙秘権放棄を行わせた挙句、刑事訴訟は「どうぞ御自由に」が事故調案の骨格になります。


そんな事故調は不要であるとしたのが前回の騒ぎでしたが、もう1回これをやらなければならないようです。改めて原点を見るべきだと考えています。事故調とはなんであるかです。刑事訴訟直結の犯人さがし機構であるのか、医療事故の防止対策機構であるかです。再発を防止したい事故は、黙秘権に関係ない事故より、黙秘権が絡んでくる事故になります。

ここまで考えれば論点は単純化します。

事故調の性格 黙秘権との関係
犯人さがし機構 刑事訴訟に直結するので黙秘権は絶対
事故再発防止機構 真相究明のために黙秘権を認めない代わりに、医師によるprofessional autonomyによる刑事訴訟の制限


もっと単純には黙秘権の剥奪と犯人さがしは基本的に両立しないです。それを文面だけいじくって、両立させようとしているのが前回同様の厚労省案であるとして良いでしょう。だから前回も「こんな事故調なら不要」として消滅した経緯があります。今回も全く同じ、いや前回より酷い案で事故調法案を押し付けようとしているのは確認できました。



まあ前回の時も強く感じたのですが、そもそも厚労省にこんな難しい法案の作成能力があると思えません。黙秘権及び司法介入の問題を整備できる権限も調整能力も厚労省にはありません。

まず司法は大権であり、その犯罪捜査の権限は何人にも冒されないのがまず大原則です。医師であろうが、政治家であろうが、弁護士であろうが、警察官であろうが法の前には平等であるのが鉄則です。司法の鉄則を厚労官僚がゴチャゴチャ折衝したところで鼻で哂われるだけです。誰かの口利きで法の下の平等がホイホイとルール変更されるはずもなしです。厚労省では到底無理です。

もう一つの黙秘権は司法さえ拘束する憲法に認められた国民の権利です。これを何とかしたいのなら、それこそ憲法改正が必要です。そんな大仰な事が厚労官僚にできたらへそで茶が沸きます。

結局厚労省に出来る事は、

  1. 司法介入は司法の大権の前にノータッチ
  2. 黙秘権問題は憲法の前にノータッチ
司法に関しては前回は空証文をそれでもこしらえましたが、今回は作っただけで実効性の問題に火がつくので今回はスルーです。そこで、厚労省は今回は憲法に挑戦していると言うわけです。挑戦と言うほど大層なものではなく、語句を多彩に飾って誤魔化す作業に熱中されていると言う事です。

もちろん医師が望む司法介入の制限も司法の大権の壁が大きく立ち塞がります。だららと言って、憲法に認められた黙秘権をホイホイ差し出してまで事故調が欲しいかと言えば、そんな気はサラサラないぐらいに言えば良いでしょうか。医師の倫理は医師の精神としての矜持ではありますが、そんな屁理屈で剥奪できるのであれば、すべての職種に「○○の倫理」が拡大適用され、憲法があっと言う間に空文化してしまいます。

その延長で議院証言法で黙秘権を認めているのは、そこで証人喚問された人間の職業倫理が低いからだになりかねません。また医師の倫理が他職種に対してそんなに高いのであれば、それこそ「医師によるprofessional autonomy」で医師が自主的に刑事訴訟の適用の是非を自主的に決めて当然にもなります。

厚労省が委員を厳選された御用会議はまったくアテに出来ませんから、また前回同様の騒動が必要なようです。無能な働き者を相手にするのは本当に疲れます。