救急の黄昏・続々編

週末に論議が盛り上がったみたいで所要により不在で申し訳ありません。分娩時の無過失補償制度に触れたいのはヤマヤマなんですが、ここまで続いている議論を切る事になってしまうので、他のブログにコメントを書くだけで我慢して、救急問題を書きたいと思います。

救急医療の構造は言うまでも無く一次〜三次の階層構造になっています。階層構造の説明は今日は略しますが、簡単に言えば階層が上がるほど重症疾患を扱うぐらいに考えてもらえれば良いかと思います。数的には基本的にピラミッド構造で、一次>二次>三次であり、地域性は種々ありますが、一次と二次はしばしば兼務という形が多いと思いますし、充実した三次を提供できる医療機関はそんなに多くないと考えます。

今回の交通事故では事故の様子を見た救急隊員が二次を選択しています。この点について意見があり、救急車に医者同乗の上でのトリアージが必要とありましたが、全国の救急車をドクターカーにするのは現実的に非常に難しいと考えます。現実的には救急隊員の判断を二次救急の医師が聞いて、応需可能かどうか判断する事になります。

電話での情報収集には限界があります。救急隊員は医師ではなく、救急隊員にも非常に判断が優れている隊員がいる事を決して否定しませんが、玉石混合である事は間違い無く、救急車の装備では医師であってもよほど熟練していないと正確なトリアージは困難かと思います。ましてや現在は一件たりとも判断ミスが許されない前提が存在しています。

それでも電話での救急隊員の報告を受けて二次救急の医師は応需可能かどうかの決断を下します。建前では応需してみて、これは二次救急の対応の範囲かどうかを確認し、三次が必要と判断されればさらに転送するのが原則となっています。三次転送が必要かどうかの判断材料は、一目見て分かるものもあるでしょうし、ある程度の検査結果がそろってから判明するものもあります。一目で分かるものはともかく、ある程度の検査結果を必要とする判断であれば、それなりに時間がかかります。

検査結果が出た時点で、患者が三次救急に搬送できる状態であれば救急の階層構造は建前上は機能しますが、その間に動かす事が出来なくなるような状態悪化があれば問題は複雑化します。さらにある程度の検査結果が出た時点であっても、今回のように検査の範疇から零れ落ちた病変が進行すれば、これも問題は複雑化します。

複雑化するというのは、悪化した症状が三次であれば救命できたと言うシミュレーションが後から出てくることです。疾病傷害の全容がすべて分かった後に最善の方法を指摘するのは容易です。しかし医師の判断材料は小出しにしか得られません。救急隊員からの情報で最初のトリアージであり、応需した時点から始まる診察、検査で徐々に蓄積される情報で次のトリアージを判断します。

応需後のトリアージの周辺材料には、担当医の専門性や経験、技量があります。当該医療機関の設備および応援を得られるマンパワーの問題もあります。三次の応需状況や搬送距離や時間も考慮の内に入ります。こういう点については現場で救急医療に従事している医師であれば実感してもらえると思います。

ここでほとんどの場合は結果オーライです。ただし「ほとんど」であって「すべて」ではありません。「ほとんど」から零れ落ちたケースを糾弾し「すべて」を求めるのであれば、一次〜三次までを余裕のマンパワーでこなす、超弩級救急病院が必要です。さらにそれを「いつでも、すぐに」となれば、超弩級救急病院が日本各地に林立する必要があります。それはそれで理想の医療ですが、国の予算としての医療政策はそんなものを目指していません。

国が求めているのは現状ないしさらに予算を削減続ける前提の上で、「すべて」を「いつでも、すぐに」を要求しています。正確には国は「いつでも、すぐに」はさすがに無理と考えているようですが、患者であり政治の動向を左右する一般国民に明言すると猛反発を食らうので、「足りている医者が偏在無く働けば達成できる」の幻想を振りまいているように思います。国とは別の医療機関の行為裁定者である司法も「すべて」を「いつでも、すぐに」を厳格に要求しています。

とくにある程度の都市部ではご指摘があったように、もう少し工夫と協調があれば今よりもう少しマシな救急医療を提供することは可能かとは存じます。ただし二次、三次のトリアージの結果的な判断の間違いが糾弾される風潮が強まる中では、要求される「すべて」を満たす事は非常に難しいと考えざるを得ません。

今回の判決が明るみに出た影響は少なくありません。12年も前から「ババ抜き」「ロシアンルーレット」は高裁とは言え判例として存在し、現在になりますます強まっていると考えます。12年前には話題にもならず、たとえ知っても「例外的事象」と捉えられたかもしれませんが、現在では痛切に「明日は我が身」と感じる医者が確実に増えていると感じます。

「明日は我が身」と感じる医者はどうするか、トリアージをより厳格にするのは誰でも考えるところです。厳格にする事により三次搬送が増え、「すべて」に少しでも近づくかもしれません。患者サイドから見れば治療成績の向上に見えるかもしれません。ただそれが救急医療にとってどういう結果をもたらすかは医療関係者なら誰でも分かります。

医療者の意見として奈良救急事件の対応処置は当時の医療水準で問題無しと判断できます。応需を受けたのも結果的に不幸な転帰を取ってしまったのも、置かれた病院の位置・能力、担当者の能力、行なった処置は妥当であったとまず前提できます。そうなれば医学的に妥当な問題ない処置が訴訟では敗訴になってしまったのかの構造を分析する必要があります。分析した上で、それに対する対策を考える必要があります。

この点についてなんとか対策を考えないと、救急現場、とくに二次救急を行なう医者がドンドン逃散してしまいます。方法は一つではないと考えています。現状では論議の上、各自が出来ると思う事から手をつけていくのが良策のような気がしています。