秋葉原のトリアージ

秋葉原の事件のトリアージを取り上げた番組があったそうです。私は見ていませんから内容を具体的には知りません。ただその番組を取り上げているブログを読む限り、あの事件でのトリアージは不要だったとの結論になっているそうです。不要と言う表現が適切かどうか分からないのですが、黒タグを使ったのはよろしくないと言うか、使ったばっかりに救える命が救えなかったみたいな批判だそうです。もし見ていた方がおられたら補足情報下さい。

秋葉原の事件での救命医療の展開についての情報も漠然としか知りません。記憶に頼りますが、たまたま救急系の学会(違ったかもしれません)が東京であり、それに出席していた医師が現場に居合わせトリアージを行なったと覚えているぐらいです。事件直後には適切な処置となっていたかと思いますが、ここにきて評価を覆す検証が為されたようです。

トリアージの問題は去年NHK番組と絡めて取り上げた事がありますが基本的にいくつかの問題があります。問題の中で大きなものは、

  1. 誰がトリアージを行なう判断を行なうか
  2. トリアージの重症判定の責任はどうなるか
トリアージは平時の医療ではなく非常時の医療なので、平時の感覚から見れば違和感の強いものになります。医師にとっても平時のモラルに反する事が多く、十分なトレーニングを受けていないものに取って苦渋の医療になります。私も現場に居合わせても冷静にトリアージを行なえるかと問われれば全く自信がありません。

それと現場は混乱しています。秋葉原の事件でも居合わせた医師、また駆けつけた医師や救急隊は少なからずいたと思いますが、彼らは統一された指揮系統で動いているわけではなく、雑然と存在しているだけです。広い意味での医療関係者というキーワードで結び付けられるだけの見ず知らずの人間の集団です。さらに現場の災害規模も正確には把握しきれません。情報が錯綜しているだけではなく、これを瞬時に整理する司令部なんて望んでもありません。

一方で救命医療は待った無しです。負傷者の数はwikipeiaによると、

  • トラックではねられる(5人、死亡3人・負傷2人)
  • ナイフで刺される(12人、死亡4人・負傷8人)
負傷者の内訳も重傷6人、軽傷4人となっています。これは今なら全貌が分かりますが、事件は10分ほどの間で行なわれたとされ、人通りの多いところですからどれだけの混乱状態であったかはある程度想像できます。

17人の死傷者がほぼ同時に発生し、駆けつけた医療関係者は混成軍どころか雑多な集団である状態で、誰がリーダーシップを取るかの問題が出てきます。年功序列とか肩書きと言ってもそれを挨拶しあって確認する余裕も時間もありません。そんな確認作業や誰をリーダーとするような話し合いよりも目の前の重傷患者の治療に忙殺されている状態かと思います。

私も全然詳しくないのですが、トリアージを行なうのに何か手続きはあるのでしょうか。トリアージを行なう決められた条件とか、トリアージを発令する資格、トリアージを発令する手順みたいなものです。もっと具体的にはどこかにお伺いを立てて許可を得るみたいなものです。まったく知見はないのですが「おそらく」無いと思います。秋葉原では「どうも」たまたま救急医療の経験者がおりリーダーシップを取ったんじゃないかと考えています。

ではリーダーシップを取った人間がどれほど事件の全貌を把握していたかと言うと疑問です。自分の目に見える情報だけで平時の治療体制では間に合わないとの判断を下し、トリアージを行なうと決断したかと考えます。最低限の判断として負傷者を一度に収容できる数の救急隊が駆けつけるとは考えられず、順次到着する救急隊に搬送させる順番を誰かが決める必要があると考えたと思います。

場所は東京ですし大災害ではありませんから、周辺の医療機関は健在かつ数は豊富にあります。救急隊も同様でしょうが、一刻を争う救命の現場に間に合う数となると必然的に限られます。いや限られるかどうかも必然的とは言えないかも知れませんが、少なくともどれぐらいの時間ですべての負傷者が搬送できるかなんて正確な判断を求めるのは難しいかと考えます。

またこの程度の事件に黒タグまで用いた事に批判もあるとの噂も聞きますが、トリアージなんて事の実際の経験者なんて日本中で何人いるんでしょうか。漠然とではなく具体的な内容を正確に知っているものも多いとは言えません。個人的には錯綜して混乱する現場の中で、リーダーシップを取ってトリアージの決断を下しただけでもたいしたものだと個人的には感嘆します。その上で雑多の集団に、その場に最も適切なトリアージを行うように指導管理を何ひとつ間違い無く行わせるのは容易なことではないと思います。

平時の医療で時間をとって判断しても誤りはあります。ましてや突発時のトリアージに完璧を求めるのは厳しい要求かと感じます。もちろんアンタッチャブルで触れてはならない問題ではありませんし、事後検証でこの経験の問題点を検討し、次回以降にこれを活かす姿勢は非常に重要です。これは技術的と言うかマニュアル的な問題であって、その時の現場判断を直接非難するのは如何なものかと思ってしまいます。

番組を見ていないのでもし的外れになっているのであれば、これは重々陳謝させて頂きます。ただトリアージについて現場の判断に厳しい批判が公然と行なわれる、もしくは私のようにそういう批判があると聞かされた人間の中には萎縮してしまう者もでてくるように感じます。実際にトリアージを判断し決断実行する人間には想像しただけで非常の勇気が必要と考えています。その勇気が萎えないようにする配慮も必要と考えます。