元気なうちに・・・

 カレンダー的には一昨年、より正確には1年半前に大腸癌が発覚。手術、術後化学療法を経て今に至るになります。今は再発しないかどうかのロシアンルーレット中です。術後は5年が目安ですから、まだ3年以上は残っています。

 化学療法の後遺症はしっかり残っていますが、これぐらいの代償は仕方ないでしょう。そりゃ、再発すれば現代医療でもまず助かりませんから、あれをやらない選択はなかったですし、後遺症も起こる時は起こるものです。

 ただこういう状況になってしまうと、どうやっても余命を考えてしまいます。とくに健康寿命かな。とりあえず今は日常生活も仕事も出来ますが、別に癌が起こってなくても人は老います。こればっかりは逃れられません。その上で時限爆弾を抱えているようなものです。

 体が動くうちにやりたい事をやっておくべきじゃないかの考えが浮かんできます。若い時はひたすら先憂後楽がすべてみたいに考えていましたが、いつまで先憂でいつになったら後楽に入るのだの疑問が出て来ています。

 後楽と言っても経済的余裕があっての話になり、そこを言い出せば話が長くなるので棚の上に挙げておいて、そもそも後楽ってなんだろうを真剣に考えています。

 人によってはひたすら仕事と言う人もいます。これもわかるところがあります。若い時にも後楽を考えたことはありましたが、あの頃の漠然としたイメージは、

    遊んで暮らす
 どう具体的に遊ぶなんて考えもしなかったかな。それぐらい遊びたい事はテンコモリあったぐらいです。ただですが、あの頃は老いたら体力も、気力もここまで衰えるなんて想像も出来なかったぐらいです。

 だから最後に残るのはやり慣れた仕事が残ってしまうぐらいでしょうか。とは言うものの、私はそこまでの仕事人間ではありません。やめれるものなら、いつでも辞めたい方の人間です。

 それと遊ぶなり、仕事以外にやりたい事をやるには体力も必要ですが、それ以上に気力が必要なのも痛感しています。これは身近に例を見ています。亡父は10年早く癌になり、二度の手術を受けています。

 二回目の再発でどうしようもなくなりましたが、再発と再発の間には小康期もありました。平たく言うと見た目上は元気にはなっていました。だから家族としては元気な間に楽しいこと、やりたかった事をするように勧めていました。

 結果だけ言うと、ひたすら仕事をしていた記憶しかありません。再々発後さえそうです。昭和の仕事人間だったとしても良いですが、あれは今から思えば遊ぶ気力が先に失われていたのだとわかります。

 気力と言うか、遊ぶ楽しさが失われていたはずです。癌になるとは死を常に考えさせられる状況にさせられるぐらいです。ぶっちゃけ、死の重さと日常的に直面させられます。こればっかりは実際に経験しないと実感は難しいと思います。

 遊ぶとは日常の憂さを晴らすものですが、死の重さは遊ぶ程度ではまったく晴れず、遊ぶことへのワクワク感を奪い去ってしまいます。とはいえ、死の重さはシンドイですから、それを紛らわせるために仕事をする・・・ちょっと違うな。

 何もしないと重すぎる死に耐えられなくなるから、残された気力でも出来る仕事をしていたぐらいの気がします。やり慣れた仕事なら惰性でも出来ますからね。今年の桜は間違いなく見れますが、来年の桜は保証のない世界に入っていますからね。去年の化学療法中もそんな事を考えていました。

 ちと重い話でしたが、幸いまだ遊びたい気力は残っています。遊ぶと言ってもキャラから散財、豪遊は好きじゃありませんから、あくまでも出来る範囲のことです。

 そうですね、とりあえず暖かくなってきましたからツーリングに出かけましょう。ここ20年ばかり、出不精でしたから風の向くまま、気の向くままにバイクを転がして、まだ見ていないもの、何十年前に見たものをまた見るのも楽しいものです。

 とりあえず今はまだ、それなりに元気です。