恋せし乙女の物語(第26話)耳年増

 恋愛はまだしも結婚に気が乗らなくっている理由は他にもある。恋愛の延長線上に必ず結婚があるは言い過ぎかもしれないけど、恋愛と結婚は同じじゃない、いやかなり違うものだ。そういう話は嫌でも明日菜の耳に入るからね。

 恋愛は付き合う二人の意志がすべてなんだよ。相手を好きになり、結ばれてハッピーとしても良いかもしれない。だけどね、結婚となると一遍に話が複雑になる。そりゃ、結婚も法律上は当人同士の意志がすべてではあるけど、それだけではない現実が厳然としてある。

 結婚となると相手の親族がセットで付いて来るんだよ。なにか大層そうな言い方をしてるけど、旦那の親族と親戚付き合いは不可避だ。そりゃ、大昔のように家制度はなくなっているけど、最低限でも相手の両親、兄弟姉妹ぐらいまでは親戚として付き合わざるを得なくなる。

 そうなるのは結婚だから常識の話だけど、言うまでもないけど血のつながりもないし、知っているのはせいぜい相手と付き合いだしてから、それだって結婚するまでは両家顔合わせ程度しかないのも珍しくないはず。

 この辺はザックリにするけど、とにかく要注意なのは旦那の母親、つまり姑だ。これも先に言っとくけど、多くは問題はないそうだけど、一定確率でクソ姑が存在するんだよ。クソ姑も濃淡はあるみたいだけど、クソの中のクソは、

「うちのクソだ!」

 絢美のとこの義母がそうだったんだって。具体的にどうクソかだけど、

「夫婦をなんだと思ってやがる」

 親族でも一番関係が濃いのは親子関係だ。とくに母子が濃いのは明日菜だってわかる。ここだけど母親が子に愛情を注ぐのは問題じゃない、明日菜だってその点では感謝してるし、真似事でも親孝行の一つぐらいしたい気はあるもの。だけどその愛情はあくまでも母親としての愛情だ。

「クソは狂ってるんだよ」

 絢美に言わせるとクソ姑が息子に注ぐ愛情は母親じゃなく、男に傾ける愛情になってるって言うんだよ。あのね、親子だよ、自分の息子に女としての愛情を注いでどうするんだとしか思わないけど、そう考えるとクソ姑の行動がわかりやすくなるそう。

 似たようなものに娘を嫁に出す父親の心情はあるそうだけど、絢美に言わせると根本的に違うそう。この辺は育児における父親と母親の役割分担の差もあるんじゃないとしてたけど、

「あれは子離れ出来ていないどころか子執着だ」

 聞いていて呆れるを通り越してしまいそうになるのだけど、クソ姑は息子が結婚するのが、そもそも気に入らないそう。はぁってな話だけど、クソ姑の思考原理は、息子が一番愛する女は母親である自分であると信じて疑わないって言うから腰抜かす。

 ここも誤解を招いたらいけないから補足しておくけど、息子だって母親に愛情はあるよ。でもそれは、母に対しての愛情で断じて女と見ての愛情じゃない。だから母への愛情と、妻への愛情は根本的に違うんだよ。なのにクソ姑はこれを混同し、嫁を息子の愛情を争うライバルとしか見ないそう。

「女として息子からの愛情を奪い合おうするキチガイだ」

 嫁は息子の愛情を奪おうとするアバズレであり、可能な限り速やかに排除すべき敵になるってなんなのよ。

「女だからと言いたくないけど、あの嫁イビリの陰険さ、陰湿さは・・・」

 絢美だって義母とは仲良くしようと思って結婚したそう。結婚してからもそうなろうと努力した時期もあったそう。だけどいくら頑張ってもクソ姑にとっては、マウントが取れたぐらいにしか思わず、嫁イビリが加速する結果しか産み出さなかったって、どんだけなのよ。

 嫁イビリだけど、息子の前では出さないそう。息子の前ではあくまでも良い姑、良き母を演じるのだって。息子にとっては実母だし、生まれてからそんな母親しか知らないのだから、嫁が姑からのイビリを訴えてもすぐには信用しないらしい。

 この嫁姑問題でもめるのは、夫がどちらの言葉を信じるかはあるそう。この辺は夫にとっては産みの実母だから、いくら妻から訴えられても鵜呑みに出来ず、

「かの有名な『悪意はない』で片づけてしまうってこと」

 絢美のとこがどうなったかだけど、

「うちの旦那は日本一なの」

 惚気かよ。というかカメ君の絢美ラブは今でも渾身のものだと感心した。あの温厚なカメ君が実家に乗り込んで行ったんだって。二度と絢美に関わるなって怒鳴りまくったらしいけど、

「クソのクソたる所以で・・・」

 息子が嫁に誑かされたとばかりにひたすらヒートアップしたって言うからゲンナリだ。これを知ったカメ君はまたもや大噴火って言うけど、まさか殴り飛ばしたとか、

「そんなものじゃなかった。絶縁しちゃった」

 はぁ、絶縁ってどうやってやったのかと思ったけど、カメ君は絢美の家に婿入りにしてしまったそう。そうしておいて、

『婿になったからには、オレの父母は絢美の親だ。実の父母の死に目にも会えないものになったからな』

 別に婿入りしたって実の親は普通は変わらないのだけど、クソ姑は絢美に嫁とはそういうものだと口癖のように言っていたそう。実際にも絢美のお爺ちゃんの葬式にもクソ姑は参列せず、絢美が参列したことを口を極めて罵ったそう。絢美は、

「もし旦那がエネ夫だったら離婚してた」

 エネ夫ってSDGs運動に熱心な夫かと思ったらそうでなく、エネミーから来た言葉だそうで、敵は内にありとか、獅子身中の虫ぐらいの意味で良さそう。もう少し具体的には、

「クソ姑がいたら旦那と共同戦線を張ろうと思うでしょ」

 バトルフィールドは家族、それも義家族だから夫は味方にしたいというより、絶対の味方と考えるよ。だって結婚するほど愛されているはずだもの。だけどエネ夫は嫁姑問題に消極的なんだって。それだけでも腹が立つけど、

「段々にクソ姑側に姿勢が傾き、最後はクソ姑の熱血同盟者として本性をさらけだす。つまりはママン命のマザコン息子だってこと」

 虫唾が走る。絢美はエネ夫のことを子執着クソ姑とマザコン息子の悪魔合体と言うぐらい。ついでのようなものだけど、

「小姑が極度のブラコンでクソ姑・クソ小姑・マザコン息子の極悪同盟だってあるそう」

 なんだそれ、地獄の黙示録みたいな家族じゃない。そう言えば義両親と言えば舅もいるはずだけど、

「うちは完全に空気だったな」

 絢美が言うにはクソ姑になるような女はヒステリックなのが多いんじゃないかって。夫婦生活でも自分が気に入らなければヒステリックに喚きまくるから、いつしか触らぬ神に祟りなしの空気に成り果てたんじゃないかと見てた。

「ああいう夫婦が熟年離婚とか老年離婚するのじゃないのかな」

 長年の憤懣が爆発するパターンかもしれない。絢美のとこの義両親もカメ君が絶縁状態になった後に離婚も見据えての別居状態になってるとか、なっていないとか。とにかくクソ姑の存在は害悪でしかないのは良くわかる。


 ここでの問題は、どうやったら義母がクソ姑であるかを見分けるかになる。クソ姑でも親への挨拶段階からその本性を見せるのもいるそう。それでも結婚への熱に浮かれて見過ごしてしまうケースも多々あるそうだけど、

「後から徐々にはお手上げだ」

 絢美のところも親への挨拶、結婚式、新婚生活のスタートまでは問題なかったそう。そこまでは世間体みたいなもので、無理やり息子ちゃんラブを猫被って抑え込んでいたぐらいかもしれない。

 新婚時代って夫婦生活の中でも一番甘い時間を過ごすはずじゃない。そこには未婚の明日菜だって夢は持ってるぐらいだもの。けどね、新婚夫婦のラブラブぶりを見せられるのがクソ姑に取ってはトリガーになるそう。見せられれば見せられるほど、ひたすら嫁憎しの憎悪の炎を燃え上がらせて行きって・・・堪忍してよね。

「クソ姑の理解不能の思考回路だけど、嫁は不倶戴天の仇敵だけど、孫の顔、それも男孫が欲しいと言うのはあるのよ」

 なんだよそれ。絢美も孫産め、男産め、早く産めでイビリ倒されたそう。三年子無しは去れとか、孫は跡取りの息子に限るとか、娘なら堕ろせとか。

「ああそうだった。子どもをいつ作るかなんて夫婦で決める事だと言っても、それこそ馬耳東風だったよ」

 憎悪してイビリ倒し、離婚させようとしている嫁に孫要求って理解を越えすぎる。無理やり理屈を付ければ孫だけ産ませて叩き出したいぐらいになるのだろうけど、

「それぐらいかもしれない。普通の親なら新婚生活が順調に過ごせているか心配するし、仲が良ければ安心するところじゃない」

 ウンザリ気分しかなかったけど、クソ姑はこの世に一定確率で存在するのは間違いない。しかしそれを結婚前に見抜くのは至難の業だとしか言いようがない。それこそ結婚でクソ姑に当たるか当たらないかはロシアンルーレットみたいなもの。

 クソ姑に当たっても、カメ君みたいに敢然と嫁のために戦ってくれる夫なら救われるけど、悪魔合体のエネ夫だったらジ・エンドだ。そりゃ、離婚したら良いようなものだし、今どきバツイチへの風当たりはそれほど強くない。

 だけどだよ、結婚するにもエネルギーがいるけど、離婚なんてもっとじゃない。この歳からそんなリスキーな事業に手を出すのは無謀な気さえする。ビジネスならハイリスクだけどハイリターンとも言えない案件だよ。だって結婚で得られるリターンってなによ。独身で気楽にいるのに勝るものがある気がしないよ。