ツーリング日和18(第4話)バー

『カランカラン』

 木製の重々しいドアを開けたらいつものカウベルがお出迎えだ。今日も混んでるな。なんとかカウンターに割り込んで、

「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」

 なに飲もうかな。失恋のヤケ酒だからそれに因んだものが飲みたいけど思いつかないな。えっと、えっと、そうだラスティ・ネイルにしよう。

「ラスティ・ネイルですか・・・承りました」

 ラスティ・ネイルとは錆びた釘って意味だし、イギリスのスラングで古めかしい物って意味もあるとか。スコッチとドランブイをステアしてレモンのゼストを飾って出来上がりぐらいで良いはず。

 来た来た。チビチビやりなながら今日の挨拶をまた思い出してた。ああなってしまった理由は他にもあるんだよ。健一には弟がいるのだけど、子どもの頃は弟ばっりが可愛がられていたそう。それぐらい可愛げがあって、頭も良かったと健一も言ってたな。

 頭が良いと言っても子どもレベルの話で小知恵が回る程度だったのだろうけど、どこか不器用なところがあった健一はかなり冷遇されていたとか。中学で出会った健一は影の薄い陰キャだったものね。

 健一はアリスと同じ高校には進まず、さらに大学進学もせずイラスト専門学校に進んでる。これは健一がイラストの道を目指したのもあるけど、弟の出来が良すぎたのもあったみたいだ。つまりは大学進学費用を出すのを渋られたぐらい。

 イラストなんてヤクザな道に進んだ健一は親からも完全に見放されるようになったぐらいかな。もっとも親に見込まれた弟だって、東大とか、京大どころか、港都大も合格せず、三浪してやっとこさ三明大だってさ。

 三明大だってそんなに悪い大学じゃないけど、その辺で弟さんの能力の限界と言うか、甘やかされて変なプライドばかりが高くなったツケを払わされるようになったで良いと思っている。

 卒業して就職してもプライドの高さと能力とのギャップに苦しまされたみたいで、就職退職を繰り返し、今ではすっかりニート状態になってるとか。一方の健一はイラストレーターの道への挫折を乗り越え業界有名企業の専務だ。

 そうなると親も現金なもので社会的に成功している健一にすり寄り始めたって話だよ。聞きながらハズレ親とか毒親って言葉がアリスの頭に浮かんだぐらい。なんか口に出すにも嫌だけど、健一の親にしたらカネヅルに成長した長男にまとわりつく害虫にアリスは見えたんだろうね。

 健一もそんな親への態度は・・・今から思えば微妙だった。一度見放された親だからガッチリ距離を置くって感じじゃなかったんだ。どういえば良いのだろう。それでも親だから見捨てられないと言うか・・・

『カランカラン』

 相変わらず繁盛してるな。

「席を詰めてもらっても宜しいでしょうか」

 あいよ。

「アリスやないか」
「徳永君とラブラブやってる」

 ありゃ、コトリさんとユッキーさんだ。

「一人でどないしたんや」
「わかった、マリッジブルーでしょ」

 マリッジブルーに近いけどブルーじゃなくてブラックだよ。そこから今日、健一の親に結婚の挨拶に行った話をしたら、

「そないな対応されたんかいな」
「だからチェリーブロッサムじゃなくラスティ・ネイルなのか」

 チェリーブロッサムはこのバーの伝説みたいなもので、愛し合う二人がこのカクテルで乾杯すれば幸せになれるだ。

「あの話か。あれは半分以上はウソや」
「でもないよ、最後はシオリが乾杯したじゃない」
「うるさいわ」

 おいおいコトリさんはこのバーのチェリーブロッサムの伝説に関わったとでも言うのかよ。それから徳永家の内部事情の話になったのだけど、

「徳永君は誠実な男や。たとえハズレ親でも、毒親でも育ててもらった恩は返さなあかんと思うてるだけちゃうか」

 そういうところはあるのは認めるけど、

「それだけじゃない気もするな。寂しかったんじゃないの」

 どういういうこと。

「子どもの頃は弟さんばっかりに愛情が傾いてたんでしょ。そういう親子関係は完全に絶縁になることもあるけど、どこか寂しさを残す事もあるのよ。弟さんが沈没して自分に目を向けてくれたのが嬉しいとか」

 ずっと自分の方を見て欲しかった願いが叶ったってやつか。でもそれって、

「ああそうや。いかに言い飾ろうが親離れしてへんってことや」
「そこまで言うのは酷じゃない」

 でも健一の親への態度はどこか嬉し気な部分もあったものな。

「親離れ、子離れと言うけど、縁切りとは違うのよ。親子の縁はやっぱり濃いのよ。アリスだって自分の親を大切にしたいぐらいはあるでしょ」

 そりゃ、ある。育ててくれた恩をアリスなりに返したいぐらいはあるもの。それがたとえ花嫁姿を見てもらう程度でもだ。

「親離れの試金石でわかりやすいのは結婚やろ。結婚相手と自分の親とでどっちを大事に思うかや」

 なるほどね。マザコン息子は妻より母親だって言うものね。男が生まれてから最初に接し、一番長く関係を深く持つ女が母親かもしれない。そんな母親より自分が愛した女を上に置けるようになるのが親離れかもね。健一はどうなんだろう。

 あの挨拶の席で気になったのは健一の態度もあったけど、健一の母親の態度も気になった。自分の息子の嫁を値踏みするのはああいう場ではありかもしれないけど、あれは値踏みを超えて敵視しているように感じたんだよね。

「子離れ出来とらん親かもな」
「最近多いらしいよ」

 最近多いかどうかは置いとく。そんな女親は昔からいるから嫁姑は犬猿の仲になりやすいって言うじゃない。嫁姑問題も一時は消滅しそうになったとも聞いた事がある。これは結婚しても同居しなくなったからとも言われてる。

 犬猿の仲でも同居さえしなければ戦争勃発までならなかったぐらいかもしれない。ところがまた風向きが変わったらしいのよね。

「医療福祉問題やな」

 嫁姑が同居せずに暮らしても姑の寿命が先に来る。平たく言えば病気になるのだけど、かつてはそうなれば入院して病院でそのまま死んでいたそう。ところがそれでは医療費がかかり過ぎるから、

「自宅で介護する時代になってもた」

 親の介護とか、親を看取るもかつてはメリットがあったそう。そうすることによって跡継ぎであると認められ、いわゆる家財産を受け継げるってやつ。

「そんな苦労してまで受け取りたい財産を持ってる親なんてそうはいないよ」

 これまた真理だよね。結局は行き場がなくなった親を、親子の切れない縁で息子夫婦が介護することになるけど、

「親だって将来の事を考えるじゃない。自分が弱った時の介護まで計算に入れて嫁を考える時代になっちゃったぐらいかな」

 そこまでドライな話じゃないにしろ今の時代の側面かもしれない。自宅以外に施設介護の選択もあるけど、

「あれかってゼニ次第や」
「ああいう施設はとにかくピンキリが大きすぎる」

 加えて言うなら集団になった老人はより扱い辛いんだって。どうしたって柔軟性に欠けるし、

「認知かって入って来るやんか」

 暗い話ばっかりだけど健一の両親、とくに母親の態度は、

「専務になってゼニ持っとる徳永君に老後はおんぶに抱っこされたいぐらいやろ」
「そのために母親の愛情オーラを放ったのをアリスも感じたんじゃない」

 そんな気がする。そんな時にマスターがやってきた。ラスティ・ネイルは空だものね。

「次はなにを飲まれますか?」
「ブルームーン」

 それを聞いた二人が、

「あちゃ」
「せめてギムレットにしなさいよ」

 あんまり変わらないじゃないの。ギムレットは遠い人を想うもあるけど、長いお別れって意味もあるもの。

「そやけどブルームーンは叶わぬ恋やで」

 そう叶わなかった恋。