恋せし乙女の物語(第25話)あれから

 さすがに落ち込んだ。だってだよ明日菜はロリータとして見られ、明日菜のロリータ性に発情したロリコン変態野郎の獣欲に奉仕し、あまつさえそれを明日菜は真実の愛と勘違いしていたんだよ。

 さらに明日菜だって歳を取る。歳を取ればロリータじゃなくなってくる。そうなった明日菜は捨てられ、ロリコン変態野郎はロリコンの真の恋愛対象である正真正銘のロリータとの愛に目覚めたって冗談にもならないじゃない。

 自己嫌悪の塊になりそうだっけど、とりあえず部屋からペドフィル野郎からもらった服から何から全部捨ててやった。あまりの多さに千秋もあきれてた。

「こんなもの良く着てられたね」

 服だけじゃないよ。服に合わせてのトータルコーディネイトにも嬉々として励んでたもの。それと引っ越しだ。明日菜が通うのが殆どだったけど、ロリコン変態野郎が来たこともあったんだ。

「ベッドも捨てちゃうの」

 当たり前じゃない。部屋でやったこともあるし、そのベッドの上でヒーヒー言わされてるんだよ。千秋は優しいよ。なんだかんだと言いながら付き合ってくれたし、愚痴もトコトン聞いてくれた。助けられたと思ったもの。もっとも、

「貢がされなくて良かったね」

 ついでに言えばロリータファッション以外の変態行為もそれほど受けなかったかな。これも千秋に言わせると、

「ロリコンにはロリータ崇拝も含まれてることが多いらしいからね」

 下草を剃られたのと、あれぐらいで終わってくれた。下草も復活中だ、

「間違い探しにしか見えないけど」

 言うな。いくらこん畜生と思うほど薄くて小さくとも女の誇りなんだから。

「こういう時は口直しが一番よ」

 言いたい事はわかるけど、そうは行くか。これで男性不信にならなきゃ、おかしいだろ。男なんかチンポでしか考えない性欲野郎としか見えないんだよ。これでも男が欲しいなら淫乱だろうが。

 だから仕事に打ち込んだ。女はね、仕事が出来てこそ一人前なんだよ。この仕事は明日菜に向いてるみたいで、打ち込んだだけの成果は出てくれた。二十八歳で主任に昇格だ。この辺は会社によって肩書は変わるけど、主任は管理職への第一歩になる。主任から先は、

 係長 → 課長補佐 → 課長代理 →課長

 こんな感じで出世街道が続くのだけど、二十八歳で主任は遅くない、うちの会社的には早い方になるぐらい。主任になれば部下も出来るのだけど付けられているあだ名が、

『男嫌いの風吹主任』

 ほっとけだ。男は・・・さすがに二年もすれば癒されている部分は正直なところはある。でもどんな男なら良いのか見えなくなってる。そりゃ、社内にもイケメンはいる。女だからイケメンに魅かれないのはウソになるけど、そのイケメンに痛い目に遭ったのは深刻すぎるトラウマだ。

 イケメンにトラウマがあるからと言ってブサイクに走れるようなものじゃない。ここも妙な先入観がありそうだけど、イケメンが性格が悪くて、ブサイクが心優しいみたいな図式には必ずしもならないのよ。

 容姿のコンプレックスを妙に強く抱き続けると、性格まで歪んでしまっているのは確実にいる。容姿が良くてチヤホヤされて性格が歪むやつは知られてるけど、悪くても起こるってこと。

 だけどね、人に好意を抱く入り口はやはり見た目だ。言うまでもないけど見た目がすべてじゃないし、見た目で魅かれても性格最悪男は骨の髄まで経験してる。それでも見た目が良くないと好意すら始まらないよね。

 見た目のハンデを跳ね返せるのは人柄になる。人柄に好意を抱くには、それなりに距離を縮める必要があるのよ。けど今の明日菜は男性不信があるから、ある一定以上に近寄らせないし、近寄ろうとも思わない。つまりは人柄で好意を抱く段階になりようがないってこと。


 ここまでは明日菜側の内心の事情だけど、他の要素も強く出始めている。いくら本人が若いつもりでも、明日菜だって今年で二十九歳になるんだ。つまりはアラサー女に分類されてしまっているってこと。

 だから仕事に生きる女でも良いかなって思い出しているところはあるのはある。キャリア・ウーマンってやつ。これはお局路線じゃないからね。つまらない男を無理やりゲットするのもシンドイじゃない。

 だけどそれを邪魔するのがいる。それも、まさに後ろから撃たれまくっている。誰が撃ってるかって、お母ちゃんだ。

「もう二十八だよ。いつまでも若くないのだから」

 言われなくとも知っとるわ。

「心配なのよ。彼氏ぐらいはいるのでしょ、家に連れて来なさいよ」

 だからいないって、

「いないなら、良い人がいるのよ。一度会ってみなさいよ」

 アラサー女の見合い相手に出て来る男なんてロクな奴がいるものか。

「そう言うけど。良い人よ。それに会ってみないとわからないじゃないの」

 ああ、もう、とにかくウルサイ。結婚するのなら自分で見つけるって言っても、

「見合いだって出合いの一つよ。仕事場で探すより良いかもじゃない。会ったら案外もあるはずだし」

 もうそれこれこそあの手この手で鬱陶しいったらありゃしない。だけど母親は好意の塊で心配してるから無碍に出来ないじゃない。これでも育ててもらった恩ぐらいは感じてるし、親孝行の一つぐらいはする気だってある。

「だったら孫の顔を見せてよ。老い先短いんだから」

 ピンピンしとるやろうが、百まで生きるわ。

「百まで生きたら明日菜だって七十を超えるじゃない。もう孫なんて産めなくなってるよ」

 あのね、七十越えて出産なんてギネス記録にどうして挑まなくちゃならないのよ。そういう例えじゃないでしょうが。毎日じゃないけど、定期的に電話は来るし、家にでも帰ろうものなら、これでもかってお見合い写真が積み上げてある。こんなの見てると男もあぶれてるって痛感する。

 まあ見合いだって出合いの場の一つであるのは理解する。大昔なら見合いに出席するどころか、見合いの話が持ち込まれただけで逃げ場がなかった時代もあったみたいだけど、今はそんなことはなく、気に入らなければごく普通にお断りできる。

 強いて言えばメリットもある。あくまでも強いて言えばだけど、見合う二人の心構えが違う。あれって目的がクリアだから、見合った瞬間から恋人じゃなく、結婚相手としてどうかの品定めをやってるのよね。

「ちゃんとした人だよ」

 うるさいぞ。これも広い意味のメリット。少なくとも社会的には結婚できるだけの収入がある人になっているのはある。相手にもよるけど、それなりの社会的地位を持っている事も多いはず。

 さらに言えば、そこで結婚を認めれば、後の話はスムーズと言うのもある。そりゃ、見合いの場に出席させてるぐらいだから、二人の結婚を家族が認める認めない云々のもめ事には無縁のはず。

 もちろん良いことづくめではない。親が選んできた相手と言うのは気が乗らないなんてものじゃない。なんで自分の結婚相手まで親に世話されなきゃならないんだよ。これは相手の男だってそうで、自分で見つけたいはずのにどうしてノコノコお見合いに出て来るんだの話にもなる。

 明日菜との年齢的釣り合いにを考えると三十前半ぐらいの男が中心になるはずだけど、そこまで売れ残って、なおかつ自分で探せそうにない男って事になるじゃないか。もちろん全員がそうだとは言わない。

 明日菜みたいに親から圧力かけられまくって、義理だとか、やむなく出て来てるのもいると思う。だけど比率としては、どこかに難あり、訳あり物件が高いに決まってる。

「明日菜だって、そうなりかけてるじゃない」

 うるさい。明日菜の事はほっといてよ。難あり、訳あり女になってしまってるのは負い目なんだから、

「まだまだ若いって思ってるかもしれないけど、明日菜だって今年で二十九だよ。これが三十路に入ってしまったらお相手が減るよ」

 二十九じゃないまだ二十八だ。自分の娘の誕生日ぐらい忘れるな。二十九と二十八では大違いなんだから。

「そんな事を言ってる間に二十九になっちゃうじゃない。三十だってすぐに来るのだから急がないと」

 ええい、うるさい。

「スーパーだって夕方になれば値引きになるじゃない」

 あのね、自分の娘の結婚をバーゲンセールみたいに言うな。