文化財のトップランクは国宝になります。国宝にもあれこれジャンルはあるのですが、建築物もあり222件あるそうです。この国宝建築物ですが、関西人にとっては珍しいとは言えないところがあります。国宝建築物ぐらい京都や奈良に行ったらゴロゴロあるぐらいの感覚です。実際のところはどうかですが、近畿2府4県の国宝建築物は、
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滋賀・・・・・22件
京都・・・・・51件
大阪・・・・・5件
兵庫・・・・・11件
奈良・・・・・64件
和歌山・・・7件
この辺は飛鳥時代から文明の中心地だった名残に過ぎませんが、関西人なら国宝建築物ぐらいはゴロゴロある感覚の裏付けぐらいになると思います。
のぢぎく県の国宝建築物は11件ですが、そのうち5件は姫路城です。他は、
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太山寺本堂
浄土寺浄土堂
一乗寺三重塔
朝光寺本堂
鶴林寺本堂
鶴林寺太子堂
これでも歴史好きですから、体が動くうちに見ておくべきだと思い立ち見に行くことにしました。とはいえモンキーで行くには少々ハードルが高いところです。クルマなら阪神高速から第二神明、さらに加古川バイパスなのですが、どれも自動車専用道ですから走れません。
だからバイクでツーリングを始めてからも避けてたのです。小型バイクじゃなくても、バイクでツーリングとなると都市部の下道は嬉しくないですからね。そういうハードルを乗り越え見てきました。
本堂 | 太子堂 |
鶴林寺も古刹で、創建年代はwikipediaには、
創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼり、聖徳太子が当時物部守屋に迫害されて播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために秦河勝に命じて建立させたという。
これも確認しようがない伝承のようですが、史実として確認されるものとしてはwikipediaより、
創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。
ただこれもwikipediaからですが、
推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされ、聖徳太子と播磨には何らかの関連があったとみられている。
史実は史実みたいなのですが、聖徳太子が得た播磨国の水田は太子町の鵤荘と考えられ、鵤荘は姫路の西側の太子町になり、播磨と太子の関連は史実でも鶴林寺との関係はどうかぐらいです。もっとも鶴林寺が古くは四天王寺聖霊院となっていたので『何らかの関連』があったのは肯定します。
それと単純な算数ですが、水田百町とは江戸時代の千石相当ぐらいになります。法華経の講義料としては高そうですが、飛鳥時代と江戸時代でも米の価値とか変わりますから、どれほどの価値だったのだろうを考えると興味深いところです。
とにもかくにもこれで県内の国宝建築物はすべて見れたことになります。だからどうしたぐらいのお話ですが、個人的には達成感に満足しています。