シノブの恋:次の週末

    『カランカラン』

 来てみた。今日もカウンターはいっぱい。一つだけ空いてた席に座って、

    「モヒートお願いします」

 これはこの店の名物カクテル。先代のは絶品だったけど、二代目にもその技はしっかり受け継がれてる。でも伊集院さん来てないな。やっぱり座興だったのかも。そうは上手く恋は舞い降りてくれないか。マスターがモヒート持ってきたんだけど、

    「お待たせしました」
    「マスター、先週シノブが話していた人を覚えてますか」
    「ええ、時々来られますよ。いつも静かに飲まれてますが、専務と話が弾んでいるのを見てビックリしました。

 ここでマスターにシノブが専務であることをバラさないようにお願いして、

    「どんな方ですか」
    「私も詳しくはないのですが、小児科の先生みたいで、結構有名な人らしいですよ」

 前に学会の流れかなんかで来たみたいで、一緒に来ていた人がかなり持ちあげていたみたい。

    「港都大ですか」
    「ええ、そうです」

 ホンモノの医者だったんだ。疑ったわけじゃないけど、確かめられて嬉しい気分。そうこうしているうちに隣の席が空いた瞬間に、

    『カランカラン』

 来てくれた。

    「遅くなってすみません。ちょっと仕事が・・・」

 座興じゃなかったんだ。本当に来てくれた。伊集院さんはジン・リッキーをオーダーしたからシノブもジン・トニックをお代わりに、

    「カンパ~イ」

 遅くなったことを謝ってくれたけど、シノブは約束を守って来てくれた方が百倍嬉しい。

    「・・・歴史好きと言ってもミーハーじゃダメですよね」
    「とんでもないです」

 伊集院さんが言うには歴史の楽しみ方は一つじゃないって。学者並みに本格的に勉強するのも楽しみの一つだけど、それだけじゃないし、それが格上ってわけでもないって言ってくれた。

    「そんな堅苦しいこというから、歴史嫌いが増えるのです」

 歴史好きは趣味であって仕事じゃないんだから、自分が好きな方向で楽しめば良いし、それで恥じる必要ないなんてまったくないって。

    「そうですね。名所旧跡巡りをやった時に、そこの謂れを理解できて、楽しめるぐらいの知識があれば十分すぎると思います」

 なんかハードルが高そうと思ったけど、

    「それほどじゃなくて、たとえば聖徳太子ゆかりって書いてあって、聖徳太子が誰かまったく知らなかったら面白味が半減するでしょ」

 それもそうだ。知らなかったらタダの古い木造建造物とか、タダの石だもんね。

    「伊集院さんの楽しみ方は?」

 学者の研究は凄いとまずしてた。専門家だから当然だけど、あのレベルまでやるのは趣味じゃ無理だって。そりゃそうだろ、

    「でも、専門家はテリトリーが狭い時があるのです」

 学者も研究で食ってかないといけないから、ある領域を深く深く掘り下げて研究する傾向があるみたい。だよね、日本史だけでも二千年近くあるんだから、そのすべての領域の専門家なんて無理だろうし。

    「ボクは広く浅くというか・・・」

 伊集院さんは『俯瞰的』って表現を使ってた。興味のあるところを少し引いて見て、新しい見方が出来ないかをムックするんだって。なにか聞いてるだけでおもしろそう。

    「歴史って、学校の教科書レベルでは決定事項みたいに書かれてるけど、実際はわからないところが多々あるんですよ」

 わかる、わかる。コトリ先輩と山本先生のムックがそうだった。桶狭間の合戦だって、梁田政綱が酒盛りをしている今川義元を見つけ、信長が奇襲して討ち取った話が、いかにウソっぽいかムックしてたものね。あんな感じのムックならシノブも大歓迎。

    「色々教えてください」

 そしたら、ちょっと困ったような顔をして、

    「教えてもらうだけじゃツマラナイよ。一緒に考えて、あれこれ可能性を考えよう」
    「でも私じゃ・・・」
    「あははは、学校の授業は歴史常識を丸暗記するものだけど、ムックは歴史常識を疑うところから始まるんだ。そこには常識にとらわれない発想が大事なんだよ」
 歴史常識を疑うのが出発点か。そうよね、そうじゃなきゃ単なる歴史講義だものね。コトリ先輩が山本先生と一の谷をやった時は、源平武者の基本戦術から始まったって言ってたっけ。

 鉢伏山のハイキングだって、わざわざ歩いて登ったのは、騎馬武者がこんなところを通れないのを実感してもらうためだって言ってた。だからロープーウェイじゃダメだって。シノブもそんなムックが出来るかも。

    「とりあえずだけ、雑談だけじゃムックにならないからテーマを決めよう」
    「なんですか」
    「これは最近手を付けたばっかりなんだけど、富士川の合戦」

 富士川の合戦って、頼朝討伐に向かった平家軍が水鳥の羽音に驚いて逃げちゃったやつだけど。

    「それが歴史常識だけど、違う見方も出来るんだ。次の時は準備しとくね」
 シノブも準備しとかなきゃ。