ツーリング日和14(第19話)九里半街道

 歴史ムックツーリングとなってるけど、ホントにノンビリしたツーリングだ。でも助かる。やっぱりタンデムのツーリングは気を遣うし、本音を言うと疲れるのよね。神戸から敦賀に走った時からヤバイと思ってたもの。

 やっぱり250ccじゃ無理があるし、タンデム走行にも慣れてないのもある。というかさぁ、バイク乗りでタンデム走行が大好きなんているのか疑問だもの。そりゃ、ゼロとは言わないけど、タンデムも時に可能ってのがバイクじゃないかとユリは思うもの。

 それにだよ、コトリさんたちとはツーリングをしたことはあるけど、下道専科と言いながら、結構どころじゃない距離走るんだよ。こっちが高速で走り抜けてるところを、平然と下道で走ってしまうと言えば良いのかな。一日に二百キロぐらい当たり前みたいな感じ。

 あれをタンデムで付いて行くのは大変だと思っていたけど、これだけ休憩と言うより途中下車してくれると助かる、だって敦賀を出発してまだ美浜だよ。これぐらい下道で走っても三十分ぐらいで走れる距離だもの。

 この辺はコトリさんの歴史趣味の爆発に加えて亜美さんへの講釈をたっぷりやっているのもあるのはある。もっともあの話をどれだけ理解して楽しめているかは置いとく。それを言えばユリも怪しいなんてもんじゃないけどね。

 この辺なら三方五湖に近いはずなんだけど、さすがに見えないか。あそこにはレインボーラインもあって行きたい気持ちはあるだけど、

「悪いけどパスや。亜美さんの課題に協力したって」
「コトリがそうしたいだけでしょ」

 道は南に向いてるのだけど歩道橋を潜った時、そこに地名表示があったのだけど、

「コトリ、この辺が気山なの」
「そうみたいやな。ようこんなとこに回り込めたな」

 なんの話だろう。道は佐柿からずっと国道二十七号。一部は変わってるだろうけど、ほぼ丹後街道だって。お昼ご飯を食べたドライブインから三十分ぐらいのところで川を渡ってすぐぐらいのところで、

「次の信号左や」

 ガソリンスタンドの先の信号だな。道路案内に国道三〇三号ってなっていて、他にも道の駅若狭路熊川宿まで五キロってなってるよ。熊川って信長が泊った熊川なんだろうか。信号を曲がるとまたコトリさんはバイクを停めて、

「国道二七号が丹後街道やけど、こっちの国道三〇三号は九里半街道やねん」

 九里半街道って話に出てたな。

「今津に行く道や。小浜から今津まで九里半やからそう呼ばれたらしいわ」

 小浜から今津って、そうか鯖街道か。

「塩鯖は今津まで運んでへんと思うわ」
「鯖街道って昭和になってから付けられたみたいだけど、若狭街道があるのに西近江路を遠回りする必要ないもの」

 でも今津なら、今津なら、そうだ琵琶湖の水運を使っての大量輸送、

「あのな、大量輸送になるほどの塩鯖を運ぶのは陸路やぞ。それにやで、大津で陸揚げしてもまた京都まで陸路で運ばなあかんやんか。時間も手間もかかりすぎるわ」
「そうよ。それだけの輸送体制を組もうと思ったら大きな商売になるけど、小浜には塩鯖長者の話なんか残ってないもの。塩鯖を運んだのは行商人で良いはずよ」

 だったらどうして今津への街道なんか。

「江戸時代なら年貢米を大坂に運ぶルートに使われた時期もあったよ」
「もっとも西回り航路が発展して来たらポシャったらしいけどな」

 それは、大坂で米相場が確立した秀吉時代の後の話じゃ、

「ユリもさすがやな。年貢米輸送より前に九里半街道は成立しとる」
「聖地巡礼のためよ」

 聖地って映画とかアニメの?

「西国巡礼や。三十三か所巡りは聞いたことあるやろ」

 那智大社から始まるやつだけど、こんなところにあったっけ、

「二十九番札所の松尾寺は舞鶴やねん。そこから丹後街道で小浜に来て、九里半街道で今津に行って」
「舟で竹生島、そこに三十番札所の宝厳寺があるの。ちなみに三十一番札所の長命寺は近江八幡にあるけど、竹生島から舟で渡っていたらしいよ」

 まさに物見遊山だ。西国巡礼は驚くべきことに十一世紀頃から始まっているんだって、庶民にまで及んだのは十五世紀以降みたいだけど、こうやって巡礼道まで成立してたんだ。

「それとやけど九里半街道は今津にも行くけんど、途中で朽木に向かう道に分かれるんよ。これが小浜と京都を結ぶ若狭街道や」

 なるほど、なるほど、九里半街道は若狭と京都を結ぶ大動脈だったんだ。ところでだけど、若狭の中心ってどこなんだ。

「小浜や。古代の国府もあったし、金ヶ崎の退き口の時代やったら守護の若狭武田氏の後瀬山城もあったで」

 江戸時代にも若狭小浜藩があって、敦賀まで支配してたのか。それからコトリさんたちはしきりに山の方の方角を確認しながら、

「あの辺が瓜生城のはずや」
「じゃあ、膳部山城ってあの辺かな」
「ナビやったらあの辺になるけどな」

 その城はなんだと聞いたら、

「信長公記にな、二十二日若州熊川松宮玄蕃の所にて御陣宿てなっとるねん。松宮玄蕃は熊川の城主でもあったけど、本拠地は瓜生城とも膳部山城ともなってるねん」

 あれだな九里半街道を支配した豪族か。

「そうなるわ。逆に言うたら松宮玄蕃の協力があらへんかったら若狭にも入られへんことになる」

 これぐらいで出発。九里半街道は左右に段々と山が迫って来る道だけど、リバーサイドロードでもあるのよね。

「あれは北川や」
「小浜に流れ込んでるよ」

 そうなのか。それにしても味もそっけもない名前の川だな。コトリさんが講釈してくれた交差点から五分ぐらいで、

「熊川宿って書いてある駐車場に入るで」