ツーリング日和14(第18話)北国街道

 そうそう北国街道だけど、あれも不思議なのよね。あれって木之本から今庄に行く道なんだけど、

「あそこはややこしいねん。コトリも勘違いしとったぐらいや」

 敦賀があるから古代から官道もあったそうだけど、京都から西近江路、つまり湖西を北上して海津から山中越だったらしい。

「そこから木の芽峠を越えて今庄の方に行くんよ」

 近江から敦賀は山中越以外にも塩津街道、さらに柳ケ瀬から刀根越のルートもあったのだけど、

「山中越も、塩津街道も、刀根越も同じとこに集まって来るからそこに古代は愛発関があったんや。朝倉家時代なら疋檀城があった」

 説明が長いけど、

「うるさいわ」

 近江から福井平野の方に出るには、すべて敦賀経由で木の芽峠を越えなければならかったって事らしい。でも現在の北国街道は、

「柴田勝家が北陸担当になるんやが、木の芽峠を越える敦賀経由のルートは不便と判断したでエエやろ。勝家にしたら安土への近道が欲しかったんかもしれん」

 信長からの突然の呼び出しとかありそうだものね。もたもたしてたら大目玉みたいな。

「そやから今庄から栃の木峠、椿坂峠を抜けるルートを切り開いたんや」

 ちなみにとしてたけど、賤ケ岳の合戦の時は北の庄からその道で南下して来たはずだって。そうなると、

「あの当時に北国街道の呼び名があったんも怪しいと思うてる。あれは勝家が栃の木峠ルートを作ってから出来た気がするねん」

 この辺は信長が安土に本拠を置いた影響は大きいんじゃないかって。勝家は北陸担当だけど、本拠地である安土との単なる連絡路だけの意味じゃなく、補給物資や、さらなる援軍が必要な時のルートとして整備したんだろうって。

 これも歴史の可哀想なところだけど、北陸の勝家も有名じゃないけど大活躍してるそう。さすがに謙信相手では分が悪かったみたいだけど、景勝の時代になると内紛もあった上杉軍を押しまくり、

「加賀から越中まで占領して越後の春日山城を窺う勢いやってん」

 上杉家が生き残れたのは本能寺の変のお蔭みたいなものだとか。

「秀吉の中国攻めに匹敵する成果やと思うで」

 それだけの活躍をすれば北国街道も賑わい、もともとの木の芽峠越のルートはローカルなものになり、北国街道がメインルートとして定着したんだろうって。でもそれは時代こそ近いものの、信長が浅井や朝倉とドンパチやってた時ときっちりずれてるのか。

「今から昭和三十年代を実感持ってもらうのは難しいんよな」
「そもそも、今の人にネットがない生活を想像してもらうのが大変すぎる」

 コトリさんに言わせると北国街道の話ぐらいは、ググれば見つけ出すのは可能としてる。というか、ネットがあれば見つけ出せない情報の方が少ないかも。そりゃ、専門的なディープなものなら無いかもしれないけど、

「スマホがあったら辞書いらんもんな」
「そもそもだよ、信長公記の原文みたいなのが転がってるのが驚異じゃない」

 日本だけでなく、世界中の図書館とか、博物館が所蔵作品のアーカイブ作って争うように公開してるもの。昭和の三十年代となるとネットなんかSF小説にも出てこないぐらいだったらしい。

「コンピューターかって箪笥ぐらいの大きさで」
「今のパソコンどころかスマホの足元にも及ばないよ」

 そういう中で資料集めをしようとすれば、

「古本屋で買い集めるか」
「図書館もねぇ」

 古本屋となると費用がバカにならないし、図書館だって今みたいに全国の図書館が蔵書をオンラインで探せる時代じゃない。

「全国オンラインどころか、自分とこの図書館かって図書カードで管理しとった時代や。そやからベテランの司書さんやなかったら、そもそもあるかどうかもわからんことが多かったんちゃうか」

 この辺は第二次大戦の影響も大きくて、あれは昭和二十年に終戦となるけど、日本の主要都市だけでなく、中クラスの都市まで空襲を喰らったんだって。そこで燃えちゃった資料もあるだろうし、

「食うために流出してもたんもあるはずや」

 これはユリも写真で見たけど、東京なんて完全に焼け野原みたいだったもの。そこから復興が始まって二十年も経ってないのよね。

「これは管仲の時代から一緒で、衣食足りて礼節を知りや」

 とにかく生き残るために、どうやって食べるかの時代がようやく終わったぐらいの感覚かな。さらに言えば図書館で資料が見つかってもこれをコピーするのも大変だったとか。ゼロックスが普通紙複写機を発売したのが一九五九年だそうだけど、

「日本でどこでも当たり前のように普及したのはだいぶ後だよ」
「最初の頃は文房具屋さんのコピーサービスで、一枚コピーするのに百円ぐらいやったはずやで」
「百円と言っても喫茶店のコーヒーが一杯百円の時代だよ」

 今でもコピーが一枚百円なんてトンデモ価格だけど、当時の百円なら今の五百円ぐらいかもしれない。これだって手書きで写す手間を考えれば当時的にはペイしたのかもしれないけど、ある程度の枚数をコピーしたら、相当な金額になったはず。

 だからもしコピー機があっても、費用節約のために筆写をやるのが当たり前だった気がする。学生なんかとくにそうだったはず。それだけ時代が違うから、今ならネットでひょいと知ったり確認出来る事が、

「時間とカネをかけへんと出来へんかったでエエと思う」

 司馬遼太郎は歴史に関係する小説で才能を発揮したけど、ちゃんとした歴史を踏まえた小説を書くには資金不足があったのかもしれないな。

「伝奇小説とか、忍者小説やったらフィクションが主体やから、その辺がエエ加減でも誰も気にもせん」

 おそらくとしてたけど、流行作家になりおカネも出来て、さらに次の作品もヒットする自信が出来て、あれこれ資料を集めて駆使できるようになり、

「あれこれ調べて書くようになって時代小説から歴史小説に移行したんやと思うてる」
「それでも根っ子に時代小説があるから、あれだけ史実を踏まえながらも飛躍が出来て、その部分がおもしろいから大流行作家になったんだよ」

 なるほどね。

「晩年でもあったよね。アームストロング砲への過剰な思い入れとか」
「鉄砲も過剰評価しとるとこがあるわ」

 鉄砲と言えば、これが出現したことで山城が一挙に旧式化したとするのがあったはず。手筒山城があっさり落ちたのも鉄砲の効果だよね。

「アホ抜かせ。そんなに鉄砲が強力やったら、日露戦争の二〇三高地であれだけ苦戦するか!」

 それはさすがに時代が違い過ぎる。

「ユリと会津若松城に行ったやんか。あの城が官軍の何に苦戦したか忘れたんか。飛び道具はなんでも撃ち下ろす方が有利なんは鉄則や」

 それはそうかもしれないけど、鉄砲が出現してから、山城が減ったのは事実のはず。

「そんなもん不便やからや。国吉城に行ったやろ。あんなとこに暮らしたいと思うか。思わへんから麓に屋敷を作ってるやんか」

 それはそうだけど、

「城のトレンドと大名の経済力アップで説明出来てまうで」

 山城にするのは天険の利用で良いと思うけど、大名の経済力は平地の城に人工の要害を作れるようになったと考えるのか。言われてみれば平地に作ると言っても、小高い丘に作ったり、目を剥くような高い石垣を作ったりしてるよね。あれは高さの有利さを利用するためか。

 トレンドって何かと思ったら城下町の建設の事か。あれは、やっぱり安土城の影響は大きいだろうな。城の傍に城下町を作ろうと思えば、山城じゃ不便だもの。あれかな、司馬遼太郎は銃器に詳しくなかったとか。

「詳しくないどころかプロよ。学徒出陣で徴兵されて、日本でも最精鋭部隊と言われた満州の関東軍のしかも戦車隊の車長だよ」
「終戦の時は陸軍少尉やぞ。実際に鉄砲撃って、戦車動かして大砲ぶっ放して、下士官の訓練もされてるんや」

 虎の子の戦車部隊として温存されて実戦経験はないそうだけど、

「本土決戦のための配備中やった」
「もし本土決戦なんてあったら生き残ってなかったでしょうね」

 へぇ、それじゃ、銃器どころか軍事の専門家も良いところじゃない。訳のわからない事って多いもんだ。

「そういうこっちゃ、そんな司馬遼太郎でさえわからんとこが出てくるのが歴史や」