ツーリング日和3(第11話)小谷

 関が原で適当に昼飯食べて次は小谷城や。途中で姉川渡ったけど、あの橋の左右ぐらいが姉川の古戦場跡やねん。川を渡って浅井朝倉軍が襲い掛かった地や。さてまずは小谷城戦国歴史史料館や。こういうのん好きやねん。

「これは大きな城だったのね」
「そやから信長も手こずっとる」

 あんだけの山城は攻め寄せるだけで大変やからな。ここで耳よりの情報を聞いたんよ。小谷城は歩かんと登られへんと思とってんけど、

「番所跡までの伊部林道は登れますし、駐車場もあります」

 週末に臨時バスが走る日はアカンそうやけど今日は金曜日や。これは行かなアカンやん。さらに番所跡から本丸まで十分ぐらいと聞いて行ったで。お茶屋跡から、

「馬洗い池って、今でも水があるじゃない。これって泉よね」

 馬屋跡があって、赤尾屋敷跡。ここは長政が自害したところや。桜馬場跡の先が黒金門跡。さぞ頑丈な門があってんやろ。その先が大広間跡で、

「ここが本丸ね」

 ようこんな城が落ちたもんや。

「でもさぁ、鉄砲が登場して山城は旧式になったんじゃなかったっけ」

 そんなはずあらへんやんか。飛び道具かって打ち下ろす方が絶対有利や。それにやで見下ろす側は相手が丸見えになるけど、見上げる側は逆や。山城は防御施設としては旧式化しとらへん。

 旧式化したんは、山の上に住んで統治するスタイルやろ。山城は登り下りするだけで難儀やからな。そやから麓に屋敷作って統治するように変化したぐらいやろ。攻められたら山城に籠るスタイルや。

 そうしたら普段使わん城の維持が困ったんちゃうかな。大名の経済力のアップもあったと思うけど、麓の屋敷を要塞化したんやと思う。そやけど少しでも防御能力を持たせるために、たいがいの城は小さな山に築かれとる。

「そうよね。攻められる側に見下ろされたら守る方は苦労するもの」

 古代エレギオン包囲戦で、あの三十メートルの大城壁を超える攻城塔を作りやがったのはビックリしたもんな。あれにどれだけ苦労させられたことか。

「どれだけ死んだかわからないぐらい」

 城も含めた要塞方式が廃れたのは鉄砲やなくて大砲や。鉄砲で石の城壁は崩せんけど、大砲なら崩せるようになってもたんや。そびえたつ壁なんか大砲の餌食になるだけやからな。

「トドメは爆弾ね」

 第二次大戦までは要塞はあったけど、セバストポリ要塞はドイツの巨大列車砲に撃ち砕かれとるし、マジノ線も突破されてとる。核兵器まで登場した時代に要塞は意味なくなったよな。

「秀吉が長浜に根拠地を変えたのは」
「信長と一緒やろ」

 秀吉も大坂城を始めとしてたくさん城を作っとるけど、城の価値がどんだけのものかもよう知っとる人間や。城は守るだけでは勝てんとな。

「籠城戦も戦略の一環だものね」

 籠城戦やなくてもそうや。戦略の無い合戦は死ぬばっかりで無駄や。とくに籠城戦は、そうさせられる立場に追い込まれた戦略的敗北状態でエエと思う。籠城戦に追い込むのが戦略やし、籠城戦に追い込まれんようにするのも戦略や。

「戦略で負けた浅井は、これだけの城に籠っても滅亡してるものね」

 籠城戦は心理的な要素も大きいんよ。アカンと感じたら裏切りが出てすぐ落ちる。誰かって死にたないからな。戦国武者も勝ち戦に乗れてこそエエ思いが出来るのが常識や。

「そこも大きいよね。防御戦は消耗するだけものね」

 兵士は御褒美をアテにして戦っとるねん。御褒美の原資は負けた方からの戦利品や。そやけど防御戦は、なんも手に入らん上に戦費だけ消耗するねん。わかるかな、受け身の戦いばっかりやっとったら、それだけで国が衰えるんよ。

「だから信長も秀吉も籠城戦なんて念頭になかったのね」
「それでエエと思う。奇襲された時に凌げれば必要にして十分ぐらいやろ」

 それでも信長が安土城、秀吉が大坂城を築いたのは権威のアピールと、落そうとしたら、どれだけの大軍が必要かで相手をビビらすためや。

「浅井三姉妹も数奇な運命だよね」

 長女の茶々が淀君になり、三女の江が秀忠の正室になったのは有名やからおいとく。派手は長女と三女の間の次女の初も結構なもんやねん。初が嫁いだのは京極高次。名家の末みたいとこやけど、高次の母が長政の姉やってん。つまりは従兄妹婚や。

 夫の高次は当時一万石。それからあれこれあって、関が原の時には六万石、さらに大津城籠城戦の功績で若狭一国をもらい九万二千石までなっとる。

「大坂冬の陣の時にも初は活躍してるのよね」

 冬の陣の講和にも尽力して高次の子の忠高は出雲石見二十四万五の大名になってるねん。

「長女や三女に較べると地味だけど、これだけ活躍した戦国期の女性は少ないよ」

 晩年の権威は凄かったと思うわ。大坂冬の陣講和の立役者やし、その功績で京極家は二十四万石の大名になっとるし、

「トドメは将軍家御台所の姉だよ」

 誰も逆らえんかったんちゃうかな。

「でもさぁ、やっぱり茶々の功績が大きいのじゃない」
「やっぱりそう見えるよな」

 浅井三姉妹は信長の妹のお市の方の娘や。お市の方は本能寺の変の後の清州会議で勝家に嫁いどる。この時に秀吉が欲しがったが蹴り飛ばしたとも言われてるし、勝家を宥めるための秀吉の策謀とも言われとる。

「両方じゃないの」

 勝家は賤ヶ岳で敗れ北ノ庄で自害するけど、お市の方は秀吉には屈せず共に自害。浅井三姉妹にとって父の実家の浅井家は滅亡、母の実家の織田家もガタガタなんよね。サバイバルの手段は、

「剃髪して尼になるのが当時ならメジャーだけど」

 秀吉の側室になるのをOKしたでエエやろ。秀吉はそこから一気に天下人になったんやけど、茶々も秀吉の寵愛を受け取るから、浅井三姉妹の強力なバックアップになってくれたんと見れるんよ。

「天下人秀吉の愛妾の妹だから引く手あまたになったぐらいよね」

 この辺は秀吉にほとんど子が出来へんかったのもあるから、秀吉の広い意味での縁続きみたいな感じやった気がする。

「姉ちゃんが守ってやるみたいな感じかな」
「コトリはそんな気がする」

 茶々もあれこれ後世に言われとるけど、あれかって家康が作ったもんが多いと思うで。豊臣家も大坂夏の陣で滅亡してまうけど、秀吉の死後の豊臣家を支え続けたんは茶々や。それも相手は家康やで。あれだけ茶々が貶されとるのは、

「家康にとっても手強かったんでしょうね」

 きっとそのはずやねん。とくに関が原後は、豊臣家から人はおらんようになってしもとる。そりゃ、三成以下の忠臣団は根こそぎやられとるし、落ち目の豊臣家より徳川家に流れるわ。そんな頼んない連中を率いて家康と対峙しとったからな。

「どうして、そういう視線で歴史ドラマを作ってくれないのかな」
「男が作るからやろ」

 証拠がないっつうのもある。そやけどな、通説、通説ってされてるんも、なんとなく通説が多いんよ。そりゃ、歴史は結果はあっても、過程の記録に乏しいと言うか、抜けまくってるとこが多いんよな。

 通説は点と点を結んで矛盾がないように説明しとるだけで、点と点の結び方は一つやあらへん。そりゃ、学者は事実を重んじるのは当たり前やけど、歴史ドラマなんかある種のフィクションやんか。こんなところでコトリが怒ってもしゃ~あらへんけど。そしたら和彦さんが、

「あのぉ、そろそろ行きましょうか」

 つまらんかったかな。

「いえいえ、そこまで歴史に詳しくないもので」

 しもた。オタク丸出しにしてもた。失点や。