ツーリング日和3(第10話)信長と家康

「三成はそんなに人望が無かったの」
「そんなことあるはずないやろ」

 関が原時点でも家康の権勢は随一やった。信長、秀吉と回り持ちされた天下は次は家康で衆目は一致していたで良いはずや。そんな家康に盾ついて、あそこまでの大軍を関が原にかき集めた三成に人望が無いはずあらへんやろ。

「そうよね。でも今の三成のイメージは」
「誰がそう記録したかや」

 秀吉死後に家康の権勢が大きくなり、次の天下は家康の空気があったのは事実として良いと思うねん。そやけど権勢に伴うぐらいの人望があったかは疑問や。むしろ乏しかったんやと思てるねん。

 そんなもんがあったら、秀吉後の天下は放っておいても家康に転がり込んで来るやんか。関が原みたいな決戦があったにしても、家康軍が反家康軍を圧倒的な兵力で踏みつぶす展開になるはずやねん。

「でも家康の良い人物だったのエピソードは遺されてるよ」
「それだけしか無かったんかもしれんで」

 関が原になってしもたんは、そんだけ家康に人望が乏しかった証拠と見た方が良い気がするねん。逆に三成の人望は家康さえ凌駕するものがあったかもしれん。そうやなかったら、おかしいやんか。

 三成は家康に較べたら笑うほどの小大名や。合戦は強く見える、勝ちそうな方に乗るんが鉄則や。身上も小さい、人望もない三成の策謀にあれだけ西軍が参加するのが不自然過ぎるで。

「なるほど。だから後世への記録としては、三成は鼻もちならない小才子になり、家康は人望厚い名将になったのだね」

 徹底的に貶しても否定できないのが三成や。つうか貶せば貶すほど、そんなロクでもない人物に関が原で神君家康が追いつめられたか説明が苦しくなるぐらいや。まあ、それでも家康のプロパガンダは成功しとるわ。三成のイメージはユッキーが思うように定着しとるからな。

「信長は家康をどう見てたのかしら」

 織徳同盟は戦国時代で一番強固な同盟やったし、これが機能したからこそ信長は東を気にせず西に飛躍できたと言える。そやけど信長が家康を全面的に信頼しとったかと言えば疑問や。むしろ警戒しとったでエエと思う。

「どうしたって器は見えるよね」

 信長は家康の勢力が大きくなるのを極力避けようとしたでエエはずや。家康かって今川や、さらには武田との対決があって苦労しとるけど、信長は援軍なんか殆ど送った試しがあらへん。逆に金ヶ崎の退き口の時も、姉川にも平然と投入しとる。

 桶狭間で大きく勢力を落とした今川はともかく、武田ぐらいに滅ぼされるのを期待しとった気がするねん。あの頃の家康単独では武田に勝てんからな。滅ぼされるは言い過ぎでも、もっと小そうなってくれるのを待っとったぐらいや。

 信玄の西上作戦も色んな謎がある、歴史マニアの間では、信玄に病がなければ信玄の天下が来たかもしれんと妄想するやつもおる。そやけど信長は負ける気なんか1グラムもなかったと思てる。

 信玄の動きに信長の反応は終始鈍いのは、信玄が家康を叩いて欲しかっただけやとコトリは思うねん。

「三方ヶ原ね」

 あん時に信長は浜松籠城を提案してるんよ。それを蹴って家康は三方ヶ原に臨むけど、これって信玄に浜松城を囲んで欲しかったがあるはずや。ここも家康が決戦を挑まへんかったら、信玄は浜松城を放置して西に進むとされとるけど、そんなアホな戦略があるかい。

 そりゃ、家康が信玄に屈したらちゃうと思うけど、反信玄勢力のままやったら、後方に巨大な不安要素を抱えることになるやんか。史実は三方ヶ原で家康が惨敗して浜松城に逼塞したけど、三方ヶ原無しやったら浜松城をなんとかするはずや。

 浜松城が落ちるかどうかはわからん。そりゃ、籠城になっても家康には信長の援軍カードがあるから頑張れるからな。信長の戦略は、信玄が浜松城に引っかってくれて、適当に消耗してくれて帰国するのでも狙ってたんやろ。

 これは武田軍も消耗するやろけど、もっと消耗するのは家康や。信玄かって浜松城を攻めるんやったら、遠江の家康領を切り取りまくるはずや。浜松城は落ちんでも、それ以外の遠江は全部武田になっとってもおかしない。

 結果として武田は大きくなるけど、それより家康が小そうなるのが信長の狙いの気がするねん。家康かってそこまで遠江を失ったっら三河に逃げ込まなしゃ~なくなるからな。下手すりゃ、武田は三河の切り取りまで手を出すで。

「武田が大きくなれば信長も苦戦するのじゃ」

 変らんやろ。武田が家康から奪った領地は新付や。すぐには戦力としてアテにならん。またすぐに裏切る可能性が高い連中や。この旧家康配下の連中の寝返り工作も信長の狙いやった気がする。

「えっと、えっと、家康から武田に移って、今度は信長になると」

 そういうこっちゃ。信長が信玄を蹴散らした後は、その連中が信長の家臣になるから、家康の持ち分は減ったままになる。

「でもでも、信長は勝てるの」

 勝つに決まってるやないか。この時点の信長の動員兵力がどんだけやと思てるねん。信玄の三倍ぐらいは余裕で決戦に投入してくるで。そのための時間稼ぎもやってるんよ。

「甲州兵は尾張衆の三倍は強いと言うじゃない」

 あれも大げさや。信玄と信長が率いてる軍隊は兵の質が違う。違うというより異質や。信長の軍団は兵農分離した純軍隊やねん。見ようによっては傭兵集団としてもエエやろ。要は戦争のプロ集団や。

 信長軍団の特徴は勝ち戦に圧倒的に強く、負け戦に脆いぐらいやろ。傭兵連中は御褒美があるのは勝ち戦の時のみってよう知っとるんよ。負け戦で踏ん張っても一文にもならんし、命だって危うくなる。命あっても物種やから一目散に逃げてまうんよ。

 そう言う特徴を信長は認めとるのがカギや。逃げても下っ端の帰参は鷹揚ぐらいや。そやから、織田軍は負けても建て直しが早かってん。募集したらなんぼでも湧いてきたイメージでエエやろ。

 そやから信長の戦術として大事なのは、自分の軍隊に負けるはずがないと思い込ませることや。そう思てる限りご褒美目当てに傭兵軍団は死力を尽くすからな。死力を尽くしてる間の織田軍団は武田兵と大差はあらへん。

 それと織田と武田には決定的な戦力の差がある。言うまでも無い鉄砲や。その差は十倍以上やと思う。戦場における鉄砲の運用の巧拙は、時代が下るほどはっきりしてくる。

「もしかしたら、信玄が長篠の練雲雀になってたとか」

 ありうると考えとる。だいたいやが、武田騎馬軍団言うても、千丁の鉄砲の轟音に耐えられるかはあるで。馬は臆病な動物やからな。


 信長の家康への態度で有名なのは勝頼が滅んだあとの甲州処分や。あれだけ最前線で武田に苦労した家康に与えられたのは駿河のみや。これで駿遠参の太守になり、かつての義元と同じ勢力になったと言えんことはあらへんが、時代が違う。

 信長は桁外れに肥大化しとる。さらにやで家康には伸びしろがあらへん。西は尾張、北は甲斐・信濃やけど全部織田や。だったら東になるけど、そこには北条や。ま、信長が生きとったら箱根に兵を進めさせられとったやろけどな。

「でも滅ぼさなかった」
「役には立つし、さすがに理由があらへん」

 駿河をもろうたお礼参りが本能寺につながるんやけど、信長の天下統一にはまだ時間がかかるんよね。中国攻めもこれからクライマックスやし、北条戦はこれからや。四国もまだ準備中やし、九州は中国・四国の後や。

 織田軍かって目いっぱい手を広げてるから、ここで家康討伐軍を送る余裕は信長にもあらへんかったぐらいや。たぶんやけど、九州まで征したら、返す刀で潰してまう予定やったんちゃうかな。それまでは北条戦で働いてもらう算段や。

「そうなりそうね」

 そうなるのが戦争やし、天下統一戦や。これは古代から同じで、

『飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる』

 天下が統一されたら良弓も猟犬も不要になるどころか、無用の長物になり果てる。

「秀吉も?」
「秀吉には切り札があるからな・・・」

 秀吉も警戒されてたはずや。それを言いだしたら光秀も勝家も一益もそうや。そやけど勝家と秀吉にはカードがある。あの二人には子がおらんのよ。この時代に跡継ぎがおらんのはデメリットやけど、おらんから安心される面はある。

 いくら有力重臣を排除する言うても、天下統一後を支えるスタッフは必要やねん。そやから勝家や秀吉は生き残れたかもしれん。その代わりに跡継ぎは信長の息子とか孫やろ。とにかくテンコモリおるからな。

「なんとなく、そうなりそうな気がするよ」

 すべては本能寺で終わってもたから、歴史ロマンとして楽しむだけやけどな。