ツーリング日和12(第11話)島前へのフェリー

 翌朝は宿でお弁当をあつらえてもらって西郷フェリーターミナルに。八時半出航のフェリーに無事乗り込めて、二階のオープンデッキで朝食。こりゃなんだ、風香は知っていて、

「爆弾おにぎりですよ」

 でっかい球形のおにぎりでビッシリと海苔が巻いてある。

「隠岐の岩海苔を軽くあぶって、内側に醤油を塗ってあります」

 こりゃ海苔が美味しいよ。具はこれなんだろう。

「爆弾おにぎりは具なしも多いのですが、こじょうゆ味噌が入ってますね」

 こじょうゆ味噌とは隠岐の自家製味噌らしいけど、隠岐には醤油蔵がなかったから、醤油代わりの万能調味料として広く使われていたそうで、隠岐でしか味わえないものだそう。パクパクと二つ平らげた。西郷から中ノ島の菱浦港まで一時間ちょっと。

 風香の年齢は今年で四十だ。そして事実上の引退状態になったのは三十二歳の時だったはず。つまりって程じゃないけど八年間の空白がある。女優時代にけっこう稼いでいたはずだから生活費に不安はなかったはずだけど。

「そうでもないですよ。人って華やかな暮らしになれてしまうと、そこから抜け出すのは簡単じゃないのです」

 それはわかる。女優と言うか芸能人の暮らしは華やかなものね。あれだって華やかに暮らせる人だけの話にだけど、見えてる部分はかなりのもの。

「それに人は憧れる部分もありますから、わたしたちは勧誘のための広告塔みたいなものです」

 それはちょっと違うと思うけど、結果的にそうなっている部分があるのは認める。東京の一等地の豪華マンションに住み、有名人と夜な夜な一流のレストランに行ったり、飲み歩いたり。あんなのみんなやってたの?

「人によりますが、多かれ少なかれやってましたよ。わたしたちに言わせれば仕事の息抜きみたいなものですが、他から見ればそうなります」

 神戸じゃさすがに見れないものね。

「ああそうや。行きつけのバーに来た最高の有名人はバルボンやったって話やもんな」

 あのねいくら何でも言い過ぎだよ。バルボンが来店したのは先代オーナーのしかもまだ若い時の話じゃない。というか、もう誰も覚えてないよ。

「そうか? 阪急ブレーブスの助っ人で、引退後は通訳で残ってブーマーの通訳もしとったやんか」

 三冠王のブーマーは覚えている人はいるけど、通訳だったバルボンは無理があるよ。いくらあの店だって、もう少し有名人は来店してるはずだよ。

「そういう自慢はせへへん店やもんな」

 有名人の色紙を飾るタイプの店じゃないものね。それでも神戸に女優も含めた芸能人が住む事なんか珍しいものね。もし出会えてもロケとかのついでぐらいだもの。

「ですがあれは女優業の収入があってのものです。それなしで遊び回っていたら、いくらおカネがあっても足りません」

 でも続けてしまうところはあるそう。引退したからと言っても人は忘れてくれないか。

「忘れられるのも悲しいですが、三田村風香とわかって、安居酒屋に行けないぐらいの役にも立たないプライドもあります」

 売れてる芸能人の収入は億単位だそう。三田村風香もそうだったはずだけど、それだけ収入があっても財をなした人は少ないそう。貯金でもすればすぐに一財産になりそうなものだけど、

「なんとなく、それが出来ない人が売れる感じがあります」

 かもね。そう言えば副業に手を出す芸能人もいるけど、

「成功した人は少ないですよ。たいていは信頼出来る人に騙されて借金の山が残ります」

 副業をやるにも誰かに任せなと出来ないけど、有名人に副業をもちかける人だって芸能人の資金と看板が目当ての人が多いはずよね。商売なんて片手間でウハウハなんて甘いものじゃない。風香にも副業やら、投資やらもちかけてきた人はたくさんいたみたいだけど、

「面倒なので手を出していません」

 賢明ね。じゃあ、ずっとプー太郎やってたの?

「普通の女の子をやってみたくなりまして」

 はぁ、よくまあそんな古い言葉知ってたものだ。その普通って何なの?

「恋をして結婚して家庭を持つです」

 えっ、結婚したの?

「引退して三年もすれば忘れられますよ」

 そ、それは・・・そうだ。芸能界の時計はとにかく速い。三年どころか一年でも忘れられそうになるぐらい。すぐに忘れられるから、誰もが必死になって居場所を求めるものね。どこかで露出していないと忘れられてしまう恐怖と戦っているのかもしれない。

 でも今日はソロツーじゃない。結婚したなら子どもが出来ていても不思議じゃないし、子どもがいなくても一人で旅行なんてそうそうは出来るものじゃないはず。

「結婚している時はそうでした」

 じゃあ離婚したとか。

「やっとです」

 芸能人の離婚率もまた高い。これもわかるところがあって、とにかく自分一人でも食べれる自信が強すぎるところがある。夫婦で奥さんの方が収入が多いなんてザラだもの。それに家事だって、

「そういう御夫婦多いですよ。世間のイメージの夫婦じゃなく、せいぜい同棲ぐらいの感覚でしょうか」

 さらに夫婦ともモテる。さらにエッチへの敷居が低いから、すぐに浮気に走るのも多いそう。

「芸能ニュース対策で入籍してる程度も多いです」

 芸能ニュースなんて昔からマッチポンプそのもので、付き合ってるとなれば熱愛報道から結婚まで追いかけまくるし、結婚すれば結婚したで離婚に追い込もうと必死になる連中だもの。一般人感覚のお付き合いなんてしてれば、パパラッチの餌食になるだけだものね。

「まあそうです。だから三年もすれば普通の結婚が出来ると思ったのですが・・・」

 あははは、どこが普通だ。青年実業家との玉の輿ってやつじゃないか。まあそれでも芸能人に較べれば一般人に近いだろうけど、

「あんな目に遭うなんて驚きました」

 青年実業家というより、オーナー企業の跡取り息子みたいだね。そういう家って妙にプライドが高いと言うか、家意識が強いのよね。とにかく嫁を迎えてすぐに求めるのが孫なんだよね。

「三年子無きは去れは覚えましたよ」

 そんな家じゃなくとも孫の顔を見たい親は多いのよね。それが家を守る意識が強くなればとにかく男孫を可能な限り早く求める。嫁の仕事は跡継ぎ息子を産むぐらいにしか考えてないぐらいのも少なくない。となると定番のも、

「ありましたよ。家柄は耳タコですし、女優なんかやってたアバズレはどれだけ言われた事か。まあ、アバズレはどこか当たってる気もありましたけどね」

 じゃあ、あれも、

「出ないはずないですよ。高卒、低学歴は枕詞みたいなものです」

 ステレオタイプの嫁イビリのオンパレードだけど、風香は元とは言え女優だ。あんな世界を生き抜いて来てるのだから、

「言わないで下さいよ。これでもイイ嫁キャンペインもやってたのですから」

 どれだけやったのやら。嫁イビリの基本は姑が夫の実母として問答無用のマウントを取っているところにある。そりゃ、イイ嫁キャンペイン中は取れたと思ったかもしれないけど、風香がいつまでも許すはずもない。

 嫁イビリでよくあるのは、姑が嫁の前以外は良い姑を演じりたり、嫁イビリが発覚しそうになっても誤魔化して周囲を味方につける演技に長けていたがあったりする。だけどね、相手は風香だよ。それこそ天使でも、鬼でも演じ分けられる。

「それなりにやりましたが・・・」

 実際のところを聞かない方が良いだろうな。それで姑をペシャンコにして夫婦円満に、

「ならなかったですね。やっぱりやってました」

 あちゃ、嫁姑戦争中に浮気とはね。

「と言うか、あの手のセレブの結婚への考え方がわかったぐらいです」

 ああなるほど。だから風香を嫁にしたのか。セレブの結婚ももちろんピンキリだ。それこそ政略結婚まであるからね。そんなセレブでも結婚は重視する。

「そやな。政治家の結婚に近いんちゃうか」

 セレブとなれば社交も重視され、そこには夫婦での出席は必須みたいなもの。そこに元有名女優の妻となれば外へは見栄が張れるのよね。風香に求められた役割は外への見栄と跡取り息子だけ。

「そうみたいでした。アホらしくなって離婚しようとしたのですが、なんて大変なものかと学習させられました」

 これもまたセレブの結婚の一側面で、離婚は体裁が悪いので避けるのはある。避けたいのなら嫁イビリなどせず、夫も奥さんを大事にすれば良いものを、セレブの常識として離婚はあり得ないから、浮気もやり放題みたいな感覚で良さそう。

「真面目に良い夫を演じてくれたら、いくらでも良い奥さんを演じてあげたのにアホです」

 そろそろ菱浦港に着くみたい。