ツーリング日和12(第10話)明日の予定

 風香との話が盛り上がり、明日から女三人のマスツーにしようって話になったのだけど、隠岐ってツーリングで回りにくいところがある。隠岐には今いる島後も含めて四つの島があり、ここまで来たら四つともツーリングしたいじゃない。

「もちろん、その気で来とるけど、どうにも効率が悪いねん」

 島後も半日しかツーリング出来なかったけど、

「島前も中ノ島をパスするのが多いわ」

 さらに言えば隠岐でも島前だけでツーリングを終えるのも少なくないそう。これはまず島前と島後のアクセスの問題がある。これは隠岐汽船のフェリーになるのだけど八時半と十二時五分の二便しかない。

 島前には中ノ島の菱浦港、西ノ島の別府港、知夫里島の來居港があるんだけど、島前の西浦から出るフェリーが菱浦港に着くのが九時四十分になる。そのまま中ノ島をツーリングすれば良いようなものだけど、

「ツーリングコースとツーリングスポットとしては西ノ島の方がエエねんよ」

 いくら小さな島と言っても中ノ島を二時間や三時間で走るのは難しいそう。だから菱浦で下りずに別府港から西ノ島のツーリングに向かってしまうのか。

「それとやけど、隠岐のツーリングで絶対に外せんのが知夫里島や。この辺は日程の関係もあるけど、西ノ島と知夫里島だけ走って終わるのが多いんや」

 加えていうなら知夫里島は人口五百人程度の小さな村で、食事や宿泊も困るところもあり、

「島前の内航船フェリーの便も悪い」

 だから七類港から先に知夫里島に渡り、その日のうちに西ノ島に渡るプランも多いのだとか。わたしたちと逆の回り方だけど、

「それもアリなんやが、そうすると島後がスケジュールが窮屈になる」

 時間さえあれば問題ないのだけど、言ったら悪いけど隠岐にそんなに日数をかけたくないのが心理か。じゃあ、中ノ島はパスするの。

「せえへん言うたやろ。歴女の誇りに懸けても外せるかい」

 そっちか。問題はそのルートで風香が同意するかだけど。

「宜しいですよ」

 そこからは宿のすり合わせになるけど、風香の予定はどうなんだ。

「隠岐には気まツーで来てますから」

 冗談でしょうが。女のロングソロツーで気まツーやる気だったとか。

「楽しそうでしたし」

 あの動画はね。でも、あんなもの鵜呑みしてツーリングしたら立ち往生するだけだよ。それにしても風香がツーリングとは意外なんだけど、

「あら見てませんか」

 えっ、それって悲しみのララバイだとか。あの映画は、まず男の主人公が悲劇に襲われる。それまで両親と妹の四人家族で幸せに暮らしていたのが、突然の交通事故で主人公だけ生き残ってしまうんだよね。
喪失感で腑抜けのようになってしまった主人公は引きこもり状態になってしまう。それでも立ち直ろうとして、かつて乗っていたバイクを引っ張り出してくるのよね。

「ああそやった。そやけど、バイクで走っても失った家族の思い出ばかりになり、いつしか思い出の展望広場に行くだけになってまう」

 そこで一人の不思議な女に声をかけられる。それが風香や。それから二人でツーリングに出かけるロードサイドムービー風になって行くのだけど、あれって実際に乗ってたの。

「スタントは使ったことがありません。大型二輪の免許を取っています」

 ひょぇぇ、そりゃ、バイクツーリングがメインになる映画だから、バイクに乗れないと困ると言うか、乗れないと出演できないと言うか。

「大型二輪に乗れれば役を取れるのですから、それぐらいは女優なら頑張りますよ」

 かもしれないけど、半端な商売じゃないよな。じゃあ、料理のシーンも、

「当然です」

 風香によると重機の操縦が必要ならその免許、船を動かすならその免許を取った男優までいるそう。そう言えばボクサー役で十キロだとか、十五キロのダイエットをしたのもいたとか。

「あれですか。痩せただけでは役になりませんから、ボクシングジムでひたすら鍛えたそうですよ」

 そ、そうなるよね。ボクサーならパンツ一つの姿を見せないといけないし、練習や試合のシーンだってある。

「この辺は映画作りのトレンドもありまして」

 映画撮影にCGが持ち込まれたのは二〇〇一年宇宙の旅とも呼ばれてる。その前もあったはずだけど、あれでCGが市民権を得たぐらいは言えると思う。CGも初期は大変な費用と手間とヒマが必要だったけど、コンピュターの進化は目覚ましく、

「すべての映画をCGで撮るのも可能となっています」

 CG全盛時代が続いていたのだけど、あれって見ようによってはアニメなのよね。別物と言えば別物だけど、生身の人間が演じていない点では共通してる。だから、

「実際に人が演じる映画が注目されるようになりました」

 そうだった。たぶんCGの方が絵としてはよく出来ているはずだけど、それよりも実際に人が演じてる方に人気が集まった感じかな。でもなんとなくわかる部分はある。映画って作り物の世界を映すものだけど、そこに本物の幻影を見たがるところは確実にある。

「そやったな。どんな迫力のある映像を作っても、あんなものはCGって言われてたものな」

 今だってCGは多用されてるけど、変な言い方だけどCGを使って無い方が評価が高い風潮がある。だけど、

「もちろんそうです。評価されるのはCGを使わなくても、CG以上の迫力のある映像を求められます」

 無茶言うななんだけど、映画もヒットしてナンボの世界だから、トレンドがそっちに流れればCGを使わない映画も作られる。

「仰る通りです。ですが、そのお蔭で俳優が食べれるようにもなっています。ですから役作りの苦労など大したものではないです」

 そういうことか。CGを上回る演技をしてこそCGに勝ち残れるぐらいか。いやはや大変な世界だよ。

「そう仰られますが、そういう世界で生きてみたいから飛び込んで来ています。そこに適合したものが生き残るのはどこの世界でも同じです」

 そりゃ、そうだけど、

「これだけは今も昔も変わりません。それが苦しいとか、辛いのなら他の職業を目指せば良いだけです」

 これが役者根性ってやつかもね。