ツーリング日和12(第28話)親王寺脚本

「ユッキー、やっと出来たで」

 さすが調査部だ。あのミミズののたくった親王寺監督の手書き脚本を文字起こし出来たんだ。あんなもの、いかに優れたAIを組み込んだOCRでも読み取れる代物じゃないものね。さて内容だけど、これって、

「そやな、幸せの黄色いハンカチの良く言えばオマージュ、悪く言えばパクリや」

 パクリというより劣化コピーじゃない。こんな脚本を本当に親王寺監督は書いてたの?

「直筆なんは間違いないわ。あんな悪筆、真似する方が難しいからな」

 御意。

「そやけど、晩年に書いとったかどうかは怪しいねん」

 どういうこと。あの判読不能の部分は脳梗塞の影響だったはずじゃない。

「親王寺監督が脳梗塞で倒れたのは事実や。そこからリハビリしとったのもウソやない。さらに言えば二度目の脳梗塞で再起不能状態になっとるのも確認できた」

 だからあんな字になったの説明だったけど、

「いや、あれは親王寺監督の普通の字や。誰かって急いで書いたら、字が乱れるやんか。たんにそれだけのことで脳梗塞とは関係あらへん」

 もうこの時代なんだからパソコンで書けば良いのに、

「その辺は手書きへのこだわりぐらいしか言いようがあらへん。あのクラスの才人のやること、考えることは常識では計れんからな。そやけど、脚本の字は晩年のものと見えんところがあるねんよ」

 字も年齢によって変化はあるはずだけど、

「コピーやから分析に限界があるけど、おそらくあの脚本はかなり若い時のもんや。それこそ幸せの黄色いハンカチをモチーフにしながらの習作やないかと見えるそうや」

 監督でも脚本に手を出しても良いし、世に出す必要がなければ、名作をモチーフにするのもありだ。本当に若い時に書いたものなら、そんな習作があってもおかしくないよな。でもだよ、そうなると風香はこの脚本をどこから手に入れたかになるじゃない。

「そこも引っかかってんよ。親王寺監督が最後にメガホン握ったんは十二年前や。さすがに歳やったからな。風香は晩年、それもごく最近に親王寺監督を訪れてこの脚本を手に入れたみたいなニュアンスで話しとったけど・・・」

 風香と親王寺監督の関係から、そんなに不自然と思えなかったけど、よく考えると不自然過ぎる。二度目の脳梗塞で親王寺監督は歩くどころか寝たきり状態で、自分で食事も摂れなくなっていたはずよね。

「それなりに意思疎通は可能らしいけど、まともに話せる状態やあらへんでエエみたいや。そんな親王寺監督に会って、脚本を手に入れるのは無理やで」

 となると脚本の執筆時期がかなり遡るのは間違いない。どれぐらい遡るかになるけど、風香が親王寺監督のこの脚本を入手できるチャンスとなると、

「コトリもそう思う。風香と親王寺監督が愛人関係やったんもホンマやろ。デビュー作に抜擢されたんもその関係なんもあるけど、続編の風香の扱いがどんどん重くなったのもその関係と見て良いはずや」

 それだけじゃない。あのアイドル映画の後に親王寺監督は自分の作品の脇役に風香を起用してるのよ。風香の主役を食い尽くす異名は、アイドル映画だけでなく、その後の親王寺監督作品で定着したはず。

「その頃の風香は親王寺監督の家とか、仕事場に入り浸り状態やったはずや。そりゃ、愛人やし、あの頃の親王寺監督は独身やったもんな」

 そこであの脚本を見つけ出して盗んだのか。もらった可能性も残るけど、親王寺監督だって駄作と思ってるはずだから見せもしないだろうし、

「ましてや映画化の夢を抱いとったら渡すもんか」

 それしか考えられないもの。ところで親王寺監督と風香の愛人関係はいつまで続いたの?

「悪いけど、はっきりせえへん。アメリカでサンフランシスコ物語を撮る頃には終わってるはずぐらいしかわからん」

 あれって風香がハリウッド進出を狙ってのものはず。作品として成功したし、オスカーも取ったけど、ハリウッド進出自体は人種の壁で挫折したで良いはず。そんな風香が日本に帰って来て撮ったのが、

「カンヌを取った、あの日をもう一度や」

 あれも良かったけど、あの作品って滝川監督じゃないの!

「そうや。あの滝川監督が風香を主役に起用したのに裏があると思わんか」

 プンプン匂い過ぎる。滝川監督の演出も独特すぎるところがある。とにかく男優や女優が作る演技を好きじゃない。だからどんな大物俳優でも主役になった映画は、

「あの日をもう一度ぐらいしかあらへんはずや」

 そうなると滝川監督と風香も出来てた。それはまあ良いとして、二人はいつから出来てたのよ。風香がハリウッドで燻ってる間は無理があると思うけど、

「あの二人の関係の始まりは初期のアイドル映画の頃と見たい」

 そっか、滝川監督は親王寺監督の助監督だったんだ。その頃から二股だったのか。それって、

「ああそんな気がする。滝川監督も伸し上がろうとしとった時期やんか。親王寺監督の手法を必死になって盗もうとしたはずや」

 だから風香は親王寺監督の習作脚本を盗んだのか。あの脚本は親王寺監督にしても若気の至りみたいなもので、恥しくて秘蔵していたはず。風香は秘蔵された脚本があるのを知り、よほど価値があると判断したぐらいだろう。

「風香が脚本を盗んだでエエと思うけど、滝川監督が親王寺監督から盗んだんは風香やろ」

 かもね。女としても盗んでいるけど、それより親王寺監督がいかにして風香を短期間で女優に育て上げたかのノウハウだ。これを会得したから、以後の滝川作品が花開いて行ったはず。だけど滝川監督だって、

「そうやねん。風香が表舞台から身を引いて、結婚した頃にはさすがに切れとるはずやねん。結婚するんやから、それぐらいの身辺整理はするやろ」

 しないのもいるけどね。下手すりゃ、関係を続けて托卵を企むのもいるけど、さすがに風香も滝川監督との関係は清算したと見るのは賛成。だけどさ、いくら関係を清算したって永遠の別れじゃないじゃない。

「そういう可能性もあるけど、そうやないと見とる」

 それはわたしも賛成。理由は簡単で、関係が復活したのなら親王寺脚本は不要なのよ。あれはある種の脅しで使っているはず。

「そのはずや。資金かってそうや。滝川監督が新作を撮るとなったら、集まらん方が不思議やんか」

 そうなるはず。やっと話が見えてきた。話はシンプルだ。風香は娘役を張るのに限界を感じて引退したで良いはず。そして安土の息子に見初められて結婚もしてみた。だけど飽きたんだろうな。そうなれば女優として復活になるけど、

「復活作は重要やんか。日本で確実にヒットが期待できるとなれば旧知の滝川監督や」

 だけどウンと言わなかったとみたい。これだって脇役に加えてくれぐらいなら考慮の余地もあったかもしれないけど、風香が求めたのは主役のはず。

「そんなに主役がしたいならゼニもって来いや」

 要は断っただけど、チャンスを隠岐汽船のフェリーで見つけたのか。

「それぐらいでエエと思うわ。これはタマタマやけどコトリもユッキーもファンやったやんか。風香にしたら鴨がネギ背負ってるように見えたんやろ」

 この首座の女神を鴨鍋にしようとは良い度胸だよ。どうせするなら次座の女神にしとけば良かったのに、

「あのなぁ、鴨鍋になりそうやったんはユッキーやぞ」

 些細なことは置いといて、

「どこが些細や」

 だから些細だって。どっちにしてもボールはこちらに飛んできてるってことだ。

「ああそうや」

 どうしようかな。映画製作にもかかわったこともあるけど、うちの本業じゃないのよね。幸い関わった二本ともヒットしてくれてモトは取れたけど、映画興行はリスキーすぎるところが多すぎる。いかに滝川監督作品でもコケない率が高いだけだもの。

「人の才能の限界やろうな。一度コケ始めると二度とヒットは飛ばん事が多いのが映画興行や」

 フランシス・フォード・コッポラがそうだった。

「コッポラは複雑すぎる」

 コッポラと言えばゴッドファーザーだけど、

「PART2まだしもPART3は苦しいで。もっと問題なのはゴッドファーザーシリーズの後や」

 地獄の黙示録か。あれは撮影現場が事実上崩壊していたで良いと思う。だから莫大な予算を費やしながらエンディングまで撮ることができず、撮影した分だけで編集して仕上げてしまった作品だものね。

「それでもヒットして、カンヌは取ったけどな」

 コッポラのトドメを刺したのがワン・フロム・ザ・ハート。この大失敗でコッポラは三度に渡る破産に見舞われることになる。

「コッポラって巨匠扱いされとるけど、ようよう見たらヒット作より駄作の方が多いで」

 わたしもそう思う。お世辞にも安定したヒットメーカーと言えないところがあるし、さらに良くないのはコッポラ臭が強くなるほどヒットから遠ざかるところもある。コッポラがぷんぷん臭いながらヒットしたのはゴッドファーザーシリーズぐらいじゃないかな。

 この辺は同時代のヒットメーカーだったスピルバーグやルーカスとの違いにもなりそう。もっともルーカスの成功と言っても、

「ああ、いつまで作るスターウォーズに支えられとる部分も多いわ」

 コッポラも良いように言えばスタンリー・キューブリックの系譜を引いてるのだと思うし、

「黒澤も同じ臭いはある」

 でも映画史に残る傑作を残してるのは間違いない。

「個人的にはルーカスの地獄の黙示録を見たかったな」

 らしいね。あれもルーカスが構想を温めていたらしいけど、先にスターウォーズを撮ることになり、

「コッポラがスターウォーズに口出しするのを嫌がって譲ったって話や」

 この辺も本当のことなんてわかりようもないけど、ルーカスも構想こそ温めていたけど、映画化に無理を感じていたのかもしれない。あの時代にもCGはあったけど、まだまだ技術的には発展途上でとくに昼間のシーンには無理があったはず。

「スターウォーズやったら宇宙やから暗いやんか」

 地獄の黙示録であれしか覚えていないと言っても良いぐらいの、ワルキューレの騎行に乗ってのヘリによる襲撃シーンだって実写だよ。

「どれだけ費用がかかったか怖いぐらいや」

 良し悪しは難しいけど、コッポラ時代の映画は製作費の高騰が上限に達していたところがあるかも。

「当時の特撮技術で撮ったっらちゃちいからな」

 現在はあまりのCGの多用が問題視されてるけど、スターウォーズなんか見てると上手いことCG時代に乗ってるものね。つうかルーカスはその辺の理解と利用が上手かった気がする。でもルーカスが撮ったら全然違う映画になってただろうな。

「結局撮らへんかったんちゃうやろか」