ツーリング日和12(第29話)折れない花

 あれからコトリと何度も相談したけど、映画は作る事にした。なんだかんだと言いながら女優である三田村風香のファンだったのは大きかった。ミーハーも良いところだけど、スクリーンの三田村風香を見てみたい欲望が抑えきれなかったのよね。

「ミサキちゃんは大反対やったけどな」

 その気持ちはわかる。名女優三田村風香ももう四十だもの。脇役として存在感を示すぐらいならまだしも、主役を張るとなれば無理が出てくる。主役もやはり旬があるし、映画興行で主役は誰かはヒットを大きく左右する。

 これだけのブランクがある女優を主役にした映画なんて無謀を通り越して、ドブにゼニを捨てるようなものまで言われたもの。わたしだって、コトリだって三田村風香、それもツーリング先で出会わなかったら一顧だにしてなかったはずだもの。

「シノブちゃんまで大反対で、会社からカネ出せへんかったもんな」

 冷静に判断すればそうなるのはわかるけど、映画ってね、そこに夢を詰め込んで追いかけるものだと思ってる。だからわたしとコトリの夢を追いかけさせてもらった。

「これも遊びや。カネは活かせるものに使ってこそのもんや」

 まず難関は滝川監督だったけど、

「なんか嵌められた気がするわ」

 だってだよ、どう読んでも駄作の親王寺脚本で、忘れかけられているアラフォー女優の三田村風香が主役の条件じゃない。渋られるどころか、門前払いされたって不思議無いじゃない。

「いくらエレギオンHDの社長と副社長がスポンサーでも、あないにあっさり引き受けてもたからな」

 あれは出来てるはず。あの二人が一度切れたのか、それとも実はずっと続いていたかなんか確かめようもないけど、今は完全に出来てるはず。それは二人の勝手だけど、

「滝川監督は脚本もってるで」

 そんな気がする。滝川映画の特徴は脚本無視みたいなもの。あれって映画を撮りながら脚本書いてるのと同じだもの。だから親王寺脚本と言いながら、まったく別の作品になっても誰も気にもしない。あれは滝川監督が三田村風香を復活させたい願望のための映画の気がする。

「どうもやが、三田村風香主演映画の企画を水面下で持ち込んどった気がするわ」

 三田村風香が主役の映画となれば、どこの会社だってミサキちゃんやシノブちゃんみたいな反応になるはずなのよ。だから企画としては暗礁に乗り上げ頓座寸前だったとして良いと思う。もしそのまま頓挫していたら、

「別に問題あらへんかったと思うわ。主役でさえなかったら、三田村風香の需要ぐらい作れるやろ」

 そこなのよね。あの企画のネックは三田村風香が主役になることに尽きるのよ。それがひたすらネックになりすぎるものだった。あれだけ風香を主役にしたがったのは風香の希望よね。

「他はあらへんやん。風香が主役で復活したかっただけや。そのために滝川監督を篭絡したんやろ。そやけど、さすがにアラフォーやってんやろな」

 そんな気がする。若い頃の風香なら、枕でいくらでもスポンサーをかき集められたはずなのよ。今だって風香は綺麗だけど、

「歳の壁は厚いな。どうしたって新進気鋭のピチピチギャルには及ばんとこは出て来るわな」

 なんとかコントロールできたのが滝川監督だったのかもね。

「本気かもしれんけどな」

 それも可能性としてはある。だけど何が本気で、なにが演技かの区別が付いているかどうかも疑問なところはある。風香レベルになると、その場、その場は本気になるだろうし、相手だってそうとしか見えなくなるとは思う。

 滝川監督だって風香の態度を本気と信じ込んでいるとは思うけど、風香の奥深い心の本音なんか誰にもわからないし、ひょっとしたら風香でさえわからないかもしれない。

「まあ、ヒットして回収できたから結果オーライや」

 良くできていたと思うもの。言うまでもないけど親王寺脚本で生き残ったのは登場人物の名前ぐらいしかない。

「それにしても、そのまま映画にしてまうとはな」

 あれって風香が脚本を書いたんじゃないかと思うぐらい。

「脚本はさすがに無理やろうけど、原案は提供しとるやろ」

 話は一世を風靡した女優が、引退して結婚、さらに離婚して再びスクリーンを目指すって話になっていた。ある種の復活物語だけど、

「安土のところが可哀想やった」

 だって女優復活のキッカケにしてたのは、旧家の嫁イビリだったもの。あれって実話なのか、そうでないのかは不明だもの。

「ロケ地を隠岐にしたのは聖地狙いやろな」

 生まれ故郷らしいからね。なんか凄いセットを組んでたけど、

「そのまま残して観光地化やろ」

 セット代でいくら必要だったことか。あんなものロケで済んでたはずなのに。それにしてもあの題名って、

「折れない花やろ。風香なんか鉄骨で出来てる花みたいなもんやのにな」

 映画では何度も、何度も折れそうになりながら、フィナーレで折れない花を体現するけどね。こうやってコトリと文句は並べてるけど、映画は満足してる。

「思うんやが、素の風香ってスクリーンの中だけちゃうやろか」

 そうかもしれない。もちろん、あれが素のはずがないけど、映画で演技している風香こそが素の風香と言われると納得しちゃう部分はあるのよね。そりゃ、あの時ほど心の中から笑い、泣くなんてないもの。

「そうやねんよ。笑うにしろ、泣くにしろ、これも変な言い方になるけど、余計な計算せんでエエもんな。あそこまで出来るから滝川監督も組む気になったんやろうけど」

 これも映画製作が発表された時から話題になってたもの。あれだけ役者が作った表情を毛嫌いする滝川監督なのに、どうして三田村風香を主役にするのだってね。これはスポンサーになったわたしたちまで痛くもない腹を探られたもの。

 そりゃ、三田村風香の映画を見たいからスポンサーになったし、主役が三田村風香なのは製作条件だったよ。でもさぁ、でもさぁ、誰が撮ってるのかって話になるじゃない。滝川監督は脚本を書き換えるだけじゃないのよね。

「そうや、製作発表時の主役が変るのは日常茶飯事やもんな。主役のはずが端役になったり、端役のはずが主役になったり、途中でいなくなったりさえある」

 だからビックリ箱なんだけど、滝川監督がその気なら風香の差し替えなんか朝飯前なのよ。これが嫌なら監督を降板させるしかないのよね。

「というか、そもそも起用せえへんわ」

 だけど風香は最後まで主役の座を守り、演技の評価は青天井だ。

「ヴェネツィアで滝川監督は銀獅子賞、風香はヴォルピ杯女優賞獲ってもたもんな」

 これで風香はアカデミー賞、カンヌに続いてヴェネツイアでも賞を取った事になるけど、ここまでの女優は日本ではいないはずだもの。というか取ると思うよ、あそこまで女優を出来るのは世界を探してもいそうにないぐらい。

「あの二人が結婚するとか」

 ないとは言えない。とりあえず結婚したら、当分は滝川作品で活躍の場を確保されるからね。だけどどうだろ。

「男と女の仲やからわからんけど、滝川監督が一番幸せなのは風香が愛人なり、恋人を演じてる時ちゃうやろか」

 なんかそんな気がする。そこから夫婦にまで進んでも実りなんてあるとは思えない。つうか風香みたいな女を妻とか、奥さんの枠内に留めさせようとするのが間違っている気がする。

「なんか賛成や。あれは人でも神でもあらへん、女優や」