ツーリング日和12(第24話)岩井温泉

 フェリーは境港に十三時半に到着。

「気合入れて走るで」

 境港から半日で神戸に帰れるはずもないから、少しでも西に移動して泊まりたいぐらい。鳥取の名湯と言えば三朝温泉だけど、

「もうちょい走りたい」

 羽合温泉とか東郷温泉とか。

「行きたいか?」

 う~ん、どれも行ったことがあるのよね。それにそんなところに泊ってたら、明日中に神戸に着かないもの。弓ヶ浜を駆け抜け、大山の麓の海岸線を走り、九号線をひたすら西へ、西へ。鳥取も通り抜けて、湯村まで行くつもりなの。

「湯村はさすがに遠いわ」

 そうそう風香はフェリーターミナルまで見送りに来てくれた。お昼に食べたのは、その時に持ってきてくれたお弁当だ。

「風香みたいなタイプの女は珍しいな。あれも変人でエエと思うけど、コトリやユッキーの役回りはどうされとってんやろ」

 コトリは知恵の女神でしょうが、それぐらいわからなかったの。

「わかるけど、わからんかった。ユッキーは風香の腹の底が見えたか」

 はっきりしないと言うか、あれが腹の底かどうかに自信ないよ。

「あれかって今の演技で見せてる腹の底かもしれん。ホンマのホンマの腹の底は、自分でもわからへんのんちゃうか」

 かもしれない。自然にそうなれるのが女優って人種かもしれないけど、風香までになるとありゃヌエみたいなものだ。

「風香はヌエやが、あそこまでのヌエは女優でも滅多におらんのんちゃうか」

 だよね。あんなんばっかりが女優だったら、映画界は魔窟のようなものだもの。もっとも風香に言わせるとそうだろうけどね。国道九号線の長い旅を続けていたら、

「今日はここや」

 これは岩井温泉じゃない。この温泉は山陰随一ともされる古湯なんだよ。清和天皇の頃に藤原冬久が開いたとなってるそうだけど、冬久って誰だ。

「閑院大臣と呼ばれた藤原冬嗣の子孫となっとるけど、岩井温泉にしか伝わっとらへん人物や」

 冬嗣は七七五年から八二六年の人で、清和天皇は八五八年に即位して八七六年に譲位してるのよね。だから冬嗣の子でも間に合わず、孫世代以降の人になるはず。藤原冬忠の次男説もあるそうだけど、この冬忠もまた不詳の人物なんだよね。

「創作の気がするわ。当時の諱を知っとったら、こんな名前を考えんやろ」

 時代が下るとその家で受け継がれる片諱が登場してくる。足利家の『義』だとか、織田家の『信』だとか、徳川家の『家』だとかね。でもそうやって片諱を受け継ぐ習慣が出来たのは遅いと見て良いのよ。

「源平の頃からちゃうか」

 平安貴族も片諱をそろえていたけど、あれって受け継ぐのじゃなくて世代でそろえていたんだよね。武家だって、

「源満仲の子はみんな『頼』がついとるけど、誰一人『満』も『仲』も受けついどらへん」

 もっとも伊勢平氏は違って、こっちは『盛』のオンパレードだ。だけど藤原氏で代々の片諱を受け継ぐ習慣は清和天皇の頃にはなかったか乏しかったはず。

「冬継の子かって、長良、良房、良方、良輔、良相、良門、良仁、良世で『良』の諱でそろえとる」

 よくそこまで覚えてるのに感心するよ。だから冬嗣の子孫で『冬』がつく親の息子に『冬』がつく諱は当時はあり得ないと見て良いはず。

「藤原系の貴族やったんかもしれんが、それ以上はわからんな。伝承では長者やったとなっとるが」

 これも伝承だけど冬久は故郷の京都の宇治にちなんで『宇治』と名付けて田畑の開墾をして宇治長者と崇敬されたとなってるからカネ持ちだったのかもしれない。

「そやけど貞観二年に温泉の評判が清和天皇の聞くところとなって、冬久に材木と土地を下賜したは怪しすぎるで。自分で作ったんやろ。長者やからな」

 というのもこの時に清和天皇は十歳なんだよね。冬久伝説はこの辺にしとくけど、岩井温泉は鎌倉末期に一度廃れてなくったで良さそうなんだ、埋まってしまったの伝承もあるぐらい。

「それを再興したのは池田光仲っていうから江戸時代の初期や」

 光仲は岡山の池田家の当主として生まれているけど、三歳で家を継いだから鳥取にお国替えになってるのよね。それでもって初めてお国入りしたのが一六四八年だから、岩井温泉の復活はそれ以降になる。

「岩井温泉は後醍醐天皇の時代に一度潰れて江戸時代に復活したぐらいや」

 ここもコトリは光仲が温泉を掘り返したのではなく、野湯として使われていたのを湯屋を作って入れるようにしたのじゃないかとしている。だよね、江戸時代にボーリングするなんて発想はないはずだもの。

「昭和九年に大火事があって衰えたとなっとわ」

 歴史はそれなりにあるけど、あまり栄えた温泉とは言い難いぐらいかな。現在は温泉街と言いながら二軒だけ営業しているそう。でも残ってる宿は立派じゃない。どちらも木造三階建てとは珍しいもの。関西ではここぐらいかも。

「隠岐には温泉あらへんかったから、これぐらいは泊っとかんとな」

 コトリも良く知ってるよ。今回のツーリングで唯一気に入らないところは、隠岐に温泉宿がなかったこと。それに実質で言えば奥津温泉しか行ってないものね。境港の温泉はちょっと無理があったもの。

 宿は数寄屋造りの純和風。これだけの宿がこんな鄙びた温泉街に残っているのに驚くよ。お風呂は源泉長寿の湯となってるけど深いねぇ、立ったままで胸まで浸かるもの。

「見栄張るな、首までやろ」

 ほっといてよ。座って入りたいから露天風呂の背戸の湯に。やっぱりさ、お風呂って座って入りたいじゃない。

「そやな。昔の風呂が深かったんは、よう知っとるけど、今どきには合わんとこあるもんな」

 あ~あ、これで明日もひたすら走り続けて帰るだけか。

「そう言うな。終りはな、次の始まりや」

 あら、ペシミストのコトリにしたら前向きじゃない。

「うるさいわ」

 料理は懐石だけど、

「酒は瑞泉や」

 これは岩井温泉がある岩井町にある蔵元だそう。まったりと食事を楽しみながら、コトリの見立ては、

「常識的には夢物語や・・・」

 仮に親王寺監督が健在でもあのシナリオで撮る映画にカネを出すのがいるとは思えないよ。親王寺監督の本当の構想はわからないけど、

「親王寺監督は名監督やが、脚本はあんまり得意とは言えんかったからな」

 これは貶しているわけじゃない。世の中には監督脚本を兼ねる人もいるけど、兼ねていない人の監督の才能が劣る訳じゃない。逆に兼ねたことで質が落ちたとされてる監督がいるぐらい。

「世界の黒澤の晩年やろ。黒澤は自分で余裕で脚本書ける人やったが、ある時期までは共同脚本にこだわとったからな」

 最高傑作とされる七人の侍だって黒澤と橋本忍、小国英雄の共同脚本だもの。これは黒澤が一人で考える弊害を良く知っていたからともされてる。だけど晩年になると黒澤が大きくなり過ぎて、共同で作業してくれる人がいなくなったのかもしれない。

「そやけど、あの爽快感のない歯切れの悪さがホンマの黒澤映画かもしれん」

 とくに影武者以降ね。なんとなく、それまでの黒澤映画の面白いところ、一般受けしていた部分は黒澤以外が編み出していた気さえするもの。そこが欠け落ちた黒澤だけの美学が出たのが晩年の作品群かもね。

 黒澤はさておき、親王寺監督の真価はシナリオじゃない。シナリオからどんな映画を作り上げるかなんだ。映画は原則としてシナリオに出来るだけ忠実に撮る。だからセリフをトチるNG集が出来たりする。

 だけどね、シナリオは原則としてテキストなんだよね。シナリオにはシーンの指定も書かれているけど、あくまでも文字での表現になる。脚本も兼ねていれば、シナリオを描きながらイメージするだろうけど、そうでなければ監督の想像世界になる。

「その点はとくに優れとるって評判やもんな。滝川監督が弟子やったんはようわかるわ」

 昔は映画会社が監督以下のスタッフを丸抱えしていたから、監督になるにも他の監督の下でスタッフ業務の下積みをやる徒弟制度みたいなものだったらしい。だけど今の監督はそんな徒弟教育はないだろう。

 だけど確実に滝川監督は影響を受けてるだけでなく親王寺監督の手法に深いリスペクトはありそうな気はする。

「もっとも出来上がった映画は似ても似つかんもんやけどな」

 絵の造りはコトリの言う通り別物だけど、それでも親王寺監督の手法を取り入れてるのは間違いない。取り入れているどころか、さらに発展させたとして良いと思う。

「そりゃ、滝川監督と言えばビックリ箱やからな」

 滝川監督とてシナリオを受け取って映画を撮るのだけど、とにかく手を入れまくる。

「あれ、手を入れるってレベルやないで。ほとんど書き換えてるやんか」

 だからシナリオと全然違う映画が出来上がり問題になるのだけど、とにかくヒットするから今ではビックリ箱としてあきらめられてるぐらい。だけど、それだけシナリオを書き換え改変してしまうのに、

「自分ではシナリオを手掛けへんのよな」

 映画業界の七不思議とされるぐらい。