ツーリング日和12(第22話)心残りの仕事

 宴も終わり、部屋に戻ってから、

「離婚の本当の理由はなんやねん。いや結婚の本当の理由とした方がエエか」

 えっ、それって普通の女の子をやりたいだったはずだけど。

「女神って本当に怖いってよくわかります」

 そこから話してくれたのだけど、

「親王寺監督をご存じですか?」

 もちろんよ。日本代表する名監督じゃない。細やかな人情を撮らせたら及ぶ者がいないって言われたぐらい。そんな作品が多いから国際的な評価はイマイチのところはあるけど、わたしは好きだった。

「そやけど親王寺監督は病気療養中やったはずや」

 そうだった。脳梗塞で半身不随になったはず。それでメガホンを文字通り握れなくなったはずだ。もっとも、さすがの親王寺監督ももう歳だから元気でも新作は厳しいだろうな。

「そうなんですが、脳梗塞で倒れられる前に新作、いや最後の作品の製作構想があったのです」

 風香も親王寺作品に出てたこともあったから、声がかかっていたのか。

「親王寺監督は本当の紳士でした」

 ということは、体を求めるタイプじゃなかったのか。珍しいかもしれない。でも映画を作ると言っても簡単なものじゃない。大雑把にはどんな映画を作るかの構想を考え出し、それが撮れるための資金やスタッフをかき集めるプロデューサー、構想を基に具体的なシナリオを書き上げる脚本家、脚本を映像化する監督ぐらいが根幹かな。

 この辺の役割分担も固定されたものじゃなく、プロデューサーが脚本や撮影まで細かく口を出すプロデューサー主導型の作品もあれば、監督が構想から脚本まで書いてしまい、プロデューサーは資金集めに奔走させられる作品もあるそう。親王寺監督は、

「監督の構想を基に脚本家に書かせるタイプでした。ですが最後の作品は御自身で書かれていました」

 じゃあ、脚本は出来てたの。

「八割ぐらいですが・・・」

 あらすじは野望に燃える男がいてあれこれ事業の手を広げて淡竹の勢いで次々に成功を収めて行く。男には妻も子どももいたけど、男は家庭を顧みず、ひたすら仕事に打ち込んでいた。

 そんな男に愚痴一つこぼさず尽くしていた妻だったけど、男の方は愛人を囲い、浮気も重ねていた。そんな男が大勝負に打って出る。それこそ社の命運をかけたプロジェクトだったのだけど無残な失敗に終わってしまう。

 なんとか挽回しようとするのだけど、一度狂った歯車はどうしようもなく、ついには倒産に追い込まれ、男は莫大な負債を抱え逃げ回る事になる。愛人からも見捨てられた男はせめて妻子に迷惑がかからないように離婚まですることになる。

 どん底にまで落ちた男だったが、あるキッカケから復活の手がかりをつかむことになる。そこからだけど、前回の失敗を教訓に堅実に、堅実に事業を大きくするだけでなく、慈善事業にも尽力するのか。

 だがまともや悲運に襲われる。信頼していていた部下が会社の運転資金を持ち逃げしてしまう。資金繰りに行き詰った男は、泣く泣く事業を閉じざるを得なくなってしまう。そんな時に思いだしたのが別れた妻子。

 男は離婚の時に必ず復活して迎えに行くとしてるんだよ。そのチャンスはあったのに、ついつい先延ばしにしてたんだ。でもすべてを失ってから、再び会いに行こうとするんだよ。

「そこで再会してハッピーエンドの話ですが、お聞きになった通り、これでは穴が大きすぎるお話です。監督はあれこれ肉付けをしていたはずなのですが、病魔に襲われてしまったのです」

 風香がオファーされていたのは娘の役だったそうだけど、

「さすがに年齢的に無理があるとお断りしていました」

 だろうな。それに行ったら悪いけど端役だよ。風香が断るのもわかるよ。

「監督は脳梗塞に倒れられてからも執念のリハビリを行い、シナリオが書けるところまで復活されています。先ほど八割と言いましたが、残りの二割もほぼ書きあがっています」

 だけど更なる悲劇が起こったのか。

「はい、もう監督の再起は無理です。これは一回目の時でも監督は無理でした」

 今は完全に寝たきり状態とはね。それって、

「見たいじゃありませんか。だから安土グループを狙ったのです」

 資金集めのためだったのか。だけど風香がどれだけ頑張っても映画事業への進出に首を縦に振らず、

「見切らせてもらいました」

 ふぅ、女優ってこういう人種なのかもね。だからと言ってエレギオンHDに頼っても、儲けにならない事業にはビタ一文出さないよ。

「シナリオあるんか」

 あちゃ、これって生原稿そのままじゃない。それも手書きじゃないの。

「クセが強すぎる字やで」

 はっきり言わなくても悪筆だ。それもだよ、書き足し、書き足しの上に、削りまくって書き直して、どう文章が続いているかもわからないよ。ちょっと時間をもらわないと解読なんてできない代物だ。

「そやな。たぶんリハビリ後に書いたとこやと思うけど、こんなもん字かいな。線が波打ってるだけやんか」

 ミミズがのたくってるとは、まさにこのことだ。これは誰かに解読させるのは可能だけど、誰が撮るって言うの。親王寺監督はもう撮れないじゃないの。

「はい、監督に撮ってもらいたかったのですが、さすがに無理です。ですから監督の愛弟子に頼もうかと」

 へぇ、親王寺監督の弟子だったんだ。弟子と言っても、助監督を何本かした程度みたいだけど、

「そう簡単には撮ってくれへんで。こんな危ないもん撮らんでも、いくらでもオファーがあるかならな」

 わたしもそうだと思う。それにシナリオの出来も悪い。風香が話したあらすじは風香が読めた部分のはずだけど、あそこから少々手直ししたぐらいで、どうにかなるものじゃない。そりゃ、親王寺監督は名監督だったけど、さすがにこのシナリオは歳だよ。

「言うたら悪いけど麒麟も老いては駑馬に劣るや」

 これを映画化する方が親王寺監督の名声に傷がつくと思う。幻のシナリオとしてそっとしとくのが正解だと思う。

「それにや。オファー断った映画やんか。なんでそこまで入れ込むねん」

 そうだよどこに出ようって言うの。娘役が無理なら妻役とか、愛人役とか。すると風香は、

「わたしのデビュー作が親王寺監督です。親王寺監督は無名のわたしを大抜擢して下さり、女優としての心構えのすべてを伝授して下さいました。今日のわたしがあるのは監督のお蔭です。この恩返しを是非したいのです」

 そうだった。あのアイドル映画は親王寺監督作品だった。親王寺監督だったからこそ、アイドル映画があそこまで質が高くなったはずだもの。それより気になるのは、

「女優の心構えのすべてって、それって・・・」
「女優としていかに仕事を獲れるかのすべてです。親王寺監督の引き立てで初期の頃の作品に出演出来ましたし、その演技を認められて今のわたしがいます」

 もしかして、

「知夫里島から出て来た小娘を立派な女にして頂き、それはそれは可愛がってもらいました」

 それって愛人だったとか、

「そうですよ。だからあれだけの成功と演技力が身についたのです」

 どこの業界でもそこなりの特異事情はある。でも女優の世界はいわゆる世間とはかなり違う。いや違い過ぎる気がする。虚飾の中に生きているとも言えるけど、虚実の明滅する世界の住人になることこそが女優なのかもしれない。

 そんな風香が唯一心を許し、信用を置けたのが親王寺監督だったのかもしれない。そうでなければ、ここまでするとは思えない。風香にとっては安土との結婚もまた演技で、安土家から製作資金を出させるシナリオを演じていただけなんだろう。そこにあった愛らしきものも、すべては必要だから行っていた演技なんだろうか。

「一つ聞いとくけど、もし安土にカネを出させていたら、後はどうするつもりやったんや」
「次の映画の役の事ですか?」

 そこに安土との妻が必要であれば続けるし、不要なら切り捨てる。ちょっと待て、なら今日までの年月は、

「わたしが出たいのは娘を持つ妻の役です。妻の役を演じるには妻になるのが早道です。それも社長夫人みたいなものですから飛びつきました」

 こんな女を嫁に出来る男はいないんじゃないかな。世間一般で考える恋だとか、愛が通用するとは思えない。とりあえずこの話は保留だな。