ツーリング日和12(第4話)渡海

 大山寺から県道二十四号で米子に向かう。道は良いし、向うに米子市内が見えて良い感じ。今日は宿に向かうだけだけど、皆生にしたのかな。

「それでも良かったんやが、近い方が明日に便利やろ」

 皆生も立派な温泉だけど、松江出張で温泉を利用しようとすれば皆生か玉造の二択みたいなところがあるものね。県道二十四号から国道四三一号に入り、見えて来たのがお菓子の寿城。あれは米子城の天守閣を模して作ったって聞いたけど、

「あれもおもしろうて本丸に四重櫓もあってんよ」

 四重櫓? 三重櫓ならあちこちにあるけど、天守閣以外で四重櫓は珍しいな。それも本丸にでしょ。連立とかじゃなかったの?

「四重櫓は吉川広家が天守閣として作ったんやが、後で城主になった中村一忠が別に天守閣を作ったそうや」

 その時に吉川広家の天守閣も残しちゃったから四重櫓として明治まで残っていたんだって。なんか無駄遣いにしか思えないけど、前城主の権威を凌ごうとしたんだろうな。もう一つ気になるのがどうして米子城が江戸期に存在してるのよ。

 米子は伯耆なんだけど、因幡と伯耆はどちらも鳥取藩で、因州池田氏の所領なんだよね。ごく簡単には今の鳥取県が因州池田氏の領地だったんだよ。それだったら一国一城令で廃城になるはずじゃない。

「一国一城令やけど、大名が複数の令制国を持っとる場合は、各令制国ごとに一城はありやったんや」

 この辺も原則と例外は多々あるそうだけど、取り合えず因州池田氏は因幡と伯耆を領有してるから因幡の鳥取城の他に伯耆に米子城が持つのは可能なのか。

「まあそうや。プラスアルファで言うたら池田氏は織田、豊臣、徳川の時代をこれ以上はないぐらい上手に立ち回ってるやんか。因州池田氏で言うたら、鳥取城、米子城の他に倉吉城も許されとるわ」

 なるほどね。最優秀の戦国サバイバーの成果って訳か。そりゃ池田氏は因州もあるけど、備前岡山にもあるものね。国道四三一号は皆生大橋を渡り、弓ヶ浜沿いを北上。弓ヶ浜は中海の西側の浜だよ。あれは自衛隊じゃない。

「ああ陸自の米子駐屯地や」

 こんなとこにあるのか。この道は中央分離帯に植栽があって、左右にも断続的に並木がある整備された道だけど、都市の道だから景色は良くないし、信号も普通にある。

「米子と境港を結ぶ幹線道路やからそんなもんやろ」

 そうなんだけどツーリングにはツマラナイよ。文句言ってもどうしようもないけどね。あくまでもちなみにだけど米子市は鳥取県で、その北側の境港市も鳥取県。弓ヶ浜あるところを弓ヶ浜半島とも呼ぶらしいけど、この半島は鳥取県なんだ。島根県は弓ヶ浜半島の根っ子の米子の西隣の安来市からになる。

「米子空港は鳥取県になるんやが、ここには空自の美保基地もあるやんか。この美保は美保関から来とるはずやが、美保関は島根県になるねん」

 どうして米子基地とか境基地にしなかったのかは不明だって。

「海軍が最初から美保海軍航空基地と名付けて建設しとるからな」

 境港市内に入って一番北側まで抜けると、これはイイじゃない。

「境水道や」

 海側が漁船の船着き場になってるみたいで、対岸の島根半島が良く見えて気持ちが良い道だ。

「あそこのサイロみたいなものがあるビルの手前を左に入るで」

 あれはフェリーターミナルだって。

「突き当たったら左や」

 この道は水木しげるロードになっていて、妖怪の銅像とかモニュメントが並んでいるそう。そんなものがあるのは水木しげるが境港市出身だから。それでもって今日の宿だけど、まるでマンションみたいだな。

「これでも温泉付きや」

 そうなんだ。入ってみると見た目通りにホテルだな。ちょっとこじゃれたビジホぐらいに言えば良いかもしれない。部屋はおもしろいな、

「畳敷きにベッドや」

 大浴場は十二階にあって露天風呂付。境港市内が一望なのは良いところかな。食事はレストランでのバイキング。さすがに魚は美味しいな。今日も良く走ったから熟睡。朝風呂に入ってから朝食バイキング。

「朝食が七時からでバイキングなのは嬉しいな」

 それはある。旅行中の朝の出発は宿の朝食時間に縛られるのよね。八時ぐらいからが多いけど、そうなると出発は早くて八時半ぐらいになっちゃうもの。それとツーリングは体力を使うから朝はしっかり食べときたいじゃない。

「別に朝だけやないやろ」

 コトリもだろうが。乗るのは昨日見たフェリーターミナルなの?

「境港から出る便は十四時十分やから七類港の九時の便に乗る」

 このホテルから十五分ぐらいだそうだけど、例の通り一時間前に行く必要があるから七時半に出発。境港から美保関に渡るには境水道大橋を渡るのだけど、たしかこの辺に有名な橋があったはず。

「ベタ踏み坂やろ。あれは境港から中海の江島に渡る江島大橋や」

 ちょっと残念だけど境水道大橋からの眺めは良いよ。境水道と境港の街が一望だものね。橋を渡り切ると島根になるのは良いのだけど、

「松江市も広すぎやろ」

 同意。美保関まで全部松江市ってなんだと思うもの。道は境水道の北岸を西に向かい、

「あの信号を右やな」

 らじゃ。港まで後三キロだけど山越えだな。けっこ長いトンネルを抜けたら下りになった。

「峠道のはずやけど、あっさりしとったな」

 ほぼ直線みたいな道だったものね。道案内もしっかりあるから、それに従っていくと港だ、海だ、日本海だ。向うに見える変なモニュメントが見える建物は、

「メテオプラザや」

 なんじゃそれ。コトリによるとフェリーターミナルでもあるけど、そこに健康ランドみたいな入浴施設と、展示場を併設した複合施設みたいなものだそう。なにが展示してあるかだけど、

「ひらっべたいモニュメントが美保隕石らしいわ」

 隕石の展示もやってるのか。見れるよね、

「九時からや」

 八時からにしやがれ、意味ないやろうが。それはそうと七類港も天然の良港みたいなとこだから北前船の時代は繁栄したはずだよね。

「どやろ。チイとはしたやろうけど、位置づけは風待ち港とか避難港やった気がするわ」

 北前船は大きく分けると松前まで目指す船と、秋田県の酒田あたりを目指すのがいたそう。途中で港にも寄るけど、

「船はどの港に入っても構わへんやんか。そやけどどうせ寄るんやったら商いが出来る港に寄りたがる」

 商いの大小は各港の購買力で決まるから、鄙びた七類に寄ったところで取引は高が知れてるってことか。

「さらに江戸も後期に向かうほど航海術も発達して地乗りから沖乗りがメインになると余計に寄らんようになったはずや」

 陸地の街道の宿場町とは違うものね。だから港ごとに船の誘致合戦まであったそうだもの。そんな事をコトリと話しているうちに乗船が始まった。バイクを停めて船室に上がったんだけど、

「これも割り切りやな」

 二時間半ほどのフェリーだから食堂設備がないのは良いとして、

「船内が雑魚寝部屋オンリーとはな」

 いわゆる椅子席がないのよね。無いこともなくて、二階の船尾側にあるのだけど、これがオープンデッキなのよ。海が荒れた時はもちろんだけど、寒くなっても使えたもんじゃない。

「等級分けが細かいけど、二等、特別二等、一等まで絨毯敷きの雑魚寝部屋やもんな」

 特等以上になってようやく個室でベッド付きだものね。見ようによっては、

「ひたすら寝るに特化やな」

 乗りなれてる人は、トットとスペースを確保して寝ようとしてぐらい。観光客より日常の足に重きを置いてるんだろうな。だから経営が成り立ってるとも言えるかも。