ツーリング日和2(第15話)宇和島

「次はどこに」
「宇和島に決まってるやろ」

 決まってはいないと思いますが、姫鶴平の方に道を引き返して県道三十六号から国道四四〇号に入ります。

「笹岡、どうも四〇〇番台の国道と聞くと酷道のイメージしか出てこないのだが」
「ボクもだ」

 ですが道は国道一九七号から三二〇号と快走ルートで宇和島に到着。市内に入って郵便局が見える交差点を左に曲がり、橋を渡ってすぐの右側の店に入るようです。

「ここが杉田さん、お勧めのほづみ亭か」

 店は居酒屋風ですが杉田さんは、

「ここは宇和島でも一番とする人も居酒屋だが、食事も自信をもってお勧めできる」

 なにを食べるのかと思っていたのですが、

「あんなぁ、宇和島で食べる言うたら一つやろ」
「宇和島鯛めしぐらい覚えときなさい」

 鯛めしって鯛を入れた炊き込みご飯かと思っていたら、

「これって鯛の卵かけご飯じゃないか」
「超贅沢だ!」

 やると思っていたら、

「さつま飯もお願い」
「鯛ソーメンもや」
「じゃこ天も頼むわ」

 さつま飯は鯛のほぐし身と麦味噌をすりつぶし、ダシを加えた冷や汁みたいなものです。鯛めしだって、鯛めし御膳と言う定食でしたが、見る見る平らげて行きます。

「さすが本場の鯛めしね」
「これを宇和島で食べたいばっかりに、ここまで来たようなもんやんか」

 うん、それぐらい美味しいのはわかります。しっかり食べてからどこに行くのかと思っていたら、

「宇和島に来たら宇和島城を見んと話しにならへん」

 杉田さんの先導で上り立ち門のとこにバイクを停めて。

「おいまた歩きだぞ」
「ボヤくな、ボヤくな」

 石垣の間の階段を登り詰めると、あれが天守閣なのか。ユッキーさんも、

「可愛い天守閣ね」
「可愛いけど日本で十二か所しか残ってない本物や」

 お城と言えば天守閣ですが、東京どころか関東にも一つも残っていません。東京から一番近いのは長野県の松本城で、

「青森の弘前城が次かな」

 距離なら犬山城の方が近いかもしれませんが、行ったことがあるのは松本城だけです。

「戦前は二十か所あったんやが、戦災で七か所は焼失してるねん。水戸城にも天守閣あってんで」

 戦災で失われた天守閣は他にも名古屋城、和歌山城、大垣城、広島城、福山城だそうで、

「松前城は火事やけど、あれも戦災みたいなもんや」

 では宇和島城が残ったのは空襲に遭わなかったから、

「そんなん言うたら宇和島の人に怒られるで。十二回も空襲されてるで」

 そんなに。とくに被害が大きかったのは二回のようですが、

「宇和島の前の海は豊後水道やけど、B29はここを通って、北九州の方とか、呉の方とか行きよったんや」

 北九州には当時の八幡製鉄がありますし、呉は今でも軍港として有名です。

「B29かって無理して飛んで来とるとこはあってんや。日本まで来たものの天気悪かったりして目的地に着かんこともようあったらしい。そん時に積んどった爆弾の捨て場所にされたぐらいや」

 そんなトバッチリみたいな。それにこんな小さな町を空襲するのにどんな意味があるのですか。

「それが戦争や」

 コトリさんはいつもニコニコして、微笑みを絶やさないような人ですが、戦争の言葉が出た時には、それそれは厳しい顔になりました。

「戦争はな、勝つか負けるかしかないんよ。勝つためには、どんな手段でも使うんや。そこに卑怯とか、正々堂々みたいなもんは何の価値もあらへん。どんな手を使ってでも勝てば官軍なんが戦争や」

 いや、その、

「広島城は原子爆弾で吹っ飛ばされとる。言うまでもあらへんが、どれだけあの一発で死んだことか。あれかってアメリカが負けとったら、関係者は全員しばり首や。それだけやない、無差別空襲やらかした関係者もそうなるで」

 それが勝てば官軍なのか、

「コトリ、その辺にしときましょ」
「そやな。戦争があらへん時代に生きてるってことが、どんだけ幸せなことか。ほいでも戦争を経験せんかったら最後のところは理解できへんのはしょうがないわ」

 それだけ言うと、さっと快活な表情に戻り、

「ユッキー、建て直す前の天守閣の方が格好エエことないか」
「ホントだ。どうしてこんな愛想のないのにしたのかしら」

 パンフによると、宇和島城は藤堂高虎が築城していますが、その六十年ほど後に天守閣を始めとする、城内の建物の大改修と言うより、建て直しが行われています。

「宇和島藩言うたら始まった時から貧乏で、最後まで貧乏やったのになぁ」
「これって、高虎の手抜き工事じゃない。宇和島城の建物を作り始めた頃に本拠地を今治に変えて今治城を作り始めてるじゃない」

 それでも内部は面白い構造で、障子まであります。

「天守閣の始まりがそうやったけど、この時代にそうしたんはおもろいな。開き直ったかもしれん」
「高虎の天守閣がそうだったのかもしれないよ」
「それ、あるあるやな」

 コトリさんによると時代が下るほど天守閣にしろ、櫓にしろ内部は愛想のない倉庫みたいなものになったそうです。

「安土城や秀吉の大坂城は違うで、中身は御殿や。まあ純軍事施設と考えたら倉庫みたいなもんで十分やけど、宇和島城が出来た頃は一周まわった気がするわ」
「それって平和ボケとか」
「ちょっとちゃう」

 天守閣は城の最終防御拠点のはずですが、

「そんなことあるかい。本丸にまで攻め込まれて天守閣一つで死守なんて誰も考えるか。そんなに役に立つんやったら、大坂夏の陣で天守閣攻防戦をやっとるわい」

 籠城戦はまず籠城するかどうかの判断が重要だそうです。

「籠城戦になるってことは、味方の数が少のうて、野外で決戦できへんのがまず前提や。相手より戦力あるのに籠城するアホはおらん」

 言われてみれば、

「籠城戦で勝つのは二つしかあらへん。一つは攻めてる方が音を上げて帰るか、もう一つはどこかの援軍が来てくれて、城囲んでる敵を追っ払ってくれることや」

 たしかに、

「城を枕に討ち死にって言葉があるけど、あれはウソや。単なる戦術ミスに過ぎん。籠城しても勝てそうにあらへんかったら、城捨ててトットと逃げるわい」

 そういうものなのか、

「それやったら単なる望楼でエエし、天守閣で月見する方がよっぽど役に立つやんか」

 加えて江戸時代の殿様の生活は不自由だったそうで、毎日の暮らしが事細かに決められ、それを守るのが殿様稼業であったとか。

「そうや、殿中で失態を犯さんことと、子作りが仕事や」

 ですから天守閣にもささやかですがレクリエーション施設の要素を作ったのではないかとしています。

「姫路城は壮麗やけど、普段はなんの役にも立たへん、ただの倉庫みたいなもんや。それに比べたら、宇和島城の方が遥かに役に立っとるで」

 面白い見方ですが、なんとなく『そうだ』と言ってしまいそうな不思議な魅力がありました。

「この辺でええやろ。コトリとユッキーは、これから大洲に回ってから東予に行くわ。後は杉田さん、お世話したって」

 えっ、どういこと。

「やっぱりコトリはユーチューバーちゃうやんか。アドバイスもらうんやったら、本職の方がエエやろ」
「きっと良い勉強になるはずよ。番組楽しみにしてるね」

 えっ、えっ、ボクたちのためにわざわざ杉田さんを呼んでくれたとか。

「フェリーで手伝う言うたやろ」
「これぐらいは、してあげないと悪いじゃない」

 そう言うと二人は去って行きました。