ツーリング日和3(第4話)近江八幡

 雲ケ畑街道から府道三十八号に出てホッとした。ここから府道四十号を経由して国道三六七号に突入。もう十時やな。

「三千院に寄ろうよ」

 そやな。ちょっと休まんと事故するわ。秋の三千院はさすがに綺麗やわ。三千院言うたら大原やけど、平家物語で後白河法皇が大原行幸の時には三千院はここにあらへんかってん。その頃は東坂本の梶井にあったからな。

「そうなのよね。建礼門院がわび住まいしていたのは寂光院だものね」

 今やったら三千院の道向かいや。寂光院も秀頼が再興したもんやったけど二〇〇〇年に放火で燃えてもたんよ。

「その時に徳子の張り子像も燃えちゃったのよね」

 この張り子像は建礼門院の手紙や写経で作られた物とされとるねん。どこまで諸行無常やねんと感じたもんや。三千院で休憩がてら三十分ほど散策したら出発や。そしたら琵琶湖大橋が見えて来た。

「びわ湖タワー覚えてる」
「イーゴス108も乗ったで」

 跡形も残ってへん。この手の遊園地も残ってへんもんな。宝塚ファミリーランドや甲子園阪神パークなんて誰も覚えとらん気がするわ。さて琵琶湖大橋の通行料は、

「十円だ」

 こんなもん、いるんかいと思うぐらいや。十円が高いと言う訳やないけど、十円取り出すんがバイクやったら面倒やねん。グローブしとるから、まず外して、財布を取り出しての世界になるねん。

「そうなのよね。グローブ外すために一度停めないといけなくなるもの」

 賽銭箱システムやったらお釣りも出えへんねん。もちろんカードもあかん。スマホのキャッシュレスも使えん。クルマに較べたらタダみたいなもんやから文句も言えんけどな。ほいでも長い橋を渡るとそれだけでテンション上がるな。

「琵琶湖大橋って四車線もあったっけ」
「二車線やった気がするけど増えたんやろ」

 橋を渡ったら目指すは近江八幡や。ここも一遍来たかってん。まずは腹ごしらえや、

「やっぱり鮒ずし」
「あれもエエけど。腹膨れるほど食べとうない」

 チイと苦手やねん。ユッキーもそのはずや。そやから、

「近江三大肉ステーキ丼や」

 近江牛、近江豚、近江黒鶏がドカンと乗ったコッテリ丼や。

「近江牛は有名だけど近江豚と近江黒鶏は知らなかった」

 食べ終わったら、

「いざ水郷巡りに」
「レッツ・ゴー」

 これもしたかってん。

「やっぱり春が良かったかな」
「また来たらエエやん」

 手漕ぎのやつにしたけど情緒があって楽しめた。だいぶちゃうけど兵庫津を思い出してもた。

「あそこも何にも残ってないものね」
「川崎に川崎重工、和田岬に三菱重工があったからな」

 そうB29の爆弾の雨で全部燃えてもた。今は道の位置が変わってないぐらいやものな。

「それでも瞼を閉じれば浮かんで来るよ」
「そうなったら開けたくないな」

 水郷巡りを堪能してから、新町通りをバイクで流して、

「この街の作りは京都に似てると言うより、伏見に似てない」
「大坂の船場にもな」

 城下町の設計のパターンで多いのが、町も防御施設の一つとして考えるやっちゃ。そやから道をわざと曲げて見通しを悪くしたり、家臣の家の配置も防御施設の一環として考慮したりはある。

「寺を防御施設に転用できるように作ったなんてあるよね」

 そやけどコトリに言わせたら机上の空論や。

「だよね。邪魔なら燃やしたら終わりだもの」

 そういうこっちゃ。城外の市街戦で相手を防ぐとか、ましてや撃退するなんか、

「軍学者が考えそうな屁理屈」

 本気で籠城するんやったら城下町なんか籠城する方が焼いてまう。城下町の家なんかあったら、敵がこれ幸いと住むだけや。それだけやない、家の柱とかで攻城用の資材に使われたりするのが実際の戦争や。

 だってやで、城下町の防御施設で戦うより、城郭で戦う方が有利やんか。城なんてそれ専用に作ってあるんやし、籠城するほど追いつめられてると考えるのが合戦の常識や。

「信長の安土もこんな感じだったと思うよ」
「たぶんな」

 近江八幡は安土の町の住人を移しているんや。その時に信長の安土を参考にせんほうがおかしいと思うわ。この発想は城は城、町は町でエエと思う。

「というか、農業より通商の発展を重く見たで良いのじゃない」

 そやと思う。織田家は津島を運営することで、通商で巨大な利益を上げられるのを知っとったんや。だから信長は町を作るとなれば、人が集まってきて売り買いが盛んになる設計を念頭に置いたはずやねん。

「秀吉もそうよね」

 家康は違う。三河の田舎者や。税金は米しか考えられへんかったやろし、商人は薄気味悪い連中と思とった気がする。そりゃ、信長の岐阜や安土、秀吉の大坂を見とるから無知やないけど、後ろ向きに取り入れたでエエと思うで。

「川に橋を架けないとかね」

 という訳でもあらへんけど、これもずっと来てみたかった安土城や。天下人の夢の跡や。

「石垣とかさすがだけど、大手道って防御を考えると変じゃない」

 そうなんよな。大手門から続く大手道は幅が三間ぐらいあるし、途中までほぼ直線やねん。つまり大手門を破られたら、本丸や二の丸に肉薄されてまうねん。

「どうして、こんな作りにしたの」
「信長に聞いてくれ」

 それじゃ、愛想ないか。信長が安土城を作り始めた頃には、天下統一構想が信長にはあったはずやねん。いわゆる天下を取るやねんけど、どんな政権構想を持って行たかは謎の一つやねん。

「織田幕府じゃないの」
「三職推任を蹴っとるやんか」

 三職推任は本能寺の直前にあっったんやが、その前の信長の官職や官位への態度がある。信長は従二位右大臣まで出世はしたけど、右大臣は五か月で辞職して官職なしの散位になってるんよ。三職推任はそんな信長に、

 征夷大将軍
 太政大臣
 関白

 このうちのどれかになってくれの打診した話や。これも朝廷側が提案したのか、信長が要求したかで論争はあるけど、コトリは朝廷側の提案やと思てる。つまり朝廷がくれる言うてる征夷大将軍を蹴ってるから織田幕府の構想はなかったと見てるんや。

「蹴ってるかどうかも解釈論争はあるけど、欲しいなら右大臣を辞めない気がする。右大臣と言っても朝廷に出仕しなければならないものじゃないし」

 この辺は考え出したらキリがないほど面白いんやけど、安土城や。

「ユッキーはこれと似てる城知ってるやろ」
「こんな変な城は他には知らないよ」

 それがあるんよね。秀吉の聚楽第や。あれはお屋敷とも見れるけど、天守閣や石垣もある城や。

「そういうことか。じゃあ、信長も安土に行幸させるつもりだったの?」

 その気はあった傍証だけはある。安土城の本丸屋敷は清涼殿の作りとよく似ているんよ。信長は内裏の再建もやってるから、まんま同じやった可能性もあると思てる。

「でも行幸してもらうだけなら、別に清涼殿のコピーを作らなくても・・・えっ、もしかして」
「コトリはそんな気がしてる」

 信長が狙ってたのは秀吉の聚楽第行幸やなかった気がするねん。そやから信長の真意は、

「本能寺で終わったのね」
「そうや。これもまた歴史ロマンや」